第985回 企業トップの内面は、トップが意識している以上に企業に顕現化する。


 今回の東芝のように、企業の不祥事が起こると、この記事のように経営陣の体質という分析がよくなされる。
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実際に、経営の舵取りをしている人間によって企業の盛衰は決まる。しかし、それ以前の問題として、どういう人物が経営者になっていくかという企業風土の問題があると思う。
 社内の調整役が出世しやすいのか、アイデアマンなのか、業績に貢献した人か、それとも人格者なのか。
 私は20歳で大学を辞めて2年間諸国放浪をして帰国後、2、3年、昼夜逆の生活をしながら文学青年を気取っていたが、25歳を前に、あることをきっかけにアウトサイダーのままではだめだ、社会の中に入り込んで社会を内から知らなければいけないと奮起し、サラリーマンになった。そして、どうせなら社会に対する感度がもっとも敏感なところがいいと思い、宣伝販促、PR、マーケティングに関わる仕事に携わった。その時、最初に出入りするようになったのが、浜松町に煌めく高層インテリジェントビル、東芝本社だった。
 1980年代後半の東芝は光り輝いていた。家電分野は中国などと競争する以前で大きなシェアを誇っていたし、ラップトップパソコンも高性能、軽量、デザインもよくて評判だった。そして半導体も世界でナンバーワンだった。そのうえ、ソニーやナショナルが持たない原子力をはじめとするエネルギー関連分野があった。そして、巨大自動車メーカー、フォードと提携するなど、東芝の社員は自信満々だった。私の担当は東大出身で、あいだに入っている電通の担当も東大出身だった。東芝はどこから見ても隙がなかった。
 しかし、社長プレゼンの前日、社長へのプレゼンはたった10分ほどなのに、プレゼンの準備とともに、床のゴミをガムテームできれいに剥がしとっていったことを覚えている。とにかく課長以下が緊張しまくっていた。社長は、雲の上の存在で、しかも、仕事内容だけでなく、何が原因で「あいつはダメだ」と烙印を押されるかわからないという恐怖があったのだ。
 その後、私は、数年間、カネボウ化粧品の仕事に深くコミットした。この会社もまた上に立つ者が威張っていたし、個人の利のために、社会通念上もしかしたら法的にも問題のある要望のほのめかしもあった。上の者が威張っているので、下の担当者も下請け会社に対して、ありえないほど横暴だった。出入り業者として見下しているのか、約束時間になっても出てこず、1時間も2時間も会議室で待たされたことは当たり前で、待たせても申し訳ないという顔一つしない担当者もいた。なにせ年間の取引金額が莫大だった。このカネボウの経験で、25歳の時に決めた社会経験はもう十分だと思った。30歳だった。どんなに貧しくても不安定でも、精神の奴隷状態の生き方よりは遥かにマシと決めた。
 当時のカネボウは、実に巧みな戦略をとっていた。世間では、資生堂カネボウの二つの会社がライバルのように見えていたが、実績は資生堂がダントツで、カネボウ、コーセー、花王がしのぎを削っていた。カネボウは、徹底的に資生堂の真似をして、キャンペーンのタイミングも合わせて二強対立を演出することで、花王やコーセーを引き離した。しかし、当時のカネボウ化粧品は、鐘紡という繊維会社の事業部にすぎず、繊維部門は衰退して赤字だったものの、伝統的に、ずっと繊維部門出身が社長だった。化粧品部門は一番の稼ぎ頭だったが、化粧品トップは、事業本部長にすぎなかった。しかしその後、数字を盾に、その事業本部長がカネボウ全体の社長になって長く君臨し、その間に、不正会計を積みかさねた。数字で掴んだ権力だから、数字を悪く見せることはできなかったのだろう。
 実は、化粧品業界は、バブルの後、カネボウに限らず資生堂も危機に瀕していた。肌の違いに応じた多品種の商品をそろえ、肌診断を称してカウンセリングを行い高級基礎化粧品を売りつけていたツケだった。バブル崩壊後、販社やチェーン店に在庫が山のように残り、身動きとれない状態だった。その時、資生堂は、創業者の孫の福原義春さんが、世襲ではなく実力でつかんだ(義春さんの父は跡を継いでいない)アメリカ支社長から、本社社長になった。社長になってすぐ不良在庫を処理して莫大な赤字を計上し、有名な話だが、自腹で「木を植える人」という本を全社員分購入し、社員全員に配り、その後、V字回復した。いっきょに膿を出し切って、一丸になって頑張ろうと社員に呼びかけた結果だ。財界屈指の文人肌として知られ自分でも写真を撮る福原さんは、風の旅人を愛読してくださり、万年筆でしたためた感想をよく送ってくださった。何度かお会いし、禅問答のような経営の話が興味深かった。破綻したカネボウのトップも、同じ時期の資生堂のトップも知っているが、徳の違いはあまりにも大きかった。
 30歳になるまで、東芝カネボウ以外に、ホンダやセブンイレブンなどの仕事もやった。ホンダは仕事の質に対する要求は厳しいが、社員が、社外の我々と一体になって苦労してくれて、より良いものを作りたいという情熱も強かった。だから問題がある場合とか、何かが必要な場合とか、割とフランクに言えた。カネボウはそれが非常に言いにくかった。早い方がいいと思って何かあればその都度というスタンスで伝えると、「忙しいんだ、まとめて伝えろ」という感じで怒られたりした。東芝の場合も、あいだに電通が入り、電通東芝に気を使いすぎていることもあって、気軽に電話で伝えるなどできず、いちいちレポートのようなものにまとめなければいけなかった。時間とエネルギーを割くべきは他にあるのに、本来は必要のない段取りに多くの時間とエネルギーが割かれた。
 セブンイレブンは独特の会社で、長いあいだ、鈴木社長がカリスマとして君臨していて、社長のことを部長以下全員が恐れていたので、その分、部長も含めて、社長に叱られないための準備に非常に協力的で、うまくいくと、みんなでほっとして、同志的なつながりが得られた記憶がある。
 カネボウは不正会計で上場廃止となり実質的に破綻し、東芝も、不正会計で、破綻の危機に面している。どちらも、悪者が誰なのか明確には分かりにくいという点で共通している。企業体質と言ってしまえばそれまでだが、たとえばホンダもセブンイレブンも、はっきりと顔の見えるリーダーがいた。そしてそのリーダーは、単に経営上のトップというだけでなく、その言葉が日本社会のなかで頻繁に伝えられ、一人の人物としても一目を置かれていた。
 人として、またビジネスを行ううえで何を大切にすべきかを明確に語るトップがいること。そういうトップがいると、判断に迷った時でも、宙ぶらりんのままにして問題を先送りにはしない。なぜなら、そういう言い加減なことをしていることを知った時のトップの悲しげで怒り狂う顔が心に浮かぶからだ。人格者というのは、ふだんは温厚でも、そういう時は鬼のように厳しい。
 問題のある企業のトップの怒りは、その基準がよくわからなかったり、仕事内容ではなく、目の前の数字だけが基準だったりする。
 東芝は、あれほどの巨大企業なのに、トップの価値観どころか顔すら思い浮かべられる人は少ない。カネボウ化粧品もそうだった。ともに、社内では立場を利用して帝王のように君臨していたのに、一人の人物としては、社会的にほとんど知られていない。社内政治に強かっただけでトップになったからだろう。日本のサラリーマン社会でよくあるように、「何をしているんですか?」と聞かれた時に、「◯◯銀行、◯◯商社に勤めています」という答えしか返ってこないような、つまりただの会社人間で社内の事情に強いだけの、組織なければ何もなしという人をトップにしてしまう企業風土のある会社は問題があると思う。
 経営トップが、その存在だけで、人としていかに生きるべきかをオーラのように発している人であれば、企業の不祥事は、そんなに起こらないはずだ。不祥事だけでなく、その企業が生み出す商品やサービスにも、トップの人格は反映されると思う。
 企業トップの内面は、トップが意識している以上に、その企業において顕現化する。