第890回 「こんな大それたこと」

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(左・白川静さん 右・梅原猛さん)   

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 今朝の京都新聞の第1面、連載コラムの『天眼』には驚いた。梅原猛さんが寄稿しているのだが、最初から最後まで自分の自慢話ばかり。賞の受賞の自慢とか、権威団体の長だった自慢、あげくのはてに勲章まで。よくもまあこういう原稿で京都新聞は掲載したものだ。お偉い方でボツにできない事情はあるのだろうけど。読んでいる方が恥ずかしくなるような内容で、いくら立派な業績を成し遂げていたとしても、ここまで自己顕示欲が強いと、さすがに引いてしまう。梅原さんほどの業績があれば、他の人が十分に持ち上げてくれるだろうに、なぜここまで自分を自慢しなければならないのか、よくわからない。
 梅原さんは90歳になった。90歳といえば、風の旅人の復刊第3号でインタビューした志村ふくみさんと同じだ。志村さんは、本当に謙虚で慎ましい。いつも、「自分なんかが・・」という言い方をされる。また、13年前、風の旅人の創刊準備の時、白川静さんにお会いした時は92歳だった。
 風の旅人の創刊当時、河合雅雄さん、日高敏隆さん、岩槻邦雄さん、鈴木秀夫さん、安田喜憲さん、中西進さんなど、執筆者として考えていたのはなぜか京都を中心とした関西方面の人が多かった。それで、その要となる人ということで梅原猛さんも考えたのだが、どうにも気が進まなかった。その時、「呪の思想」という本が出ていて、その中で、梅原さんを圧倒する白川静さんの存在に惹き付けられた。白川静さんは、小説家の日野啓三さんが亡くなる前、よく家に遊びに行っていた時に、その凄さを教わっていたが、いかにも雲の上のような人で、ちょっと畏れ多くて、近づけるとは思えなかった。
 しかし、『呪の思想』の中の白川さんを見た時、ダメでもともという気持ちがつのった。既存の大手出版社が群がる大海に小さな舟で漕ぎ出すわけだから、中途半端なことをしたところですぐに撃沈される。だったら一か八かで行くしかない。その一か八かに該当するような大きなターゲットは、当時は、白川静さんをおいて考えられなかった。梅原猛さんも素晴らしい人だろうが、ちょっと違うという感覚があって、その感覚を、「呪の思想」の中の二人が明確に証明していた。
 しかし、「呪の思想」の中の写真で見る限り、畏ろしい存在にしか見えなかった白川さんは、会ってみると、まことに慎ましく、謙虚で、決して自分を誇るような人ではなかった。驕りなんか微塵もなかった。
 桂離宮の近くにお一人で住んでおられ、チャンチャンコ姿で出迎えてくれ、お茶まで入れてくれた。今、思い起こしても、クラクラするような邂逅だった。
 白川静さんは、私が作った企画書を見て、「あんた、こんな大それたこと、実現するんか?」とだけ問うた。
 私は、まだ紙切れ一枚の企画書しかなかったけれど、「実現できないものを、白川さんにお願いするわけないじゃないですか」と、崖っぷちから飛び降りるつもりで張ったりをかました。
「そうか、実現するんやったら、やるわ」と、白川さんは即答してくれた。
 後になって文字文化研究所の発起人で当時は専務だった宇佐美公有さんから聞いた話では、その頃、白川さんは、世界で白川さんしか対応できない金文の解読に集中していて、他の仕事を受けられるような状況ではなかったらしく、宇佐美さんが白川さんに「よく受けられましたなあ」と問うと、「しゃあないやないか、この紙に、ワシが、このテーマで書くことになっとるみたいやし」と答えられたそうだ。
 白川さんには、創刊号から、他界される1年前の第15号まで連載をしていただいた。第1回目は、「死を超える。〜そろそろ死にましょか〜」だった。
 白川さんにしかお願いできないテーマだった。
 白川さんに承諾していただいた後、河合雅雄さんに連絡をすると、「白川さん、やる言うとんのか?」と問われた。「ええ、まっさきにお返事いただいています」と答えたら、「だったら」ということで、他の人も次々と承諾をいただき、今考えると、ちょっと信じられないような方々にご協力いただいて、船出ができた。
 小説家の保坂和志さんは、「人類史のなかで、プラトンハイデガー白川静を尊敬していて、同時代に生きられることだけでもすごいのに、同じ誌面にいることは奇跡的なことだ」とまで言っていた。
 20歳の時、私が大学を辞めて諸国放浪に出る前に読んで、その時の余韻がずっと残っている小説がある。石川淳の『狂風記」だ。
 白川さんとの邂逅は、その「狂風」の余韻の延長にあったと思う。
 今思えば、風の旅人のなかに、「狂風」が吹き荒れるイメージを求めて、だから、白川さんが必要だった。
 『狂風記』は、石川淳文学の集大成みたいなものだが、その前に書かれた『普賢』に、「此世というやつは顛倒させることなしには報土と化さない」という言葉がある。
 白川静さんは、風の旅人の創刊号で、私の依頼したテーマへの応答のように、「真」という漢字の話をもってきた。
 「真」というのは、首が引っくりかえった姿だ。
 まさに顛倒なのだ。
 その意味するところは、行き倒れである。行き倒れは、恐るべき威霊を持つ。それを鎮めるために、人々は慎んで、ていねいに弔った。柿本人麻呂も、不慮の死を遂げた霊を、皇族待遇の礼をもって弔うために、歌を作った。 
 菅原道真などもそうだが、非業の死を遂げて化する道を失った者は、恐るべき威霊を発揮するがゆえに、神になったのである。
 霊の世界は、顛倒が起こる。価値観も顛倒する。
「死するということは、現実を超えるということである。」
 この言葉が、死の間際まで15回にわたって風の旅人の連載を引き受けてくれた白川静さんの、連載最初の言葉だった。
 だからこそ白川さんは、自らの生の軌跡に対して、人から見ればそれがどんなに偉大であろうとも、驕ることなどありえなかった。
 生の側のチマチマした世界だけで生きていたのではなく、生と死の両方を行ったり来たりしていたから当然だ。
 狂風というのは、そういうものであり、風の旅人のエネルギーは、白川さんを筆頭に、その狂風を送り込んでくれる人達によって、満たされていたのだ。
 狂った風だから、世俗のステップアップや実利や権威につながるものにはならない。そんなものより、世俗を超越した白川静さんいただいた「こんな大それたこと」という言葉の方が、遥かに有り難く、意義を感じる。


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