まことの美〜桑原史成さんが見続けてきた水俣〜

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(撮影/桑原史成)

 誰が言っていたのか忘れたけれど、想像力というのは、頭の中で色々妄想することではなく、感じたことを行動に移す力だと。たとえば、いくら危機を感じていても、行動に結びつけていない場合、その危機感は本物ではいので、想像力が弱いということ。
 私は、その言葉が心にひっかかっているからではないが、良さそうだと予感した展覧会などには、できるだけ出かけるようにしている。世間で評判かどうかは、気にしない。もともと自分の感覚と世間感覚がズレていることはわかっている。
 だからそんなことはどうでもよく、今の世の中、これはと思うものにはなかなか出会いにくい状況であり、だから、心がピンとくるような何かがある場合、動いていないと、それこそ何にも出会えなくなってしまうのだ。
 最近、そうした感覚で展覧会に出かけていって、自分の中にズシンと残り続けているものが二つある。一つは、11月2日にブログ記事に書いた、世田谷美術館で見た「素朴派」と言われる人達の絵画。そして、もう一つが、昨日、銀座のニコンサロンで見た、桑原史成さんの水俣病の写真だ。

 1960年から50年にわたって水俣を撮り続けている桑原さん。ご本人も会場におられたが、厳しい写真を撮り続けてきた人とは思えない、温厚で優しい雰囲気が漂う。



 会場内に展示されている水俣病を患った人々の写真を見て、私は、これらの写真をどう受け止めればいいか、これまでも、そして今もよくわからない。もちろん、この病気の惨さはわかる。しかし、水俣病の問題の根深さはそれだけでない。メチル水銀を海に垂れ流していた巨大企業、株式会社チッソに地域社会が経済的に依存し、その社員であったり下請けや関連会社で働いていた人が大勢いたこと。そのことが、地域内に深刻な亀裂と対立を生み出してしまったこと。住民じたいが、この問題をタブーとし、水俣病の認定を受けると石を投げられたり、漁協を除名されたり、チッソの下請け企業で働く息子が、水俣病の認定を受ける為に申請した父親を激しく叱責して自殺に追い込んだケースもあった。
 今の原発問題と重なる部分が多いのは、経済の論理が、安全性や、人間本来の美しい在り方、心身の健やかさに勝ってしまうということだ。
 この資本主義社会の人間の凄惨な宿業を、畏ろしいほど美しい小説に昇華させた石牟礼道子さんの『苦海浄土」は、戦後日本文学で、もっとも読まれるべきものだ。ドストエフスキーの作品が19世紀後半を語るうえで欠かすことのできない世界文学であるとすれば、20世紀後半、資本主義の原理に隅々まで覆われた時代の世界文学は、まさに『苦海浄土』だと私は思う。
 資本主義社会において、経済のために、多くのことが犠牲になっている。その犠牲をカムフラージュする為に、経済効果によるメリットや素晴らしさや、見た目の良さばかりが伝えられる。近年、問題になっている食品の偽装問題だけでない。少し前には、住宅で同じような欠陥住宅や手抜き工事がいっぱいあった(今もまだ、そういうものが多く存在している可能性はある)。また、ゲーム業界をはじめ、子供の心身を損なうことは承知のうえで、子供を食い物にしたビジネスも非常に多い。今後は医療だって、金儲けの為の高額治療の素晴らしさが、広告ビジネスと結びついて、メディアで喧伝されるようになるだろう。
 人は生きるために、稼いで食べて行かなければならない。そして、稼ぐ為に、環境や、人間自身を蝕むことを正当化してしまうこともある。人間が、自然とともに生きていた時は、環境を損えばすぐに自分に跳ね返ってきたので、慎重にならざるを得なかった。しかし、20世紀は、日頃、口にしている食べ物がどこでどのように作られているか見えなくなっているように、自分達がやっていることと、その原因や結果が離れてしまっている。自分の行為と世界がつながっているという感覚こそ、生きていくうえで一番大切なことなのに、それが見えにくくなっていることが、深刻な問題なのだ。
 水俣病も同じ。そういうことが起ったことは、みんな学校などで習ったりして知識としては知っている。しかし、それが自分の生活や人生とどうつながっているかわからない。桑原さんのように、ずっと水俣と関わり続けることが生涯の仕事になった人もいるが、大勢の人は、そうではない。
 自分といったいどこでどうつながっているのか。写真展から帰った後も、電車の中で、そして家に帰ってからも、桑原さんの写真集を見ながら、写真が訴えてくる力を感じながら、自分の心の中で動くものと、自分の今、そしてこれからが、どこでどうつながっているのか、考えていた。
 はっきりとわからない。しかし、たとえば、桑原さんが撮ったこの水俣病に冒された少女の瞳が放っている、まことの美しさはわかる。
 経済の論理によって判別しにくくなっている、まことの美と、偽装の美。
 しかし、自分がどんなに追いつめられようが、まことの美を見分けられる目だけは失ってはいけないと、あらためて思う。まことの美を見分けられる目を持ち続けることで、偽りのものを見分けられる。まことの美の反対が、偽だからだ。
 人間、何の為に生きるのか。経済は大事だけれど、経済の為に、自分も周りも偽り、醜くなっていくのだとすれば、それこそ何の為に生きているのかわからない。
 水俣病に冒され、喋ることも動くこともできず死んでいった少女は、まことの美を人々の胸に焼き付けた。
 この少女の短い期間の生が、経済的に成功しているだけで人生の勝利者のように驕り、偽りだらけの為に醜く歪んだ顔と目をした人間の人生に劣るなどと、一体誰が言えるものか。
 桑原史成さんの写真展は、11月19日まで。銀座ニコンサロンにて。
 http://www.nikon-image.com/activity/salon/exhibition/2013/11_ginza.htm#02