第893回 堤防の決壊を防ぐ行為は

 風の旅人の復刊第5号の刷り出しがあがってきたけれど、まとまったページの印刷が明らかにおかしいので、刷り直しをせざるを得ない。
 それにしても理解できないのは、私のところに送られてくる前に、現場の責任者、営業担当者のチェックが入っているのに関わらず、そこで止まらず、前に進んでいることだ。
 微妙な判断の違いというのならわかるが、そうではなく、誰が見ても明らかにおかしく、しかも私とこれまで何回も仕事をしてきて、私は決して妥協をせず、問題があれば製本が終わった後でも刷り直しをするということがわかっているのに、なぜ問題があるのにそのまま前に進めてしまうのかが、どうしても理解できない。
 現場の責任者や、営業の担当者がストップをかけていれば傷は浅くてすむ。ストップをかけないかぎり、どんどん先に進んで、問題が大きくなる。
 これは印刷現場に限らず、最近の東洋ゴムの免震ゴムに関する不正や、福島原発東京電力の汚染水漏れの問題でもそうだが、頻発している企業の不祥事の多くが問題の判明した時点で対応せず、傷口が広がって、もはやごまかしようがなくなってから対応するということが多く、その分、賠償額も膨れ上がってしまう。
 そのたびに企業は謝罪を行い、不正防止の対策を練るのだが、同じことが繰り返される。いったい何故なのか。

 それは、こうした問題に直面する者達が、今回の私の印刷の問題でもそうだが、不正を働いているという意識がないからだ。当人は、当人なりに真面目に仕事をしているのだ。

 当人は、それなりに注意深く仕事をしているのだが、どうやら、心理的に問題があっても問題がないように思いたいというバイアスがかかっているようなのだ。
 流れに逆らうこと、動いているものにストップをかけることは、かなり精神的にエネルギーを要することで、日頃から何か少しでも問題があればストップをかけるぞと自分に言い聞かせて心の準備をしていないと、眼の前に流れてきたものに対して、ストップをかけるタイミングを逃し、そのまま横に流してしまう。
 自分で物を作っている人間は、一つ一つの制作過程において、常に判断を悩み、はたしてこれでいいだろうかと問い続けている。だから、少しでもおかしな方向にいくと、すぐにブレーキをかける。しかし、ベルトコンベアーの上を流れてくる物に、自分の役割分担の作業を加えるだけの仕事を習慣化させてしまうと、目の前のものの異常に対して、瞬間的に反応できない。その時反応しなければ、その異常なものは自動的に次の行程へと進んでしまうのだ。
 後から振り返れば、なんであの時に手を打たなかったのかと思うような失態は、だいたいそのように起こっているのではないか。
 誰も悪気なんかないのだ。そして、無責任という意識もない。自分が作り出した間違いを放置することは無責任だと自覚しているが、自分ではなく誰かが作り出した間違いをやりすごすことを無責任だと思っていないのだ。
 これは企業に限らず社会全般の問題にもあてはまる。
 社会の問題は、自分が作り出したわけではないと多くの人は思っている。だからそれらの問題に対して無感覚であっても無責任ではないと思っている。
 ストップをかけなければ、問題は先送りされるだけでなく、より複雑化し、解決が難しくなり、解決に必要なエネルギーも大きくなることは経験上わかっている筈なのに、ストップをかけることができない。

 巨額の借金の上に借金の金利が積み重なり、右肩上がりで増大していく国の借金の問題も同じだ。

 また、いたいけな子供が犠牲になる事件、周りの人間のちょっとした配慮や行動で防ぐことができた痛ましい事件において、なぜ防ぐことができなかったのかと毎度のように繰り返されるが、構造は同じなのだろう。

 問題の先送りは、悪意ではなく、思考と感情の停止状態によって行なわれるのだ。

 子供の頃に読んだ物語で、堤防の小さな穴から水が漏れているのを見て一晩中手で水を塞ぎ、気絶した少年の話をよく覚えている。堤防の決壊を防ぐ本当の意味での英雄的行為というのは、誰も気に留めないような小さな穴に全力を注ぐこと。声高に叫んだり、派手な演出をする英雄気取りの行為は、実際は、空虚や不満から生じるマスターベーションや、自己保身や自己顕示欲の現われであることが多く、小さな穴を手で塞ぎ続けるという地味で忍耐を要することが自分に降り掛かってくると、逃げることが多い。

 この国に必要なのは、ワンフレーズポリティックスのような改革者を気取った派手なパフォーマンスではなく、一人ひとりが事態の推移に対してしっかりと眼を開いていることと、どこかおかしいと少しでも感じた時に、小さくてもいいから何かしらのアクションを起こすことなのだろう。

 改革者を気取った政治家や運動家のわかりやすく単純化された言動を鵜呑みにしてしまうこともまた、思考と感情の停止状態であり、問題の先送りと同様の無責任な他者依存にすぎない。

 

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