第1005回 政治の単純化と、われわれの思考の単純化は相互関係にある。

 安倍政権は、これまで、選挙に強いことが強みだったらしい。選挙に強かったから、自民党内でも、安倍一強だったようだ。
 安倍政権が選挙に強かったのは、実績でも、実力でもなかった。他に受け皿がなかったこと。そして、他の政党よりも、「経済」に特化した単純なアピールを行い、「成果をあげます。任せてください」と単純な言い方で強調し、その政策に期待するしかないと国民に思わせてきたからだ。
 安倍首相や、稲田防衛大臣をはじめ、彼のお気に入りの閣僚の論法は、非常によく似ている。核心の部分についてはまったく答えず、「いま我が国を取り巻く本当に厳しい状況のもとで、一層の緊張感を持って、しっかりと職責を果たして参りたいと思います。」という内容をオウムのように繰り返すだけである。日本語が理解できる人なら、質問と回答が噛み合っていないと何度も感じさせられている。
 こうした答弁が、あまりにも続くので、さすがに、国民は苛ついてきた。
 また、安倍政権は、自らの政策の成果として、株価などのわかりやすい数字だけをアピールする。しかし、株価の実態は、日銀や年金積立金管理運用独立行政法人(GRIF)からのお金で、株価の底上げをしているだけである。
 もっとも安易な方法で株価を上げようとしてきたため、日銀の日本株保有残高は17兆円を突破し、発行済み株式数の5%以上を保有する企業数は83社に上る。日銀は、年6兆円ペースでETF日経平均株価などの動きに合わせて、それと同じように動くように作られている上場投資信託)を購入するという市場経済の原則からすると禁じ手としか思えない方法で、日経平均株価を買い支えている。
 孫正義氏がサウジアラビアと連携して立ち上げた10兆円の巨大ファンドが大騒ぎになったが、それ以上の規模の実態のないお金が日銀によって動かされている。企業の業績とは関係なく株価だけは上がっているから、株に投資できる富裕層や、低金利のため資産運用で利益を出すしかない保険業、そして本業が芳しくないので株などの運用益で利益を出そうとしている会社は、この政策を支持する。こうした皺寄せが後からどう出てくるかわからないが、とりあえず今、恩恵を受けることができればいい。そういう考えを持っている人が多いことも、安倍政権が支持される原因になっていた。
 しかし、世の中の多くの人は、そういうイカサマから恩恵を受けることはなく、安倍政権が行っていることがまことに都合のいい人と、そうでない人とのあいだで、差が露骨になってきた。そして、自分にすり寄ってくる人たちを仲間として扱い、自分に反発したり批判する人たちを感情的に敵視することしかできない幼稚な人物が、この国のトップであることに疑問を持つ人が増えてきた。
 こうした幼稚な人物が高い支持を受けてきたのは、アメリカのトランプ大統領の場合も同じだが、国民じたいに、幼稚なところがあるからだろう。
 幼稚さは、感情と思考が単純であるところに明確に現れている。
 「難しい状況説明はいいから、結果だけを出してくれればいい。」
 世の中の至るところで、こういうやりとりが増えた。長文の文章を読んで文脈を読み取ることよりも、わかりやすい答えだけ教えてくれればいい、もしくは、具体物さえ見せてくれれば説明はいらないというスタンス。
 政治だけではなく、文化においても同じだ。美術展なども、行政や企業から資金援助を受けるためには、内容よりも、集客数が問題になる。だから、近年、話題性を狙った企画が非常に多くなっている。集客数の多さや、メディアでの露出=成功という単純さなのだ。
 ワンフレーズポリティックスなど典型的だが、難しい話だと人の心に届かないという判断で、できるだけ簡単な言葉で、細かいところは省略して伝えることが効果的だと、政治でもビジネスでも文化でも信じられている。
 しかし、時代の問題、社会の問題、人類の問題を自分ごととして引き受けて考えるならば、単純な言葉で語ることなどできない。
 単純化できるのは、けっきょく、自分にとって都合の良いことかそうでないかを判断させる際の言葉だ。
 「そんなの自分にはメリットはない」、「自分には意味がない」というレベルにことなら、それ以上の説明はいらない。しかし、未来の社会にとってどうなのか、人類の問題として考えるならどうなのかを説明しようとすると、簡単な言葉にならないし、簡単な結論も出せない。簡単に答えを出せない状況のなかで、みんなで知恵を出し合って考えようよと問いかけることしかできない。しかし、宙ぶらりんの状態で葛藤することに耐えられない人が増え、そうした思考の積み重ねを、拒否するようになっている。
 時代の問題、社会の問題、人類の問題を自分ごととして引き受けて悶々とする過程をスルーしてしまっているのに、そんな自分を正当化するように、もっとわかりやすく、もっと単純に、と要求するのである。もはや、難しい内容の本は数多く売れないから、出版社も作らず、さらにわかりやすく、単純なものばかりが跋扈するようになっていく。
 また、原発や平和をテーマにしたイベントなどにおいても、仲間意識を持っている人が集まっているだけのことが多く、論理的に異論を述べている人は、ほとんどいない。できるだけ議論しないで衝突を避ける空気が蔓延している。だから、異なるものの考え方に対して、抵抗力もつきにくいし、応じる力も育たない。結果として、どちらにつくかという感情的な判断しかなくなり、こちらにつかないものを、敵とみなす。
 「あんな人たちに負けるわけにはいかない」と、一国の首相が都議選の応援演説で言い放ち、リーダーとして器の小ささをさらけだしてしまったが、私たち一人ひとりにとっても、他人事ではないのだ。
 老獪な小池都知事は、自民党に勝つために活動しているのではなく、古い自民党をやっつけて、都民ファーストを引き連れて新しい自民党の総裁になり、この国の首相になることを目指しているかもしれない。小池都知事は、安倍首相よりもはるかに上手に、敵と味方を分けて戦いを優位に進める策士である。
 安倍首相は、加計学園問題などで批判されているが、誰にでもわかるような傲慢さと稚拙さがすぐに明らさまになってしまう脇の甘さで、実はまるで大したことのない、凡庸な人物なのだろう。
 だから、担ぎやすく、結果として、一強に見えていただけかもしれない。
 たとえ安倍政権でなくても、「金が儲からなければ、意味ないでしょ」「金がなければ、福祉も、平和も、実現できないですよ」という価値観がはびこっているのならば、これまで安倍氏のやり方で押し通せたところは押し通してきたけれど、それが難しくなってきたら他の方法でそれを押し通そうとする人が出てきて、国民に支持されて、代わりにトップになるだけかもしれない。安倍首相のように、「あんな人たちに負けるわけにはいかない」などと稚拙な対応をとることなく、次のリーダーは、穏健ながらも賢く容赦のない方法で、邪魔者を切り捨てていくかもしれない。もしかしたら、それが小池都知事ということもありえる。

「そうしないと、経済発展しないんですよ」という、やんわりとした言い方に納得させられてしまう人間は多いだろう。共謀罪は、テロリストに対する備えではなく、「危険思想」の持ち主に対するものであり、危険思想というのは、現在においては、国家の豊かさや強さの邪魔になることを指す。
 政治家に期待する前に、はたして自分の中の価値観や思考や暮らしの中の実行がどうなのかが大事であり、政治の方向性は、畢竟、その一人ひとりの価値観や思考や実行の総合が決めていくことになる。
 国民の暮らしを守るということは、価値観と思考を単純化してしまうと、経済を豊かにする(原発容認)ことと、防衛力や治安維持力(共謀罪容認)を増すこと、でしかなくなる。そういう価値観と思考と実行によって、いったい何が失われていくのかじっくりと考え、備えていなければ、後になって、そんな筈じゃなかったということになる。
 今回の都議選に関しても、驕った自民党への制裁とか安倍政権への打撃などと単純化しない方がいい。
 我われは、政府にいったい何を求めているのか。
 多くの人は、生活が安定し、福祉も充実し、老後の心配もなく、子育ての不安もなく、外国の脅威も感じず、公共設備も整った状態を望む。そのことは仕方がない。
 しかし、そうした望みに対して、「お金がなければ、できないでしょ」「経済状態が悪ければ、そんなこと無理でしょ」という論法に対して、一人ひとりが、どう答えられるか。なんとなく違和感を感じながらも、その違和感をうまく説明できないため、空気に流されて同意してしまうかもしれない。
 今すぐに答えられなくても、自分の考えをじっくりと育んでいけるかどうか。そのように思考の準備をする人の数が増えなければ、単純で強引で巧みな論法に安易に絡め取られてしまう人の数ばかりが増え、その数に飲み込まれてしまうだろう。今回の都議選における都民ファーストの圧勝にしても、いくら自民党の不祥事があったとはいえ、それだけでは今回のように歴史的大差になるとは思えず、大勢の人が、小池都知事の敵味方を単純化した巧みな戦術に絡め取られた結果かもしれない。