こういう若い写真家がどんどん出てくれば面白い。

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 この写真は、12月1日に発行の風の旅人 復刊第3号で紹介する木村肇君の写真。http://www.kazetabi.jp/
 木村君は,1982年生まれだから、私が大学を中退して海外に放浪に出かけた時に、この世に現われた。私とちょうど20年の差がある。
 日本がバブルに向けて転落していく時に生を受けて、バブル崩壊以降に思春期を迎え、成長した世代だ。その世代から、こういう写真家が出てきていることに、私はとても期待している。この写真は、新潟県山形県のあいだで、今も昔ながらの”またぎ”の営みを続けている人達に深く迫ったものだ。
 彼は、このデジタル全盛時代に、フィルムで撮影し、白と黒のコントラストの強い、やや粗い粒子のプリントを焼く。でも、彼の写真は、この種の写真によくあるような心象風景などではなく、被写体に深く密着したドキュメントだ。非常に個性の強いプリントだが、ナルシスティックな自己表現ではなく、他者の内面とか実在が濃密にプリントにあぶりだされる。
 彼のような写真家が、どのように評価されるかで、日本の写真界の懐の深さが試されると思う。というのは、彼のようなスタイルの写真は、昨今のカメラメーカーにとって、販売に都合の良い、趣味的な、ちょっと手軽な、心象風景の日記のような、ファッショナブルと持ち上げられて消費社会に迎合したような写真とは真逆のところにあり、カメラメーカーの影響の強い日本の写真ビジネス界では、かなり異端だからだ。
 「写真というのは、そんなに気構える事なく、自由に、自分のやりたいように写せばいいのよ」と言っている方が、カメラは多く売れる。そういう写真を撮ったり、その啓蒙につとめている人の方が、間違いなく、カメラメーカーが支援してくれる。おそらく、木村君のような写真家にはスポンサーはつかない。
 でも彼はそんなことおかまいなしに、日本の写真業界はチラリと横目で見ながら、どんどん海外に出ていき、海外で勝負しようとしている。素晴らしいと思う。日本の”世間”に閉じこもって、その中で、いいね!と、当たり障りのないところで凭れ合うことには興味ないのだろう。
 若者が海外に出ていかなくなったと、大して国際的でもない大人がぼやいたりしているが、真の意味で国際的とは、どこにいっても、一対一で立ち合えるということだ。一体一で立ち合うために、周りの傾向など関係なく、自分なりの見識をもって、その見識にそった自分のスタイルを築くことだろう。そういうものは、国籍を超えて分かり合える。誰でもわかるということではなく、どの国にも存在する、物事の本質を見ようとしている人には、必ず伝わる。
 木村君の写真が、最近、海外で評価を高めているのは、そういうことだろうと思う。