第919回 姿から滲み出る人間の内面

 

01(撮影 勇崎哲史)

 この写真は、風の旅人の次号(第50号)で紹介する勇崎哲史さんの写真。おばあさんの姿が凜々しく美しい。

 勇崎さんは、1972年から大神島の取材を続けており、このたびの特集で、その40年の記録を紹介する。

 今年の6月下旬、勇崎さんと、宮古島大神島に行ってきた。大神島では、今でも神女(つかさ)と呼ばれる女性達だけのあいだに伝えられ、行われる祖神祭り(ウヤガン祭)がある。
 ツカサ(神女)とされる御婆達が山に入っていき、籠もり、ニガイ(願い)をする。そして神がかり状態になったツカサ達は村に下りてきて、歌い踊る。山の中の御嶽で行われる神事は秘密にされ、男達も見ることができない。この間、ツカサ達は、眠らず、水と塩だけをとっているとも言われているが、詳しいことはわからない。島内の人々にも秘密にされ、家族にすら話してはならないとされているそうだ。
 いずれにしろ、神がかり状態になったツカサ達は、山から下りてきて、驚くべき速さで走ったり、崖から飛び降りたりするそうな。
 ウヤガンの意味は、祖霊ということらしいが、それが何を指すのかよくわからない。自分達の祖先なのか、もっと根元的なものなのか。人々は、天から降りてくる大神とは別に、先祖のことを「死んだ神さま」と呼び、神さまを分けているが、いずれにしろ、ウヤガンは、豊穣や子孫繁栄を願ってのものだ。自然の恵みや、祖先達が代々伝えてきた知恵に対する感謝と、畏れ多さと、そうしたものを受け継いでいく使命がこめられているのだろう。
 今でも日本全国に様々な祭りがあるが、そのほとんどが、娯楽や見世物になってしまった。行政機関から助成金を得るために、マスコミに取り上げてもらい、知名度をあげ、大勢の観光客に足を運んでもらうことが目的化されている祭りもたくさんある。
 だから、大切な場所に我が物顔でテレビカメラが入って居座り、祭りの主催者達はテレビ映りをよくするために衣装や仮面を新調する。祭りの主役達の顔にもまったく緊張感が感じられず、形ばかりの衣装を身につけ、ダラダラを歩くだけ。そんな祭りは京都にも多い。
 大神島の祭事は、実際に目にすることはできないし、その内容について詳しい話も聞けない。だから、ツカサ(神女)になるオバア達の佇まいを通して、その向こうにある世界を察するしかないが、オバア達の包容力ある人柄に触れると、彼女たちの使命が、現在、そして未来を生きる人達の幸を願うことにあると自然に感じられる。
 勇崎さんは、秘密の祭そのものを撮ろうと考えたことはないと言う。そんなことをしなくても、大神島の人々の表情、佇まいをしっかりと撮ることで、多くの日本人が失ってしまった神聖な内面世界を捉えることができるという考えに基づいて、40年間、大神島に通い続けている。確かに、彼の写真を通して、私たちは、便利ではあるけれど世知辛い暮らしのなかで失いつつある人間の尊厳や包容力、目先の打算にとらわれることのない揺るぎなさを感じることができる。

 ここ数日、人間の尊厳という言葉が空しくなるようなニュースが続いている。ハンガリー大平原を駆け抜けていく難民の子供の足をひっかけて転倒させるカメラマンを写した映像、学生アルバイトを搾取して鬱病に追い込んだ店長の「殺すぞ」という声が盗聴されていたこと、介護老人施設で老人の身内が設置した隠しカメラに映し出されていた老人を虐待する介護職員の姿、内部告発が続く東芝の不祥事、オリンピックエンブレムで、審査員にも知らされずに修正作業が続けられていたこと、エンブレム以外でも多数の盗作がなされていたことの暴露、これまでは精神性の低い行為でもうまく隠し通して世間を欺けたことが、次第に通用しなくなってきている。虚栄の時代が終わり、真に心が豊かだと感じられるものが支持される時代に移行していけば、たとえ物質的に多少の不便を感じることがあったとしても、きっと心健やかに過ごせるにちがいないと思う。

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