第1039回 広河隆一氏の性的暴行について(3)

  昨日、広河隆一氏の性暴力について2度目の記事を書いたところ、それを読んだ女性から、メールでメッセージをいただきました。
 彼女が書いていることは、このたびの事件における一つの大事な側面であると感じ、すぐに返事を書き送ったところ、それに対する返事がきました。 
 今回の事件に関して、世の中でやりとりされている言葉は、そのほとんどが広河氏の酷い性的暴行に対する非難および、被害に遭われた方を慰るものであり、それは当然の心理であると思います。
 しかし、今回の事件を、広河氏の非人間的な行為とだけで片付けてしまっても、それはワイドショーの扱いと同じで、一人の人間を極悪人として葬り、次にまた別の事件を探してきて、「こんなやつ、人間じゃない」と攻撃することが繰り返されるだけ。
 こうした構造自体に、今回の問題を生み出した原因も横たわっていると私は考えていて、それは、今はじめて考えたことではなく、風の旅人を50号まで作り続けたことや、このブログで1000回を超えて書き続けた際に、常に、意識してきたことです。
 なので、私の問題意識の延長線上のこととして、一人の女性から送られてきた文章と、私の返事を、ここに記そうと思います。もちろん、匿名であることを条件に、本人の了解を得て。
 こういうことを書くと、また、「居丈高だ!」とか、「こうした事件を利用して自分が作った本の正当性をアピールしたいだけだ」とか、論理的でなく歪んだ感情で噛み付いてくる人がいることが予想されますが、そのように矮小化された次元のことはどうでもいい。私は、過去にも同じことをずっとアウトプットしていて、別段、今回のことに乗じて考えを変えたわけでもないし、自分が作ってきた風の旅人を売り込みたいわけでもないので(現在は、休刊中で、50号までの在庫はもう手元になく、売りたくても売れないし)。

 以下が、その対話です。

A「初めまして。先日、佐伯さんの「広河隆一氏の性暴力について」を拝見させていただきました。どちらも、でも特に1035回の方は非常に思いの伝わってくる内容でした。

 佐伯さんには大変申し訳ありません。今回私がなぜこのようにメールを送らせていただいたかと申しますと、決して佐伯さんのブログへの感想ではありません。本当にすみません。これは、私が広河氏の一連の報道を受けたこれまでの思いを、ただ、誰かに聞いてほしいと、ただそれだけで送らせていただいてます。今回の報道は本当に衝撃的で、でも周りに広河氏を知っている人はおらず、一から説明して聞いてもらう勇気もなく、ただただ、佐伯さんを頼った次第です。

 念のためお伝えしますが、私は今回の性暴力事件の被害者ではありません。広河氏とは面識はなくあくまでメディアを通じて知っているに過ぎない一般人です。そこのところは安心してください。

 私は広河氏を崇拝していました。広河氏を知ったきっかけはDAYS JAPANです。18歳の時、学校帰りの本屋さんでDAYSの10か月分ぐらいが平積みで置かれていました。どの表紙も写真がすばらしいと思い、私は一目で気に入りました。でも高校生にとっては雑誌で820円は決して安い値段とは言えず、一冊だけ、表紙で気に入ったものを買うことにしました。それは2004年の9月号で、特集は「反テロ戦争」でした。当時はロシアで、チェチェン人のテロが度々報道されていました。テレビではテロの悲惨さは詳しく述べられているものの、チェチェンという国についてはほとんど知る機会がありませんでした。しかしながらDAYSで、チェチェンがいかに悲惨な状態にあるか詳しく紹介されており、私は大きな衝撃を受けました。そして、私は善人と悪人を明解に区別することの危うさを学びました。

 結局、今までに至ってDAYS JAPANで買ったのはこの一冊でしたがそれはわたしの宝物となりました。今でも大事に持っています。そのDAYS JAPANの中核を担っているのが広河隆一という人であるということを知ったのは2016年頃と割に最近です。経歴や慈善活動をしり、あのDAYS JAPANを監修している人はこんなにすごい人だったのかと思い、当時上映された「人間の戦場」の予告編を見て(結局仕事の都合やらで映画は見に行けなかったのですが)広河氏を大尊敬するようになりました。写真もこんなに人をきれいに撮れるんだなあと思うものもあって大好きでした。そして何かあると「広河さんだったらどう考えるだろう。」と思い、勝手に心の支えにしてしまいました。

 改めて、自分はなんと弱い人間なのだろうと思います。どこかに崇拝する人を作って、それを神様のように絶対視して自分を保っているわけです。

 そういう訳があり、昨年末の広河氏の報道は大変大きな衝撃を受けました。あれから1か月弱、広河氏のことを考えなかった日はなかったと思います。いろんなことが頭を巡りました。いったい何時から、何がきっかけでこんなことをするようになったのだろうか?。本人は加害の意識が足りなかったと反省していると言っているが、本当に加害の意識が無いなどあり得るのだろうか?。ホテルへ連れ込む方法などはむしろ計画的ではないか?。慈善活動などで子供達と接する機会も多いのだから、少しは罪悪感を感じないのだろうか?。そうやって人を落としめることと、彼の人権派としての発言・活動が同時平行で行えるということは一体どういうことなのか?。

 そして、本当に呆れることなのですが、事件から日が立つにつれ、私は、「今回の報道の内容はあまりにひどい、でも彼の功績や写真は本当にすばらしいものなのだ。」などと思うようになっていました。

 しかし、おとといに、新たな被害者の証言を受けて、考えていたあれこれはすべてどこかに飛んでいきました。いまはただただ恐ろくて仕方ありません。

 私は、世の中に悪と言われる人たちも、その行為に至るまでの理由があることを学んだはずでした。しかし今回、世の中にはこんなにも、恐ろしく悪い人がいることを知りました。そして、これだけ凶悪な人を私は長い間尊敬し、1月の報道に行きつくまで否定しきれずにいたということも。怖くて仕方がありません。

 先にも言った通り、私はメディアを通して広河氏を知っているに過ぎません。ですが他人事のようには振舞えません。自分のことのように感じます。長い間心の支えてとしていた親近感が重くのしかかります。恐らく私と被害者の年齢が比較的近いのだろうというのもあるのかもしれません。これがもし自分だったら・・と。

 おとといに第二弾の報道が出て以降、私は夜が眠れなくなりました。6~7時間は横になっているのですが、うとうとできるのは1時間ぐらいです。彼が女性の身体を徹底的に玩具にしていた一つ一つの事例がイメージとなってずっと頭の中を反復しています。別のことを考えて紛らわせたいと考えてもできません。心臓の鼓動がずっと早いので苦しくなります。時々手が震えるのを感じます。

 それほどまでに凶悪な人物をずっと尊敬していたことへの恥と責任が重くのしかかります。決して忘れることはできません。怖くて叫びたくなります。でも、そんな人物を崇拝していたということが恐ろしくて、周りに話すことができません。佐伯さんのブログを見て、佐伯さんならきっと聞いてくださるのではないかと思いこのようにメールを送らせていただきました。本当に失礼いたします。それに、私は決して文章が上手い人ではないので読みにくかったと思います。本当に読んでいただきありがとうございます。

 最後になりましたが、被害にあわれた女性の傷は想像できるようなものではないでしょう。彼女たちの傷が完全に癒えることはないのかもしれませんが、少しでも癒しが訪れることがあることを心から願っています。」

佐伯「はじめまして。今回、広河氏の事件を知り、犠牲になったのはまさにAさんのような純粋な方であり、そういう純粋な人たちが付け込まれたことに、やりきれなさを感じます。

 広河氏の下にいた人で、違うタイプの女性を知っています。良くも悪くも図々しいところがあり、ある種の計算と割り切りがあって広河氏のところにいた人です。そういう人は、広河氏を絶対視していないので、自分の中で、こいつはダメだ、と思った時は、彼と衝突して、あっさりと辞めています。
 彼を絶対視してしまった人たちは、純粋であるとともに、免疫がなかった、のではないかと思います。
 免疫というのは、男性経験とかそういうことではなく、社会の矛盾、汚さ、エグさ、に対する免疫です。だから、社会経験のあまりない、つまり社会に対する免疫のない学生アルバイトとかが狙われてしまった。
 免疫には、”文学的”な免疫も含まれます。これは説明が難しいのですが、人の言動の背後にある本当の心理に対する洞察力を深めていくための文学的体験ということです。
(文学というと、小説をイメージするかもしれませんが、小説だけとは限りません。写真にも、文学性のある写真と、そうでない写真があります。前者は、写っているものの背後にあるものを深く想像をさせるもので、後者は、広告写真などが典型ですが、記号化され単純化されたビジュアルで、人心に媚びたり、人心を誘導するものです。そうした文学体験の有る無しが、その人の美意識に影響を与えます。)
 人は、自分の人生の経験だけを経験とするならば、経験は、非常に限られてしまいます。
 しかし、人の経験を深く自分のものにできる舞台があれば、自分一人が経験するだけより、経験は豊かになり、美意識も育まれます。美意識は、何をもって誇りとし、何を持って恥とするかという判断にも影響を与えます。
 ここ20年ほど、この文学的体験が、軽視され、色あせてしまいました。政治家のワンフレーズポリティックのように、簡単な言葉でズバリということが、スマートで、頼りになり、わかったつもりになってスッキリするというように。わかりやすい答えを、近道で得ることが、万人受けするようになり、その種のものがベストセラーになりやすい。テレビなどでも取り上げられやすい。なぜなら、説明しやすいからです。
 それに対して、文学的に深みのあるものは、何がどうなのか説明しずらく、でも心にズシリとくる。そうした文学的体験が人生において重要なのだけれど、そんな遠回りを誰もやらなくなってきました。手近にハウツーを求めてしまうのです。その結果、恥と誇り(カッコウ良い、カッコ悪いという判断)の基軸も、歪んでいきました。
 私は、19歳の頃、広河氏の「パレスチナ」を読み、社会派のジャーナリストになりたいと思いながらも、同時に、たくさんの文学を読んでいました。とくにドストエフスキーの文学は、社会的活動家の自己欺瞞自己矛盾を徹底的に暴いていて、自分の中にもそういう欺瞞があることを突きつけられ、悶え苦しみ、自殺してしまいたいとさえ思いました。そして、自殺するくらいなら、誰も知らない荒野で野たれ死ぬのも同じだと思い、あえて危険なところへと旅を続けました。いったい何をやればいいのだという叫びに似た精神の渇きと、自分が世の中になんの役にも立っていないという自己嫌悪と焦燥と、胸いっぱいに膨れ上がった空虚を抱え込んで。
 そんな私を、空虚や焦燥から救ったのも文学でした。日野啓三という作家です。彼のすべての本を掻き集めて読んだ私は、数年後、なんとかして彼とつながりたいと思い、手紙を書き、講演依頼という理由をつくって会いに行きました。私の手紙を読んだ日野さんは、きみは私と同じだ、と言ってくれました。同時代の多くの人とつながることよりも、100年前、500年前、2000年前のごく僅かな人と蜘蛛の糸のようなものでつながっていると感じられることの方が大事で、文学には、そういう力があり、それが本当の意味で救いなのだ、われわれは孤独でないのだ、ということも、日野さんは言っていました。
 日野さんは、当時、癌で闘病中で、2年に1度、癌が転移して入院ということを繰り返していましたが、およそ6年、彼が亡くなるまで、月に1度、彼と会い、夜遅くまで語り合う貴重な時間を持つことができました。
 私が「風の旅人」という雑誌を創刊したのは、日野啓三さんが、2002年10月に亡くなったことがきっかけです。その前年、2001年9月11日にアメリカ合衆国テロがあり、このことについて、私たちは、深く語り合っていました。
 単に戦争とかテロという問題だけでなく、原理主義という、わかりやすい言葉による正義と正義が衝突する事態は、アメリカとイスラムの問題だけではないと、私たちは語りあっていました。日本でもまさに小泉政権となり、シンプルな正義の言葉(既得権組をぶっ壊すという類の)で大衆を煽り、大衆を味方につけていく構図は、原理主義の戦いと同じだったのです。
 「風の旅人」は、最初からそういう問題意識で作っていました。だから、DAYS JAPANの創刊に協力したものの、創刊号が出た時点で、「これは違う」と思い、離れました。これは、人の思考を養うものではなく、思考を奪っていくもので、原理主義ポピュリズムの手法と同じだと感じたからです。

 2003年に風の旅人を創刊し、第3、第4、第5、第6号で広河氏の写真と言葉を紹介した頃、広河氏からDAYS JAPANというジャーナリズム雑誌を創刊したいと相談があって協力し、その後、出版のパーティがあり、スピーチをするように言われたので、私と広河さんは考え方が違うけれど、今日のメディアや雑誌の状況に一石を投じたいという思いで雑誌を立ち上げたことでは同じだ、という話しをしました。

 19歳の頃、自分が影響を受けた人の役に立てることは、私にとって大きな喜びであり、さらに、その時から20年後、同じ土俵で仕事をしていることに不思議な縁を感じました。 

 しかし、雑誌作りにおける考え方の違いは極めて大きく、また、彼の人間性を疑わざるを得ないこともあり、私は、DAYSに近寄らなくなりました。

 しかし私は、風の旅人を作りながら、ずっとDAYSを意識していました。その理由は、世間には、娯楽雑誌、ゴシップ、趣味教養雑誌が溢れるなかで、世界や人間の問題と向き合うということにおいて、DAYSと風の旅人は、同じだったからです。しかし、その方法論は違っていた。私は、世界や人間の問題に対して、自分の頭で考える土壌づくりが大事だと思っていたけれど、DAYSは、そういう土壌づくりではなく、糾弾することに力を入れていた。その糾弾の表現方法は、強ければ強いほど、人の思考を奪っていく。私は、ずっとそれを懸念していました。DAYSが社会に知られるようになり、賞をとったりするたび、その懸念は大きくなっていきました。

 私は、DAY JAPANと、有名度や部数や賞のことで競争する意識はまったくありませんでしたが、DAYS JAPANが社会的存在になり、盲目的に崇拝する人が出てきていることに危うさを感じ、だからその存在を意識せざるを得ませんでした。

 このたび、広河氏の性的暴行が露わになった後でも、「それはそれ、これはこれであり、 DAYS JAPANなど広河氏がこれまで行ってきたことの価値は損なわれない」という意見を述べる人もいますが、私は、DAYS JAPANの編み方にずっと違和感を感じ、問題があると公言もしていました。まさかここまでのことが起きていたとは想像もしていませんでしたが、「それはそれ、これはこれ」でなく、人がアウトプットしているものには、その人の内側が写っているものです。その欺瞞を察知できるかどうかは、上に述べた文学的体験の深さにかかってきます。

 いずれにしろ、風の旅人を作る前に出版業の経験のなかった私は、出版界の常識はどうでもよく、また世の中の評価もあまり気にせず、最初のうちは、日野啓三さんが生きていたらどう評価してくれるだろうか、ということだけを意識して「風の旅人」を作っていました。

 だから、誘惑に負けず、一貫性を保てたと自分では思っています。誘惑というのはいくらでもあります。たとえば、高名な写真家が、口々に、「風の旅人賞を作ろう、協力するよ」、などと言ってくれたこともそうです。「こうすれば、もっと売れるよ」、という囁きもそうです。自分を権威装置にする道はいくらでもありましたが、私は、それは違うと思い、やりませんでした。真の意味で、文学性から外れるからです。どんな表現も、環境の悪習に簡単に染まらず、思考停止に陥らないための、ある種の修行体験と言える場を提供しなければならない。それができないなら、やらない方がまだマシ。なぜ、やらない方がマシなのかというと、環境の悪習に寄り添っていくと、作り出されるものは、より環境を悪化させるだけ。それが、私自身の考えだからです。

 広河氏と私とのあいだの雑誌作りにおける考え方の違い、何がどう違うのか、もし風の旅人をご覧になっていないのなら、私の手元には在庫がありませんが、アマゾンのサイトでバックナンバーが安く買えますので、1度、ご覧になってください。

 たとえば、私は、作家や写真家がいくら高名であっても、DAYSや他の雑誌のように、肩書きや受賞歴やプロフィールを載せていません。権威の力で、読者を思考停止の受け身状態にさせたくないからです。新人と高名な写真家の取り上げ方にも差をつけていません。また、表紙に、アイキャッチ効果を狙ったタイトルを入れたりしません。

 そして、DAYS JAPANのように、最後のページに、支持者だという有名人の名前をずらりと並べたりしません。

 DAYS JAPANは、権力を攻撃していますが、その作り方は、かなり権威主義的で、洗脳の手法を用いた扇動的媒体の特徴を持っているのです。写真は、これでもかと衝撃的なものを使いますが、その状況を伝える記事の文脈の深みがなく、最初に読者を誘導する結論があり、その結論のための写真と文章になっています。それが洗脳の手法なのです。読む人が、自分の頭で考えるのではなく、異議を唱えにくい正義の論調のなかで、決められた答に誘導されるだけ。

 ただ、広河氏の仕事が、以前からずっとそうだったわけではありません。彼の仕事を掲載した風の旅人の第5号や第6号を見ていただければ感じていただけると思います。

 彼は、長いあいだ、同時代の他のジャーナリストよりも、継続的で、きめ細かなジャーナリズム活動を行っていたのです。独善的で権威主義的な傾向は以前からありましたが、報道でよく見られる扇動的な手法をとることには慎重でした。そのまま表現活動に徹していれば、彼の悪業も抑制されていた可能性があります。しかし、65歳までフリーで活動してきた人が、不慣れな組織運営と経営を行うようになり、次々と作り続けなければならない定期刊行物の売上や返本や在庫のことなどを常に意識せざるを得ないプレッシャーの中で、安易に二項対立をつくって感情(印象や気分)の動きで大事なことを判断したり、ハウツー本のように単純化された解答を求める時代の構造と空気に迎合する道を選んだ。

 しかし、皮肉なことに、時代の傾向に添っていたため、そのように荒っぽい作りのDAYS JAPANを始めてからの方が、社会的に彼への注目度が高くなり、有名人をふくめ彼の周りに集まりやすくなりました。ジャーナリストとして地道ながらいい仕事をしていた頃より、自分の下で仕事をしたいと若い女性も集まってくるし、少し華やかなポジションになり、優越感に浸って自分自身を見誤り、彼の中のモンスターが肥大化していったのかもしれません。人は最初から悪人なのではなく、環境との関わり方が、その人を作り変えていきます。その歯止めになる文学的体験が希薄だと。

 Aさんからいただいた文章を見て、Aさんの欠点をあえて一つだけ申し上げます。

 DAYS JAPANを、たった一冊だけ見て、その後、まったく見ていないのに宝物にしていること。広河氏の仕事に関しても、彼の本などをきちんと読まずに、評価していることです。
 彼を取り上げた映画などにしても、予告編だけを見て、本編を見ずに判断をしてしまっている。そうしたことでは、文脈を読み取る力は育ちません。
 そうした傾向は、イメージに流されやすく、洗脳されやすい状態をつくる。Aさんに限らず、現在の多くの日本人が陥っている一番危ういポイントです。
 これは、太平洋戦争前の日本においても同じだったのです。悪人が悪事を行うことより、悪人によって、そういう洗脳されやすい人を巻き込んだ時が、一番恐ろしく、それが取り返しのつかない巨悪になるのです。もしかしたら、広河氏という権力者に支配されたDAYS JAPANの組織が、それに似たものになってしまっていた可能性もあります。
 今回の新しい記事を読んでも、海外の取材に男女の二人が行くのに、部屋を一つしか手配していないわけです。その手配を、部外者がしたとは思えず、おそらく広河氏の指示で部屋を手配した人は、起こる出来事を予測できたのではないでしょうか。悪人でなくても、簡単に洗脳されると、悪に手を貸すことになります。
 簡単に洗脳されないために、人物や物事を評価したり判断する時に、その人やその物事のことを、もっと掘り下げる必要があります。
 一人の作家の本を読んで感動したら、その感動がどこからくるのかさらに探るために、その人の本を片っ端から読むくらい。
 だって、感動できるものに出会うことは、現代社会では非常に限られており、そういう時こそ、物事を広く深く知るためのチャンスだからです。
 私が作っていた風の旅人と、 DAYS JAPANは、ともに写真の力を大切にしながら、写真と言葉で世界を表現していくものですが、一番大きな違いは、”文学性”の重要さを、どこまで意識しているかです。
 わかりやすい答えを受身的に求めるのではなく、物事の背後のことを、自分の頭でどれだけ深く考え、想像できるか。
 風の旅人の方が、DAYS JAPANに比べて、読み通すためには、はるかに根気がいります。しかし、その根気が、こうした悪業に対する免疫となり、耐性となると私は思います。」
 
A「お返事ありがとうございます。こんなに唐突に送らせていただき、お返事をいただいていいものかと思っていたら、まさかこんなに早く、こんなにご丁寧な返事をいただいてしまって、大変に驚いています。なんとお礼を言っていいのか分かりません。

 読み始めてすぐに涙が出ました。やっと、硬直していたなにかがほぐれてくれたようでした。

 佐伯さんのおっしゃる通りだと思います。私は、見た目や印象で判断して、しかものめり込みやすいのだと思います。特にスマホを持つようになってからは次々現れる情報の波の中で少しずつつまみ食いして、これやよくないと思いつつ、ネットニュースの見出しのようにセンセーショナルで刺激的なものについつい手が伸びてしまいただ「わかったつもりになる」ことも多いように思います。

 佐伯さんの便りを読んでいてネットの危うさを改めて感じました。Twitterなんかもそうですね。今回私が佐伯さんのところに行きついたように、知らない人同士をつなげてくれる、そういう意味では今回は本当に助けてもらったのですが、基本的に短く、わかりやすく、印象に残りやすい言葉ばかりですから、熟考するには不向きです。でもコメントは無限にありますから永遠にみてしまいます。本を読む時間などどんどん無くなっています。

 だからこそ、DAYSや広河氏の危うさに気付くことができなかったのかもしれません。

 でも上述したように情報が次々やってくるので、熟考するための時間を持つのは決して簡単なことでもなさそうですね・・・。

たくさんのことを書いていただいてくださったので、一読では消化できませんでしたが、繰り返して読ませていただいるうちに、ようやく今回の広河氏の報道についても、少し距離を置くことができたように思います。

 そして、今回の報道以降、心の置き場がずっと無くて、どうしたらいいのかわからなかったのですが、風の旅人を紹介していただいたことで、ようやく自分が今なにをやっていくべきなのかが決まって、前を向くことができました。

 風の旅人はぜひ拝読させていただきたいと思います。読み終えた後、感想を佐伯さんの元に送らせていただこうと思います。ものすごく本を読むのが遅いのでいつになるかわかりませんが(笑)。

 この度は本当にありがとうございました。佐伯さんとの出会いに本当に感謝しています。」