第1032回  亀岡と近江を結ぶ磐座のネットワーク

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 (上:亀岡 出雲大神宮。下:東近江 三上山山頂)

 桂川松尾大社と嵐山のあいだあたりから北を見ると、美しい山々の連なりが見られます。
 左の端に愛宕山があり、右の端に比叡山。そのあいだ、西から高雄山の麓の神護寺や、神山の麓の上賀茂神社大文字山などもあるのですが、そこに、古代人が残した不思議なラインが存在します。
 愛宕山神護寺上賀茂神社、そして下賀茂神社の神体山とされる御影山が、東西一列に並んでいます。しかも、そのラインは、比叡山の向こう、琵琶湖を超えて近江富士と呼ばれる三上山の麓の三上神社、その反対側は、愛宕神社の背後にある亀岡の出雲大神宮にもつながっています。
 亀岡の出雲大神宮には大きな磐座がありますが、出雲大神宮の背後の神体山は、下賀茂神社の神体山と同じ”御影山”という名です。さらに近江の三上山の山頂にも磐座があり、そこは、天御影命という鍛治の神様が降臨した場所とされています。
 亀岡の出雲大神宮と近江の三上山と京都の下賀茂神社の神体山が”御影”という名でつながっているのです。
 さらに、昨日登った上賀茂神社の神体山の神山の山頂にも磐座があり、磐座のネットワークでも結ばれています。
 古事記の中で、東近江の三上山と亀岡(丹波)の関係は、彦坐王(ひこいますのみこ)の系譜でつながっているのですが、それは、第12代景行天皇や、その息子のヤマトタケルを産む系譜です。
 景行天皇を産んだ日葉酢媛は、第11代垂仁天皇に嫁ぎますが、その父親は丹波道主。実家があったところは、大堰川(現在の桂川)流域で、亀岡から松尾大社のあいだではないかと想定されています。
 平安京への遷都は794年ですが、秦氏桂川流域を開発し始めたのは5世紀末で、同じ頃に、松尾山で月読神が祀られ始めました。さらに、松尾大社から徒歩30分、上桂と桂のあいだに、京都市最大の前方後円墳天皇の杜古墳がありますが、これが築かれたのは4世紀、卑弥呼の墓と言われる箸墓古墳と変わらない時期です。
 京都の歴史は、平安京よりもずっと以前まで遡ることになりますが、弥生後期(もしかしたら縄文)から、桂川を通じて、亀岡、嵯峨野、松尾、巨椋池桂川と木津川、宇治川の合流点)、そして近江やヤマト、大阪湾とつながっていたということになります。
 京都の西は、古代、水上ネットワークの要だったことは間違いないです。