*第1014回 時代や地域が変わっても変わらないもの

 11月2日に、スタンフォード大学京都プログラムで来日している学生達に、編集と日本的な時空間の関係などを講義する機会をいただいた。もちろん、『風の旅人』をベースにしての話だ。
 2003年4月から50冊の『風の旅人』を作ってきたが、対談や講演では、写真について語ることが多かったものの、編集の方法や編集の考え方について話す機会はあまりなかった。
 このたびは、編集そのものについて語らせていただき、そのお陰で、自分が無意識にやってきたことを、自分の言葉で捉え直す機会となり、改めて気づくことも多かった。
 また、日本語をまったく理解できない人たちとのあいだで、『風の旅人』を通じて、わかり合える部分があったことは、大いに収穫であり、自信になった。
 この話は、友人の写真家であり風の旅人の掲載者でもある荻野NAO之君からいただいたのだが、当初は、風の旅人の中に編み込んでいるものがうまく伝わるかと心配だった。しかし、授業を行う一週間前に、風の旅人の第49号を少し見ていただいて一人ひとりレポートが提出され、それらを読んで、非常に驚いた。
 彼らは日本語はまったく理解できないのに、ビジュアルの構成を見るだけで、全体と部分と関係や、部分と他の部分の関係を、ちゃんと掴んでいる。しかも、その掴んだ感覚を、非常にロジカルに言語化できる力を持っている。すごいなあと思った。
 これだけ把握力があるのならばと、自分の下手な英語で説明しても大丈夫ではないかと妙な自信を持ってしまった。
 当初の予定では、微妙な綾を伝えなければならないので、以前、風の旅人の編集部に所属し、私の仕事を誰よりも理解していて、さらに現在は、プロの通訳としても活動している中山慶君の力を全面的に借りる予定だった。
 しかし、講義の後に質疑応答も必要だとすると、日本語と英語の両方の説明では時間が2倍かかってしまい、1時間15分の持ち時間では全てを伝えきれないのではないかと懸念もあった。中山慶がいれば、私の英語で意味不明になった場合にうまく修正してくれるだろうと安心して、とにもかくにも、日本語でも伝えにくい領域のことを英語で伝える試みにトライしてみた。
 講義の前のレポートを読んで、スタンフォードの学生たちは、言うに言われぬ感覚を言語化して確認しようとする意欲が強いのだと感じた。日本人の場合、言うに言われぬ感覚を言語化してしまうと、違うものになってしまうんじゃないかと懸念する人も多いけれど、スタンフォード大学の学生のレポートは、人それぞれまったく違う思考のアプローチなのに、的外れになっていない。
 『禅は言語・文字を超えたものだ』という言い方がある。しかし、『以心伝心』『不立文字』という言葉にアグラをかいたままでは、ほんものの禅ではないという考え方もある。言葉を超えたものを言葉に定着させるという懸命なる精神の運動の挙句の言葉からの跳躍でなくして、本当の禅だと言える筈がない。日本の学校教育の問題点は様々あるけれど、情報の断片を知識と称して、それを頭の中に詰め込むだけで、それらの情報を自分なりの思考の方法で編集して自分の考えとしてアウトプットするトレーニングが、どれだけできているのかと心配になる。一国を代表する首相が、自分の言葉で語らず、誰かが作成したペーパーを読むだけなのだ。どちらが優秀かとか、そういう問題ではない。
 スタンフォードの学生向けの講義の大切なテーマは、『風の旅人』の編集で、心とか命という言葉にしずらいものを、どう伝えていくかということだった。だから、編集以前に、今回の講義においても、その伝達にチャレンジする必要があった。
 だからまず、「風の旅人」というタイトルの説明から始めた。
 風という日本語には、色々な意味が含まれている。風景、風土、風流、風雅、風狂などなど。風は、私たちの周りを取り囲む世界と、私たちの内面の世界の両方を横切っている。
 私たちの周りを取り囲む世界と、私たちの内面とが、響きあい、反応し合うこと。私たちの心にとって、それは、とても重要なことであり、それが、風の旅人のテーマである。すなわち、風の旅人は、心の旅の雑誌なのだ。
 心の旅の雑誌であるけれど、果たして、心というのは、どこにあるのか?

 多くの人たちは、心というのは、私たち一人ひとりの中にあるものと考えている。
 しかし、最先端の科学研究では、どうやらそうでないということがわかりかけている。
 最新の脳科学で、ミラーニューロンというものが発見された。
 猿が何かを持ち上げると、脳の中の一部が活性化する。そして、その猿の動作を見ていた他の猿の脳の中でも同じことが起こる。
 ミラーニューロンは、他者の動きを見る時だけでなく、他者の痛みすら共有する。
 たとえば、目の前の人の手を金槌で叩かれるところを見たら、自分も思わず手を引っ込めてしまう。明らかに脳の中の同じ部位が反応はしている。
 しかし、反応するものの、叩かれていない人の手は、当然ながら痛くない。それはなぜか。
 新たな実験で、手を失った人の目の前で、別の人の手を叩いてみた。そうすると、手を失った人は、自分も叩かれているという痛みを感じ取った。
 手がある人は、同じ光景を見た時、自分も叩かれているように感じるけれど、実際に痛みは感じない。しかし、手を失った人は、自分も叩かれているように感じ、さらに痛みも感じてしまう。
 つまり、手がある人は、眼の前の人が叩かれているのを見た時、脳内で自分も叩かれているように感じるものの、自分の手の感覚受容体が、自分は叩かれていないという信号を発しているらしい。そのために、痛みにならない。
 しかし面白いことに、手がある人の手に麻酔の注射を打つと、眼の前の人と痛みを共有してしまうことがわかった。すなわち、皮膚感覚がなくなれば、自分と他者のへだたりがなくなる。だから、人の痛みがわかるという時、それは自分の中に閉じられている心がわかるのではなく、私たちが存在しているこの環境の中に満ちている大きな心があり、その大きな心が、痛みを感じ取って私たちに伝えるのである。
 そして、大きな心が、この環境に満ちているのであれば、そこに含まれているのは人間だけでない。私たちは、様々なものとつながっており、通い合うことが可能なはずだ。
 そして、さらに大事なことは、私たちが今ここに存在している環境もまた、この時代の他の環境だけでなく、過去における環境とも一つながりであるということ。
 これは宗教的な話ではなく、最新の脳の研究から導き出すことが可能な新たな視点である。
 つまり、心というものは、本来は、一つながりのものだけれど、私たちの分別が、それを分断していく。
 とりわけ現代の学問や、表現活動の多くは、その分断に力を貸している。
 その一つが、権威づけを行ったり、カテゴリーやジャンルによって、世界を分けていくこと。
 カテゴリー分けとはどういうことか。一つ見本を見せてみたいと思う。
 そう言って、私が実際に行なっている写真の構成を実演してみせた。素材は私がピンホールカメラで撮影している古樹と磐座の写真。これらを樹木や石というカテゴリーで組むこともできるし、京都や熊野など、場所でカテゴリー分けすることもできる。一般的な雑誌では、そのように編集することが多い。しかし、私は、そういう組み方をしない。樹木や磐座、また地名といったカテゴライズは、人間の都合でかってに行なっていることであり、自然は、そういう分別と無関係に存在している。
 人間は、物事を理解しやすいように、自他を分別し、さらに他者の所属すべき種類やジャンルを決めて分類して整理する。そのように世界は細かく分断されてしまい、本来、全体に満ちていたものを感じにくくさせてしまっている。
 日本の中世文化は、そういう人間の分別意識が世界の実態を損なってしまうということを、とても深く自覚していた。禅はその代表だけど、連歌とか、屏風などの表現方法もそこに含まれる。
 そして、連歌がどういうものか、屏風の時空がどうなっているのか、説明した。
 風の旅人は、自分で言うのもなんだが、そういう日本の伝統的文化の方法論を受け継いで作っている。
 ナショナルジオグラフックスのように、大特集とそれ以外という分け方をしない。
 どの部分も大事な役割を果たして、全体および、他の部分と関係しあっている。
 また、有名な写真家と新人のあいだでも、区別をしない。対等である。一切の権威づけをしない。紹介の順番も、新人の作品が一番最初になっている場合がある。
 そして、写真家や作家の経歴を載せない。どんな賞をとったとか、どれだけ活躍しているかといったことは、写真や文章を読む上で、先入観につながるだけであるから必要ない。だから、作家や写真家の生まれた年と、生まれた場所だけを紹介している。読者は、いっさいの社会的権威とか関係なく、そこにある写真と文章だけに向き合い、何かを感じることが大事なのだ。そして、その何かとは、自分と世界のあいだに満ちている心である。
 私たちの中に心があるのではなく、心は私を含む世界中に満ちていて、私たちの感覚器官がそこにアクセスして、その都度、異なる心の状態を引き受けている。つまり、大きな宇宙の小さな場を引き受けていることが生きることである。
 だから、自分の中心のたった一つの変わらぬ心、世界の中心の変わらぬ価値というものは幻想であり、心も世界も常に動き続け、変容し続けている。
 現代人は、たった一つの変わらぬ中心を欲するあまり、権威を求め、権威に頼る。
 しかし大事なことは、変わらない中心ではなく、絶えず動き続け、生成しては消滅していく過程である。そのことを知るためには、世界に満ちる心と一体になることだ。
 編集という言葉は、日本語では、集めて編むということ。
 世界を切り分けて紹介することではなく、一つの世界を編んでいくこと。編集されたものと、世界はイコールである。だから、編集する者も、それを見る者も、編集を通じて、自分と世界が呼応し合う関係であることを察する時、何かしらの懐かしさを感じている。
 思えば、私が風の旅人を創刊するきっかけとなったのは、2001年9月のアメリカ合衆国テロと、その後の、アフガニスタンへの侵攻である。
 その時、私は、世界が、激しい原理主義の戦いへと陥ることを予感した。
 原理主義というのは、異なる中心を持つものどうしが、頑固に自分の中心を信じて、戦うことである。たった一つの変わらぬ中心というものは宇宙に存在しないということを、私は、風の旅人という時空を通して、表したいと思ったのである。 
 そういった内容を、スタンフォードの学生たちに伝えた。
 物事が伝わるかどうかは、畢竟、心が伝わるかどうかだ。その意味は、私の心の中を他者に理解してもらうことではない。私の外にあって誰もが共有できるはずの心に、他者が気づいてくれることを願って、何かしらの方法で指し示すことだ。
 その繰り返しの果てに見えてくるものは、過去から今日まで連綿と、そうした試みを行なってきた人たちの存在だ。時代がどんなに変わっても、指し示されていることは、そんなに大きな違いはない。
 歴史を通じて流れてきたものは、われわれひとりひとりの魂の奥と、微妙に神秘に通じており、その魂の奥の奥は、どこにも限定されることのない広がりがある。だからこそ、今でも我々は、万葉の防人の歌の哀しみや、飛鳥時代の仏の美しさが、とてもよくわかるのだ。