第980回 使用済み核燃料のことから原発問題を考える③

②から続く

 福島原発事故は、もしかしたら80年前の満州事変かもしれないと思うことがある。あの時に止めておくべきだったのだという歴史的節目は必ずある。
 集団的自衛権など改憲問題も大事だけれど、悲劇は、人々が意識できるような形で起こらない。私たちは、過去の教訓があるので戦争に関して不穏な動きがあれば多少は敏感になって反応できるかもしれないが、原発問題は経験に乏しく、何がどうつながって最悪な事態へと展開していくのか想像もつかない。
 80年前の太平洋戦争の場合、突然、真珠湾攻撃が始まったわけではなかった。 
 1923年に関東大震災、1929年の株価大暴落による世界恐慌の後、1930年から昭和恐慌、そして、1931年に満州事変が起こる。
 国内の苦しい現状を変えようと、大陸進出を始めたのだ。
 1904年の日露戦争に勝利した時から、日本は、満州にどんどん投資を行っていた。学校や病院が作られ、炭鉱が開発され、満州にわたる日本人も多かった。満州が、日本の経済の一部に組み込まれていた。しかし、清から中華民国に変わり、ロシアや欧米諸国との駆け引きも複雑化してきて、満州で思うような経済活動がやりづらくなってきて、力づくで占領するという行動になった。
 満州事変は、戦争好きな軍人が、自らの利権のためにやったのではなく、当時の時代背景や、経済の問題(食べていくには仕方がないという論理)が大きく関係している。
 そして、当然ながら、日本の強引な手法が各国の非難を浴びることになり、日本は次第に国際社会から孤立していった。
 日本が起こした満州事変について、1933年の国際連盟特別総会で審議され、日本以外の総会に参加した全加盟国が、満州国を認めなかった。
 その時、日本の全権を任命され総会に参加していた外交官・松岡洋右は、「日本は国連の決定を受け入れることができない」と演説を行って帰国し、日本国民からは拍手喝采で出迎えられた。その流れで、1935年に、日本は正式に国連を脱退する。にもかかわらず、終戦後、日本人は、政府に騙されていたと言うのである。
 一度、負のスパイラルに陥ってしまうと、なかなか抜け出せないことを歴史が教えてくれる。
 1932年の5.15事件に続いて1936年に2.26事件、1937年に日華事変があり、1941年に太平洋戦争が始まる。その後でも、ミッドウェイやガダルカナルで大敗北をして、潔く負けを認めて戦争を終わらせるべき機会はいくらでもあった。しかし、それができず、東京をはじめとする各地での大空襲、沖縄戦、広島と長崎への原爆投下など、後になればなるほど被害は甚大なものになっていった。
 なぜ、あの時に止めることができなかったのかと後で後悔しても遅い。
 原発のことを考えてみる。
 2011年3月11日の福島原発事故の後、人々が原発に対して拒否感をもっていたのは、わずか一年ほどだった。一年ほど経った頃から、日本経済のために原発はやむをえないという声が大きくなりはじめた。
 原発の危険性を訴える反対派に対して、安全に管理すれば大丈夫と答弁する政府や電力会社を信じるべきなのか、それともやはり危険なのかという議論は、安全が保証できるのであれば原発をやっても構わないということでは同じなので、それを判断するために原子力規制委員会が作られ、原発の安全性の審査を行う仕組みになった。専門家が様々な角度から審査をして、それに通れば、原発を動かしてもいいというお墨付きを得るのだ。
 この仕組みは、原発稼動のための条件を、”原発の構造などの安全性”というかなり限定したものにしており、使用済み核燃料のことは、一切考慮されない。
 原発を稼動させると、当然ながら高レベル放射性廃棄物が生まれるが、それを保管する場所が、原発敷地内に用意されているか、それが危ういなら他に中間貯蔵できる場所を確保しているか、その後にどうするかといったことが、当然、考えられ、決定されていなければならないが、その判断は原子力規制委員会の仕事ではないのだ。
 高レベル放射性廃棄物から大きな事故が発生する可能性があるのに、福島原発事故とは違う形で現時点では予測できない新たな問題が起こる可能性だってあるのに、それを判断する審査は存在しない。
 太平洋戦争もそうだったが、後になって、国民は騙されていたと言う。しかし、おそらく戦争への道を推し進めていた人たちは、騙すつもりではなく、うまく説明できなかっただけかもしれない。
 原子力発電所の問題にしても、現在、原子力利用における安全を確保するため、安全規制に係るのは環境省の外局である原子力規制委員会の役割である。
 そして、核燃料の確保、放射性廃棄物の処理と処分、原子力発電所の建設等は経済産業省、核燃料物質などの輸送や原子力防災に関連することは国土交通省放射線障害の防止と、環境放射能水準の観測を行う放射線環境対策、核燃料サイクルに係る基礎的研究開発、それと原子力損害の賠償は、文部科学省が担当する。あと、原発就労者の労働災害防止とか、住民の被爆など健康問題、食品の放射能問題は厚生労働省
 それぞれの行政責任が分かれていることで、互いに牽制が働くという考えも成り立つが、全体を通して把握し判断し説明できる人はいなくなる。もちろん、それが政治家の役目であるが、それぞれの省庁の担当大臣はころころ変わり、政権中枢は、次の選挙のことを考えて、「経済最優先」「3本の矢」としか言わない。
 おそらく、太平洋戦争の前だって似たような状況だったろう。陸軍とか海軍とか、自分たちが得ている情報だけをもとに自分の正当性を主張するばかりで、全体を正確に理解し、判断し、伝えられる人がいなかったのではないか。
 こうした状況は、政治に限らず学問の世界でも似たようなところがあり、部分の説明を聞けても、それが全体とどういう関係にあるのか、うまく説明してくれる人は、なかなかいない。
 そのようにバラバラの情報ばかり流れてくるから、国民の興味関心も薄くならざるを得ない。
 原発問題も、危険かどうか、経済に対する影響がどうか、という論法ばかり。それ以上、どう考えればいいのか、考え方じたいがわからない。そのようにして、高レベル放射性廃棄物や、政府は廃棄物とは呼ばないけれど危険物質で扱いの難しいプルトニウムが蓄積していくのだけれど、国民にとって、あまり自分ごとでなくなっていく。満州事変が起こっても、多くの国民にとっては自分ごとではなかったように。
 事態が悪くなっていくと、政府は、国民に余計な心配をさせないためとか、パニックになって暴動を起こすことを防ぐため、といった理由で、ますます情報を隠蔽するようになるだろう。
 そのようにして、後に「あの時は騙されていた」と言い逃れしやすい状況が作られる。
 高レベルの放射性廃棄物に関して、カナダでは、しばらくの間、最終処分地は決めないようだ。
 最初の60年は原発敷地内、または浅い地下の貯蔵施設で管理し、その間により安全な処分方法の開発とその賛否などを問う国民的な議論を行う。その後、深い地下への地層処分をすることになっても方針変更があった場合に備え200年は廃棄物を回収できるようにしておく。
 国民に詳しく説明しないまま最終処分地を決めて、そこに埋めてしまえば、それこそ臭いものにふたをした状態になり、国民の多くは、罪なことをしたという意識を持たないまま始末におえないものを次世代に先送りすることになるが、現在の日本には、そのように自分の良心の痛まない方法で物事を進めてもらった方がいいと心の中で思っている偽善者は多い。
 それは倫理的に問題だと言葉で言うことは簡単である。しかし、国の借金にしても、平気で次世代に先送りできてしまうのが、我々、高度経済成長下の日本を生きてきた者たちのメンタリティなのである。
 物であれ何であれ、自分の豊かさを自分で享受するだけでは満たされず、それを人に見せびらかして満足する人が多いことが、物と情報を次々と消費する社会をつくりあげたが、おそらく、原発問題というのは、そうした、”今、自分が楽しければいい”という消費社会のメンタリティと切っても切れない関係にある。
 問題を先送りにしてしまう心理の問題は、実に根深いものだ。高度経済成長時代を生きてきた我々は、自分では意識できていないけれど、人として大事なことを忘れてしまっているのだろう。
 自分を快適にすることばかり考えていても、自分は、心底、幸せになれないということ。
 戦争にしても原発にしても、多くの国民が、自分の良心を痛めて悩む状況こそが、推進するうえで一番の支障になる。
 当事者意識を持たずに敵を攻撃するだけのスタンスは、賛成でも反対でも、自分の問題として捉えていないことは同じで、そうした活動は、自分は正しいけれど世の中は間違っているという風潮を広めることに一役買っているだけである。
 反対の声があちこちで聞こえるのに何ら現状が変わらないのは、たぶん、そのためである。
 自分の問題としてとらえたら、果たして何から変えていけるのか。
 できるだけ消費を抑えること。経済を基準に政府を選ばないこと。生きていくために仕方ないなどと安易に判断せず、他の方法で生きていく手段を考えること。
 政府頼みになると、現実を変えていくのではなく、現実がこうだから仕方ないという論法にそって、きっと物事が進められる。戦争も、原発も。