第891回 祈りが織り込むいのちの模様


 

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 私は、これまで出版社に務めたことがないので、他の雑誌がどういうふうに作られているか詳しくは知らない。

 編集長と複数の編集者で作るのであれば、目的を共有するための設計図が必要だろう。最初に企画会議をして企画をたて、役割分担をして、それぞれが企画書に従って部分を作り込み、あとで合体させるのだろう。
 そういう作り方だから、自分達がどういうものを作ろうとしているか、制作過程において、ある程度は意識しているだろう。
 しかし私は、一人で編集しているので企画会議というものがない。そして、明確な設計図もなく、曖昧な方向性しかない。その方向性を決めているのは、自分が、日々、受けている様々な刺激と、それに反応する自分の思考の蓄積。それらを濃いスープにする為の過程が必要で、だからブログなどに言葉を綴る必要がある。自分が考えていることを書くというよりは、自分が何を考えているのか、濃縮して結晶化するために書いておかなければならないのかもしれない。そのようにして、このブログも、この10年ほどで900回近く書いてきた。
 文章を書くことで自分の考えを濃縮して、ようやくモヤモヤとした方向性のようなものが浮かび上がる。そのモヤモヤとした力に従って、風の旅人を作っているわけだから、作っているあいだは、自分が一体どういうものを作ろうとしているのか、明確にわかっているわけではない。
 まもなく出来上がる49号のテーマ、いのちの文(あや)というのも、非常に抽象的なテーマだ。なぜこのテーマなのか、そして、なぜ巻頭に、『有機体は、それがそれ自身であるために全宇宙を必要とする。」というアルフレッド・ノース・ホワイトヘッドの言葉がきているのか。そして、なぜ、こうした写真と文章の構成になっているのか。
 意識の深いところを探るようにしていくと、自然とこうなっていったが、そのメカニズムはよくわからない。
 そして、昨日、校了をすませ、あとは印刷を待つのみとなった。
 その校正紙を、全ページ通して静かに見た。作っている時の自分とは違う眼差しで。その中に入り込んでしまうのではなく、ちょっと距離を置くような感じで。
 前号のテーマ『死の力』が、ブラックホールのような一点に向かって凝縮していったものだとすると、次は、その凝縮が緩み、外に向かって広がっていくような感覚だと、校正紙を通して見た相棒が言った。。
 なるほどと思いながら、机の上にあったボーイ・ソプラノのアレッド・ジョーンズのCDをかけた。
 アルフレッド・ジョーンズの天使の声で、アヴェ・マリアを聴いていると、「いのちの文(あや)」の余韻が、部屋の中に漂っていく。
 優しいけれど厳しい。静かだけど激しい。
 アレッド・ジョーンズの歌は、『おお聖夜』に変わる。


Long lay the world in sin and error pining, 
'Til He appear'd and the soul felt its worth. 
A thrill of hope the weary world rejoices, 
For yonder breaks a new and glorious morn. 
Fall on your knees! O hear the angel voices!

長い間、世界は罪と過ちを繰り返していた。
彼が現れ、魂が、その価値に気付くまで・・・。
疲れ切った世界は、希望に喜び、打震えた。
新たな栄光に満ちた夜明けが、闇を切り拓いた。
ひざまづけ。おお、天使たちの声を聞け。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 歌を聴きながら、いのちの文(あや)というのは、この歌のように、誰もが胸のうちに秘めている祈りなのだと、ふと思った。
 毎日のように、やりきれない、悲しい、憤りを感じるニュースが流れてくる。自分も世界を構成する一人であるが、なにゆえに、その世界は、このように矛盾を積み重ねていくのか。生きていくうえで仕方が無いと言いながら、その仕方がないことのために、生命の輝きが失われて、尊厳が踏みにじられていくという逆説に支配されている世界。
 同時に、眼にあまるような困難が、生命を輝かせるという逆説もある。
 いのちは、単純ではなく、複雑精妙で、至るところで逆説的に交差している。
 そして、祈りの純粋は、泥の中の蓮のように、たとえどんな環境であっても、全ての人が、己の深いところに宿らせている。
 多くの人が殺され、町が壊され、海と大地が汚され、人の心身の健康が蝕まれる。
 世界が酷い状況になり、一人ひとりがおのれの弱さを知れば知るほど、本当は何か大切で必要かを、誰もが己の深いところで疼くように、実感することになる。
 死に直面した人間が初めて生の有り難みを知るように、絶望的な状況には、必ずどこかに、かすかで、かけがえのない希望の光がある。その光に気づくかどうか 一人ひとりが 試されている。
 希望の光は、人間だけのものではなく、たとえばアスファルトの隙間に落ちた種粒にとっても同じようにある。細く頼りなく見える根をのばそうとする強靭な意思は、祈りであり、全宇宙の歴史は、きっと、そういう祈りによって満たされている。
 いのちの文(あや)は、そのように全宇宙を満たす祈りと、個々の中に宿る祈りが、微妙に連動しながら織り込んでいく模様なのだろう。
 


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