森永純さんの写真の命

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写真集「WAVE〜All things change」より


 森永純さんの写真集「WAVE〜All things change」が出来上がり、ようやく納品することができた。
 3年か4年前の初夏だったと思うけれど、森永さんの「ドブ河」の写真に衝撃を受けていた田口ランディさんが、森永さんに会いたいというので、一緒に森永さんに会いにいった。私は時々森永さんに会っていたので、その時、森永さんの頬がこけているのがとても気になった。ランディさんも、「どこか具合が悪いのではないですか」と心配して声をかけた。森永さんは、「とくに以前と変わりはないよ」と言う。そのまま私たちは少し話をして帰った。

 それから、3ヶ月くらい経って、森永さんの奥さんから電話があり、森永さんが入院して、しばらく会えないと私に伝えてくれと言っているという内容だった。私はびっくりしてすぐに病院に行って話を聞いたところ、三ヶ月前、私とランディさんが会った翌週、具合が悪いのではないかと私たちに言われたことが気になって医者に見てもらおうと病院に出かけたらしい。そうすると、病院のドアを通り抜けた瞬間に意識不明になって倒れて、救急病棟に運ばれたのだ。その時、お医者さんから奥さんに、もし倒れたのがここではなく、来る途中とか自宅だったら死んでいたと言われるほどの重体だった。森永さんは、ずっと意識不明で、意識が戻ってからも三ヶ月は危険な状態が続き、私に連絡があったのは、ようやく人に会える状態になったからだった。
 意識不明で倒れた時は、肺の半分ほど水が溜まっていた。よくもまあそんな状態で普通に生活していたなあと、話を聞いてびっくりした。頬がこけていたのは、相当、症状が悪化していたのだ。
 それから半年ほど経ってから、ようやくリハビリができるようになり、リハビリ病院にうつり、車椅子で外出できるようにまで恢復し、退院した。倒れてからどれくらい月日が経ったかは忘れたけれど、退院直後は、以前とは別人のように衰えていた。でもそれからも少しずつリハビリを続け、今でも週に3回、透析の為に一日中病院に拘束されるという生活が続いているが、車椅子無しでも杖があれば少しは歩けるようになり、顔色もよくなった。
 そんな森永さんに写真集の話をしたのは、かなり恢復して対話も普通に行なえるようになった一年半くらい前だったと思う。しかし森永さんは、波の写真を30年以上撮っていたが、自分が思い描いているイメージでは、あと4枚くらい撮れていない写真があるから写真集にするのは厭だと言った。6年前、風の旅人の35号で紹介した時も同じことを言った。
 私は、「現状で足りないかどうかは、一度、私が組んでみるから、それを見てから判断して欲しい」と言い、写真を全部持ち帰って、構成して、森永さんに見せた。森永さんは、それを見て、「流氷の写真を撮りに行きたい」と言い、私もその気になったが、ドクターストップがかかった。そして、とりあえず現状で進めることに同意してくれた。
 デザイン・レイアウトを進め、全体の流れがより鮮明に見えるようになってくると、「写真集として十分に成立しそうだね」と納得してくれ、それでも、「何枚かネガからプリントを焼いて付け加えたいものがあるから待ってくれ」という話になって、その何枚かのプリントの為に数ヶ月が過ぎた。その後も、より明確になった写真集の全体像と睨めっこして、随分と時間をかけて1、2枚のプリントを焼いて加えた。
 構成・展開、そしてサイズとか本の判型は、私が最初に提示したもので決まりだった。
 普通は、その段階で打ち合わせを重ねたりするものだが、何も揉めることなく全体像に関しては一発でオッケーだったのだが、最後の詰めで随分と時間がかかった。全体が見えることで具体的にどうしたいかという思考が動き出すということがある。森永さんの場合、30年間、ネガのままでプリントを焼いたこともない写真を記憶していて、それを焼きたいという思いが出てきたのだ。そういう写真は、それ単独で自立するものではなく、全体の中で役割を果たすものであり、その瞬間をひたすら待っていたのだとも言える。
 写真を組む時に大切なことは、次から次へと強烈な印象を与えるエース級の写真を揃えればいいのではないということ。野球で言えば、ホームランをかっ飛ばす四番バッターを並べれば勝てるわけではない。そういう単純さは、相手も対策を練りやすい。だから、バントがうまかったり走塁が長けていたり、ランナーを進めるチームバッティングができる選手など、他の選手の力を引き出せる選手を上手に配置することで、相手が自分の思うようなペースで試合を運びなくなる。
 写真集だって同じだ。写真集を見る人が、自分の意識の範疇で価値判断を下せてしまうような内容ではダメだ。意識を揺さぶられ、自意識が剥奪され、そうなることによって、自分の中に潜んでいた別の自分の感覚や思考に気付く。表現作品というものは、野球の試合と違って、見る人が作品に打ち負かされてしまう方が喜びであり、それが感動なのだ。

 しかしながら、現在社会では、表現作品も、工業製品の消費財のように、たくさん売れるもの=立派、という風潮があるが、売れる表現作品というのは、消費財と同じように消費生活に興じる人間にとって都合の良いものである場合が多く、消費者の心を揺さぶって打ち負かすのではなく、媚びへつらったものが多い。時代を超える本当にすごい表現作品というのは、その逆であり、今この瞬間の消費生活を遥かに凌駕する、もっと根本的で広大な世界が存在していることを伝え、今のはかない現実を揺さぶる力がある。だからある意味で毒をはらんでいる。

 そういう毒をはらんだ表現作品こそが時代を超える理由は、その表現を通じて、日頃は世界の一部としか関わりを持てていない人間が、宇宙全体を貫く真実の手応えのようなものを少しでも感じとれるからだ。心が震えるとか、目から鱗が落ちるとか、引き込まれるとか、色々な言い方があるが、時代の流行気分の中だけで通用してすぐに忘れられる安っぽい感動ドラマではなく、事物それ自体の存在感で心が動かされる瞬間というのは、長く生きていてもそんなには多くは巡り会えず、その出会いの記憶はずっと続く。
 そういう出会いがあり得ると思ってもらうことが、作品を作る意味だろうと思う。意味なんか関係なく作るという気障な言い方をする人もいるが、それは自分の役割(命)を見いだせていないだけであり、人間に限らず、どんな事物も意味なく存在しているものはない。 意味があるというのは、役割(命)があるというのと同意だ。
 写真にも写真集にも役割(命)がある。写真家にも役割(命)がある。それぞれ、自分の役割(命)をどこに置くかによって、アウトプットするものの形や内容が違ってくる。
 森永さんは、意識していないけれど、無意識のどこかで、自分の役割(命)を知っている。だから、長い写真家人生で、「ドブ河」と「波」の写真集しか残さなかった。
 私は、森永さんが、高度経済成長期に東京の河川の悪臭の漂うヘドロに顔をくっつけそうになりながら撮影を続けた「ドブ河」の写真は、20世紀の人間と世界の関係を象徴していると感じている。そして、このたび私が関わった「WAVE〜All things change」の「波」の写真は、21世紀の人間と世界の関係を未来形で象徴する。20世紀に自然世界と対立的に生きてきた人間が、21世紀には、「すべては発動し、すべては循環する」という、ありとあらゆる波の一部として命を刻むという本来の在り方に戻るのだろうという祈りが、その波の律動に秘められている。「ドブ河」と「波」という、ともに水面の二つの相を通じて世界の本質を示すことが、長崎の原爆の荒野から青春を生き始めた森永さんの表現者としての役割(命)なのだ。 

 そして、そうした表現の力を一番身近に感じながら仕事を進める編集とディレクションの役割(命)は、表現の力を決して損なわず、活かすこと。そして、場を与えられず仮死状態になっている表現の役割(命)を、蘇生させることだと思う。

 写真集「WAVE〜All things change」の詳しい内容は、こちらをご覧ください。

 

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