狐につままれたような、懐かしく豊かな話。

 石牟礼さんのインタビューのテープを書き起しながら、思いもかけず、話がきちんと成立しているので、少し驚いている。石牟礼さんは、高齢のうえ、重度のパーキンソン病で、身体をしっかり保つことも、言葉を発することも、非常な困難を抱えておられる。それでも、3.11の震災の頃までは、困難を抱えていながらも、なんとか石牟礼さんならではの言葉を発信し続けていた。

 しかし、昨年末あたりから、かなり病状が深刻になっていた。深刻になっているというのは、次号の風の旅人の企画書「死の力」とインタビューを依頼する手紙をお送りした時に知った。一月の後半の時点で、新しい薬の治療を行なっているとお聞きし、その後の経過を見ようということになった。そして薬のトライが終了する3月上旬、改めて御連絡をすると入院されたとのことだった。3月後半になり、次号の締め切りが近づいているし、インタビューは到底不可能だろうと思い、3.11の震災前後のインタビューを編集したドキュメント映画の書き起しをして対応しようかと思い、実際に書き起しをし、その制作を行なった藤原書店の社長に手紙を書いた。不思議な事に、手紙を書いた直後に、少し容態が恢復したのでインタビューは可能かもしれないという連絡を受け、急ぎ熊本まで飛び、入院中の病院で話をすることになった。
 ようやくお会いできたものの、話をしているあいだも言葉は消え入りそうで、きちんと録音されているかどうか、あとで聞き取れるかどうか、話が脈絡のない状況に陥っていないか、不安があった。とはいえ、そんなに心配はしていなかった。なぜなら、石牟礼さんと、きっちりと対話ができたという確信があったからだ。
 その最も大きな理由は、当日、持参した風の旅人の第15号の存在だった。持参した理由は、石牟礼さんが、近年、取り組んでおられた新作能が天草の島原の乱をテーマにしたもので、過酷な拷問を受けながら耐え忍んで信仰を捨てなかったクリスチャンのお百姓さん達のことに、時おり、言及されていたからだ。風の旅人の第15号には、中国の文化大革命で、同じく過酷な拷問を受けたクリスチャンの農民が特集されている。その精神世界が、島原の乱の農民達ととても近いと感じられた。そのため、この号を石牟礼さんに手渡したかった。 さらにその第15号には、創刊号から連載を続けていただいた白川静さんの最後の原稿が掲載されていた。白川さんは、その翌年、95歳で大往生なさるが、なんと石牟礼さんは、全ての学者、表現者、人間のなかで、白川さんを最も尊敬していると言いきり、大好きな人で、神様のように慕っておられたのだっだ。石牟礼さんが白川さんの御本を読み尊敬していることは当然知っていたが、そこまで思いが強いとは知らなかった。白川さんが石牟礼さんの新作能『不知火』を何度も見て、巻き紙に毛筆で書き綴った手紙を送ってくださったこと、白川さんのご自宅を訪問したことなどを、石牟礼さんは懐かしそうに、嬉しそうに話してくださった。

 そしてもう一つ、石牟礼さんと対話が深まった理由は、熊本行きが決まって慌てて飛行機を手配し、日帰りは難しいので前泊をすることにしたのだけど、どうせならと不知火海の目の前にしようと思って手配した宿の場所が、石牟礼さんの幼年時の遊び場だったことだ。
『椿の海の紀』などで幼年期のことが詳しく書かれており、海と山のあいだの渚の生き生きとした描写が印象的なのだが、まさにその場所がそこだった。楽天トラベルで予約したので、いつものとおり値段だけ確認し、場所も宿泊施設名もとくに曖昧なまま出発し、宿泊の当日にスマホGoogleマップを確認しながら宿に行くという方法をとったのだが、駅から徒歩1時間以上もかかり、想像以上に駅から遠く、そのうえ低料金のわりに大きな温泉まであって、想定外のことだらけだったが、周りの風景も含めて堪能した。

 宿に入ってから、そこが湯の児だと知り、なんだ湯の児なら石牟礼さんが本で書いていたじゃないかと思う能天気さだったが、石牟礼さんに会ってすぐ、昨日、湯の児に泊まりましたと言うと、すごく喜んで、子供時代の話を笑いながらたっぷりとしてくださった。
 次号のテーマが「死の力」だったのだけど、石牟礼さんの子供時代の話を聞いているうちに、なんだかその方向性でいいような気がしてきた。直接的ではないけれど、とても根っこの部分で、テーマと響き合っているという予感があった。
 その予感があったので、インタビュー内容をきちんとまとめられるかどうかという不安はあったものの、それはほとんど気にならなかった。
 前号の志村ふくみさんのインタビューは違っていた。話の展開がとても明晰で、二時間あまりの話が終わった瞬間、2人ともかなり高揚していた。そして、なんの編集的細工は必要なく、そのまま話を書き起したらきちんとしたものになるという確かな実感があった。
 しかし、石牟礼さんとの話は、ふわふわと曖昧だという印象だった。しかし、改めて録音テープを聞いてみると、その曖昧な各部分が絶妙に調和しているような気がしてくる。全ての部分に、必然性があり、その必然性が有機的につながって、とても奥行きのある話になっている。不思議だ。切れ切れのように思えた言葉が、詩のように感じられ、言うに言われぬものを浮かび上がらせている。その言霊によって、石牟礼さんが子供の頃に憧れていた狐につままれたような、懐かしく豊かな感覚に包まれる。

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