第912回 何もできていない新国立競技場で、60億円が消える?

 こういうことは、もう納得できない。
 見直しになった新国立競技場の問題。ありえない金額に膨れあがったため、白紙撤回になったのに、JSC(独立行政法人日本スポーツ振興センター 河野一郎 理事長)のマヌケな発表によると、これまでに行った契約の額は60億円近くに上り、大半が戻らない見通しだという。
 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150722/k10010161901000.html
 費用の内訳は、設計会社の設計業務が36億円余り、デザインした建築家のザハ・ハディドのデザイン監修がおよそ15億円、それに、施工を予定し設計にも携わった建設会社2社の技術協力がおよそ8億円。
 またJSCは、建築家のザハ・ハディドに対して契約上、違約金は発生しないものの、今後、「オリンピックスタジアムのデザインを手がけた実績を失うことなどに対する損害賠償を求められる可能性がある」としている。
 JSCの理事長の河野一郎は、日本ラグビーフットボール協会の理事でもあり、日本ラグビーフットボール協会の会長を2005年から2015年まで10年間もつとめた森喜朗とも仲がよいのだろうが、新国立競技場の騒動の責任を問われた時に、「自分はコストのことは専門外で何もわからない、政府が決めたことをやるだけ」と恥知らずに答えていた。河野一郎に限らず、森元首相や、文部科学省の下村大臣、デザインの審査委員長の安藤忠雄など、そろって、「こんな大きなものは作ったことはない」とか、「専門でないからコストのことはわからない」、「まかせられたのはデザインだけ」、「だから巨額な費用になった責任は自分にはない」という言い方をしていた。
 だったら、いったい誰が、費用の部分の責任者なのだということになるが、誰が費用の責任者かわからないという状況をうまく利用して、金儲けをしているやつもいる。
 まだ何も出来ていないものの設計業務が36億円とか、何もできていないものに対する技術協力が8億円とか、いったいどういうことか。
 公的機関を相手にすると、こんなに安易に大金が稼げてしまうということか。民間ならば、いくら設計したりデザインしたとしても、仕事がぽしゃってしまえば、そんなアイデアレベルのことにおける金額は、減額ということは普通だ。
 製造原価が具体的に発生していれば、その分は仕方ないが、「オリンピックスタジアムのデザインを手がけた実績を失うことなどに対する損害賠償」って、いったい何だよと思う。そもそも、予算の提示があって、その予算を守るということがコンペの前提の筈。それはどういうコンペだって常識だ。予算をいくらでも使えるのならば、その分、いいものができる可能性は高い。費用が倍以上開いているもののあいだで優劣を決めるコンペということ自体がおかしい。予算オーバーということで、その提案者は失格の筈だ。コンペの際に、そうした取り決めをきちんとしていなかったのであれば、その責任を明らかにしなければならない。
 いずれにしろ、税金をつぎこんで設計費36億円とかを支払うのであれば、それを受け取る会社がどの会社が公表し、公の場で、それがいったいなぜ36億円もかかるのか説明させなければならない。
 そして、公の場で、専門家を巻き込んで、その金額の妥当性を議論しなければならない。
 「費用のことはまったくわかりませんよ」と、恥知らずに言う責任者たちを相手に、こんな金儲けが成り立ってしまう状況を放置していいのだろうか。
 こういう商売が成り立ってしまうのであれば、実現不可能なほどの金額をふっかけて、白紙撤回にさせると、実際に物を作るという責任もリスクもある仕事をせずに、企画とか計画とか設計という名目で、お金儲けができる。
 まあそのように、政治家や役人のご機嫌をとって傍にいるということが、一種の仕事能力なのだろうけれど。
 1億円どころか、1000万円でも100万円でも稼ぐのは大変なことなんだけど、国に対して巨額の設計費を請求するところは、1000万円などは端数にすぎないし、見積もりをチェックする役人も、端数にしか見えないのだろう。
 以前、電通東京オリンピックの招致のための映像制作で5億円を請求し、制作費の明細を見て、目が点になったことがあった。
 海外ロケーションを含む撮影・編集(2億7200万円)、コンピューター・グラフィックス(CG)制作(8千万円)、企画・人件費(5400万円)、エキストラの出演料(2500万円)、音楽・ナレーション(1700万円)など。
 こうしたプロモーション映像を、私も作ったことがあるが、同業者なら、ここで示された金額は、それぞれ一桁以上高いことがわかる。あの映像の内容なら、トータルで3千万もあれば十分だ。
 映画の監督やプロデューサーなら、あれで5億円と聞けば、お金のやりくりで苦労している自分達の努力が、空しくなるかもしれない。小栗康平さんの新作映画、http://www.oguri.info/information/information-339/ の制作過程をずっと見させていただいたが、その制作費と出来上がった内容の素晴らしさを知っているだけに、東京オリンピックの為のチープな映像で5億円を請求できるなんて、やりきれなくなる。
 そんなことを気にするよりは、自分がやるべきことに集中し、私は1冊2000円ほどの本を、毎日コツコツと販売し続けるだけだが、それでも、税金がそのような愚かな状況で費やされてしまうのは、やはり許されないと思う。
 というのは、日本という国は、表現分野でも教育や研究でもそうだが、民間のなかでの寄付を奨励するような税制ではなく、いったん政府機関にお金を集めて、それを分配するという構造を維持しようとしている。お金を持っていることで、役人は権限を誇示できるからだ。お金を牛耳って分配する権利をもって、その為に、人がへりくだってすり寄ってきて大きな顔をしている連中が、そのお金の使い道に対して、「自分はよく知らない、だから責任はない」と言い張っている。こういう茶番を繰り返しているのだから、いったん政府機関に全てのお金を集めてから分配するという仕組みを、変えるべきなのだ。

 いずれにしろ、新国立競技場で、何もできていないのに莫大なお金が発生するのであれば、誰が誰に対して発注して、誰がそのお金を得ているのか、明らかにすべきだと思う。 

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