第1016回 いのちを呼びさますもの

 レジリエンスフォーラム(人間力=地球協働力)というのを始めることにしました。
 その第一回目を、​2017年12月10(日)18:30〜20:30 、稲葉俊郎さんをゲストに迎えて行います。
 心臓の専門医でありながら、西洋医学のみならず伝統医療や代替医療など幅広く医療を修め、さらに学問や芸術の分野を超えて、その道のエキスパートと数多く協働し、活躍している稲葉俊郎さん。近代の競争社会を勝ち抜くための生命力ではなく、人間共同体の中で健やかに生きていくための生命力について話をうかがいます。
 健康とはどういうことか。身体、心、人間文化、人間社会の健やかなる生命力はどういうものか。そして創造の力とは。身体と心、部分と全体、治すと治る、医療と芸術との関係を深く掘り下げます。
 詳しい内容、お申し込みは、こちらをご覧ください。https://kazesaeki.wixsite.com/resilience
 2011年3月11日の大震災の後、レジリエンスという言葉がよく聞かれるようになりました。
 レジリエンスという言葉の意味は、「 精神的回復力」「抵抗力」「復元力」「耐久力」などとも訳されますが、それらを総合すると、”自発的治癒力”という生命力です。免疫力もそうで、傷つけられることで、より強くなる。また、その痛い経験から、生命を脅かしかねないダメージを察し、それを避ける力です。
 人間に限らず、どんな生物でも、レジリエンスは備わっています。一度痛い目に合うと、それに懲りて警戒を強め、行動を変えます。そして、最適な行動方法へと、行動を改善していきます。
 生命現象における個の関係は、花とミツバチの関係にしても、強制や管理による関係ではなく、自律した個の、自由で対等なネットワーク的連合によって成り立っています。たぶん、そういう関係が、もっとも柔軟で堅牢なのでしょう。百獣の王ライオンとシマウマの関係でも、ライオンはシマウマを完全に征服できない。だから、シマウマも生き延びて、ライオンも生き延びることができる。そして、その生態系全体は、その中の個が絶えず入れ替わりながらも全体としての調和とダイナミズムを維持します。生態系全体というプラットフォームもまた、レジリエンスを備えています。

 レジリエンスフォーラムで一体何をやろうというのか?
 簡単に言うと、生き方のパラダイムシフトを探り、実践につなげていくことです。
 現在、私たちが自分ごととして考えなければならないレジリエンスは、個人のことも大事なのですが、人類全体のことが、より大事です。それは、私たちが問題を先送りにすることで、私たちの子孫に深刻な影響を与える事態になってきているからです。
 人類全体が、地球環境にかける負荷が大きくなりすぎて、このままいくと、私たち人類にとっても破滅的な状況になる可能性もあります。
 資源の問題、エネルギーの問題、地球環境の問題、これまでの価値観に基づいた今のような生活を続けていくと大変なことになる。冷静に考えればわかることなのに、自分の目の前のことにとらわれて、もしくは自分が考えたところでどうにもならないと諦めて、知らぬ存ぜぬという顔で、私たちは生きています。
 便利な文明社会の中で、私たちは、自分の都合の良いものを手にいれるために何かを簡単に切り捨てており、それを繰り返しているうちに、切り捨てられているものの傷口がどんどん広がっています。
 もはやこのままではいけない。一人ひとりが、そういう思いで実践を行うことで初めて、人類全体のレジリエンスが実現されます。
 しかし、義務感だと何事も続かないです。おそらく、現在の私たちの価値観や生き方というのは、決して私たちが望んだからこうなっているのではなく、いつのまにか、こういうものだと勝手に思い込んでしまっているだけなのでしょう。ちょっとしたきっかけで、その価値観や生き方もガラリと変わるかもしれないし、その方が、生きている手応えがあり、楽しいかもしれない。実際に、脱サラなどを通して生き方をガラリと変えた人は、大勢います。重篤な病気、大事な人を亡くしたこと、勤めていた会社が倒産したことなど、これまでの価値観が、あっという間に崩れさってしまうような経験を経て。
 人類も、過去の歴史の中でそうしたことを何度も繰り返しています。
 14世紀から15世紀にかけて、イタリアルネッサンスは、突然始まったわけではありません。教科書では、十字軍の遠征によってイスラム文明と接触したことがきっかけであるなどと学びましたが、それよりも重要なことは、ペストによって人口の半分以上が失われたり、北方から大西洋を経てフランスや地中海に進出したノルマン人によって破壊と殺戮があったことも忘れてはならないでしょう。
 また、17世紀、デカルトが、「我考える、ゆえに我あり」と唱え、そこから近代的自我と近代的思考が始まったと言われますが、デカルト自身が、泥沼のドイツ30年戦争に志願兵として参加し、宗教戦争の矛盾を腹の底まで認識したことも背景にあるでしょう。
 20世紀には、二度の世界大戦があり、二度の原爆投下があり、近代兵器で人間が虫けらのように殺され、さらにチェルノブイリや福島の原発事故があり、かつての歴史的転換時と同じように、価値観の足元が揺らいでいるはずです。
 歴史を後から振り返れば、それらの破滅的な事態との関係で人類の新しい扉が開かれたと記録されているはずです。
 もしくは、二度の世界大戦、二度の原発投下、二度の深刻な原発事故から教訓を得ることができず、三度目をやってしまった時、これまでの二度とは比較にならない、それこそ人類にとって致命的なことになるかもしれません。
 世界大戦も、原爆投下も、原発事故も、私たちの日々の暮らしや、私たちが植えつけられている価値観と無縁ではないのです。すべてつながっています。
 権力者の横暴によるものだと片付けるのは簡単なことですが、そうではありません。権力者は、国民の一部から反発を受けようとも、それ以上の数の国民が支持してしまっているから権力者でいられるのです。権力者の資質を疑う前に、なぜ、多数の人間が、その権力者を支持しているのか、その理由を考えなければならないでしょう。
 レジリエンスフォーラムにおいては、定期的に、価値観のパラダイムシフトのための講演や対談などを行っていきますが、それだけでなく、どこかで価値観のパラダイムシフトにつながっていくような実践的活動を行っている人の具体的な活動内容を伝えることに重きを置きたいと考えています。
 学者やアーティストでなくても、衣食住など暮らし全般に関わることで、数々の事例を示しながら、その意義を伝えていきたいと思います。