第898回 人生や社会の旨味〜発酵の秘密〜

 

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 京都の桜はほとんど散ってしまったけれど、琵琶湖の北部は、ちょうど満開だった。総勢10名の大人の花見旅行。湖北は、現世の垢を落とす幽界のような、ちょっと妖しいところ。

 湖北までの列車のなか、小泉武夫さんの”微生物の働き”に関する本を読んでいた。

 次号の風の旅人のテーマ、『時の文(あや)』のイメージを膨らませるために。

 地球の歴史の中で、酸素濃度が現在と同じくらいになるのは1億年前。10億年前は、わずか1%。7億年前でも5%。5億年前に急に高まって50〜70%。5億年前に急に高まったのは、その頃、地球上にシダ類が繁茂したから。そして2億年前に恐竜が生まれ、1億5千年前には哺乳類が生まれ、7000万年前に霊長類、そして400万年前に人類の祖先が生まれ、10万年前にホモサピエンスが現れる。
 5億年前のシダ類の繁茂がドラスティックに地球環境を変えて、そこからバブルのように生物の多様化が急速に進んだわけだが、5億年前まで地球上に生物が存在していなかったわけではない。35億年前から5億年前までの30億年もの長いあいだは、微生物の次代だった。酸素もなく、栄養素となる有機物も十分でない無機質主体の地球で、高温、乾燥など人間には考えられない悪環境の中に順応して生き延びてきた微生物。それらの微生物は、死に絶えて次の生物進化に道を譲ったわけではなく、現在も、私たちの周りに生き続けている。10km上空の対流圏と成層圏の境界あたりの、低温で栄養素がまったくないところでも、太陽からの光を巧みに利用したり、地上から放出された様々な有機体や無機体ガスを有効に使って、微生物が生き続けていることもわかっている。
 なぜ小泉武夫さんの微生物の本と、次の号の風の旅人のテーマは、時の文(あや)が重なってくるのかというと、”時”というものの捉え方において、チクタクと時計の針が刻み、人間をけしかけるような現代社会の時間概念ではなく、もっと大きな流れの中で、”時”をイメージしたいからだ。
 それはともかく、花見旅行での湖北の宿泊先は、徳山鮓という知る人ぞ知る所だったのだけど、なんと小泉さんが、しょっちゅう訪れているところだということが判明した。そのことは知らなかったのでびっくりした。徳山鮓の主は、熊や鹿や山菜や魚類など湖北の食材だけで様々な料理を作り出し、特に鮒寿司など発酵食品を極め、日夜研究を重ねている人なのだけど、彼は、小泉武夫さんの弟子だったのだ。
 私は、京都に移住してから鮒寿司に目覚めて、おいしい鮒寿司を食べたくて湖北まで行ったのだけど、まさか、そこでの宿が小泉さんと縁のある場所だとは思わなかった。
 こういうめぐりあわせも、”時”の文(あや)だ。今回の花見旅行の10名のメンバーも、人生の放浪者みたいな人間ばかり。直線的に右肩上がりで階段を登ってきた者は一人もいない。それぞれが辿ってきた道や、やっていることを人に伝えようと思うと、非常にわかりにくくて説明しにくい者ばかりだ。説明しずらいことを研究していたり、説明しずらいものを作っていたり、説明しずらい会社を経営していたり。

 共通しているのは、色々とまわり道や一歩も前に進まないような時を経てきながら、ある日、5億年前のシダの繁茂のように、突然、自分を取り巻く環境がガラリと変わるという経験をしてきている。時間というものは、そのようにワープするものなのだ。計画通りにチクタクと進むのではない。だから、ことがうまくいかないくらいで落ち込んだりする必要などなく、いつか必ず起こるワープの時に備えて、微生物のように、相当な悪条件のなかでもしたたかに適応しながら、地道に生き延びることが大事なのだ。

 料理の価値が、素材の高額さ、世間の評判、輸入品のブランド力、品目の多さ、食器や店舗の装飾性などで決まると考えている人は、自分の人生や人間関係もそのように整えていこうとするだろう。

 しかし、そこには時間の継続性がない。発酵という時間の継続性のなかで環境の影響も受けながら味を深めていく人生、そして社会というものがある筈で、そうであるなら、まわり道も停滞も、発酵のように物事を変容させていくプロセスであり、それがきっと奥深い旨味の基になるのだ。

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