大学入学共通テストにおける英語の民間試験の導入について揺れ動いている。グローバル化に対応するために英語力を高めなければならないのだと頭でっかちの文部科学省が考えているようだが、これまでも学校教育のなかで英語を学ぶ時間は、莫大なものだった。にもかかわらず学校教育の英語はほとんど成果をあげてこなかった。しかし、近年、外国人観光客が増えて、京都のレストランやショップなどでも英語で対応している店員は増えていて、日本人の英語コンプレックスはかなり減っている。それは学校教育のお陰ではなく、人間というものは必要になればなんとかするもので、教育で無理強いしたところでなんともならない。
そして、いくら英語の点数が上がったところで、語るべきものが自分の中になければ意味がないし、語るものがあれば、下手な英語でも、対話は成り立つ。
私は、若い頃から世界の秘境辺境や古代遺跡などを数多く訪れたが、海外を旅するたびに自分は日本のことを何も知っていないと思いしらされた。
そして最近、日本の様々な地域を訪れて、日本の古代の不思議を探っていると、こんなに小さな島国でさえわからないことが多すぎるのに、広大な海外のことを理解することなんて、途方もないことだと心から実感する。中近東やアフリカ、中南米やユーラシア大陸の様々な場所の史跡を訪れて、少しは歴史がわかったつもりになっていたが、実に大雑把な訪問と一方的な理解でしかなかったことを痛感している。
ただ、世界の隅々まで旅していた時も、今、日本の狭く限定されたところに深く入り込んでいる時でも、共通している思いは一つあって、それは、過去よりも現在が優れているというのは、現代人の自惚れにすぎないということ。そして、古代人は、現代人の想像をはるかに超えた叡智を持っていたということだ。
一昨日、京都の古代からのランドマークである愛宕山に登った。頂上付近に瘤のように盛り上がった独特の形は、古代人の心も惹きつけただろう、日本には数多くの愛宕山があるが、その大元にあたるのが、京都の愛宕山だ。
この愛宕山は、カグツチ神や火雷神を祀っており、火伏せ、防火の神として古くから崇敬されている。
カグツチは、神産みにおいてイザナギとイザナミとの間に生まれた神で、古事記の中では、彼を出産する時にイザナミの陰部に火傷ができ、これがもとでイザナミは死んでしまったと伝えられている。
カグツチの誕生は、キリスト教世界においてはエデンの園の禁断の果実のような位置づけであり、この神の誕生前と誕生後で、世界は大きく変わる。
イザナミが死んだ後、黄泉の国からイザナミを連れ戻そうとしたイザナギは、けっきょく逃げ帰ることになるが、黄泉の穢れを落とすために禊を行い。その禊から、海神三神や住吉三神に続いて、アマテラスやスサノオやツキヨミが生まれる。そこから、暴力をも含んだ生々しい神々の物語が始まる。禁断の果実を食べたアダムとイブの後、カインとアベルの殺害の物語が始まるように。
聖書の中で、アベルを殺したカインは、神から「あなたがその土地を耕しても、土地はもはや、あなたのためにその力を生じない。あなたは地上をさまよい歩くさすらい人となるのだ」と告げられるが、カインの子孫であるトバルカインは「青銅や鉄で道具を作る者」と『創世記』第4章に記されているように、カインは、人類が金属道具を獲得することに関係している。
それに対して日本神話では、黄泉から逃げ帰ろうとするイザナギと、追いかけるイザナミのあいだで、イザナミが「1日に1000人殺す」と言い、イザナギは、「ならば1500の産屋を建てる」と不吉な言い争いをするのだが、イザナミを殺したカグツチも、単なる火を示しているのではなく、火による創造物と大いに関係している。それは陶器であり、金属道具だ。陶器や金属を作り出すためには、火を有効に使ったり、高温にするための方法が必要になる。
たとえば、鞴(ふいご)は鍛治をする際に火を起こす道具だが、前後に動かすピストン運動が男女の和合を連想させる。そのイメージと、イザナギとイザナミの”まぐわひ”が重ね合わされる。
イザナミが火の神カグツチを産んで火傷をし病み苦しんでいるときに、その嘔吐物から化生した神である金山彦、金山姫は、全国で鍛治の神として祀られているが、カグツチと、金属製作技術を関連させて見てみると、興味深いことがわかる。
京都の愛宕山に登ると、その途中、真西に亀岡の御影山が見える。御影山は禁足地で、その麓に鎮座する出雲大神宮の神体山である。出雲大神宮の場所は、愛宕山と同緯度の北緯35.06度である。
そして、愛宕山から東側には、京都を代表するもう一つの山、比叡山の姿を望むことができるが、その麓に、御生山(みあれ山ー御影山とも言う)があり、この山を神体山とする御蔭神社が、その麓に鎮座する。御蔭神社は、鴨川と高野川の分岐点に鎮座する下鴨神社の元宮とされ、賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)を祀っている。この御蔭神社の場所も、愛宕神社と同じ北緯35.06度。さらに、御蔭神社と愛宕神社のあいだに、賀茂建角身命の娘、玉依毘売から生まれた賀茂別雷命(かもわけいかずちのみこと)を祀る上賀茂神社が鎮座するが、ここも同緯度である。
愛宕山を起点に、亀岡の御影山と比叡山の麓の御蔭神社まで、御影でつながっているが、天御影神という鍛治の神様が降臨したとされる場所が、近江富士と呼ばれる美しい姿の三上山で、三上山のすぐそばに鏡山がある。そして鏡山の場所は、北緯35.06度で愛宕山と同じなのだが、この山の頂上に竜王社という磐座があり、ここに立つと、冬至の日に、三上山の頂上に太陽が沈んでいくのを見ることができる。
そして、鏡山の麓、真北の位置に菅田神社というのがあり、菅田というのは、鍛治を司っていた氏族である。そして、鏡山のすぐ近くの大岩山では、24個の銅鐸が出土しており、一ヶ所から見つかった銅鐸の数としては、島根県の加茂岩倉遺跡の39個に次いで多い。しかも、その中に、日本最大の銅鐸が含まれている。
また、鏡山の真北にある鏡神社は、鉄文化と関わりのある渡来人の神で、応神天皇を産んだ神功皇后の母方の祖先であるアメノヒボコを祀っている。
さらに、北緯35.06度を東に伸ばすと、三重県の桑名市で、ここは昔から木曽川や長良川の渡しとして栄えていた東西交通の要所だが、そこに額田神社があり、意富伊我都神(おういがつのみこと)という天御影神の息子の神様を祀っている。額田氏というのは、谷川健一の説では、金属の鋳造を専業とした技術者の氏族とみなされる。
次に西に目を向けると、愛宕山から亀岡の出雲大神宮を通ってその先に、天御影神の別名、天目一箇神が集中的に祀られている土地がある。それは、兵庫県の多加町の千ケ峰周辺である。生野銀山に近いところにあるが、コンビニすら見つけるのが難しい辺鄙な場所なので、現在では、訪れたことのある人、および知っている人は、あまりいない寂しいところだ。
しかし、この地域のことを、谷川健一が、『青銅の神の足跡』の中でも次のように言及している。
「西脇市の大木や市原、更に南の野村西方の山中には数カ所に旧坑がみとめられるといわれている。そのなかでもとりわけ吹屋ガ谷の旧坑は面積がおよそ一反歩で、鉱滓はおびただしいという。伝えるところでは、杉原谷方面で採掘した原鉱を、この吹屋ガ谷に運んで精錬したものだといわれる。それがいつの頃か不明であるが、一千年以上を経た旧坑の跡であることは疑いないと『三木金物史』は述べている」
この文章の中の杉原谷は、多加の千ケ峰周辺を流れ、西脇において加古川と合流する川のことである。
この杉原川にそって、西脇の天目一神社、多加町鍛冶屋の大歳金刀比羅神社、そして荒田神社、青玉神社が、天目一箇神を祀っている。この中で、大歳金刀比羅神社のある鍛冶屋という場所が、北緯35.06度で、京都の愛宕神社の真西なのだ。
この鍛冶屋周辺の地は、縄文、弥生時代からの遺跡が見つかっており、古墳時代に入ってからも、前期、中期、後期とそれぞれの時代の古墳が残っており、この内陸部が、古代から変わらない重要な場所であったということになる。


兵庫県多加町からさらに西に行くと、岡山の美作だが、古代、美作国とその周辺部も鉄生産の中心地であり、鉄製品や製鉄炉・鉄滓などが各地で出土している。中世の刀工生産もよく知られている。この美作の鍛冶町に天目一神を祀る宗道神社があり、ここもまた北緯35.06度なのだ。
吉備の国から伊勢国桑名まで、すなわちヤマトの東と西まで、北緯35.06度のラインにずっと金属関係の場所が連なっている。
さらに不思議なラインを加えるならば、「日本書紀」において、カグツチを産んだことで死んだイザナミが葬られた場所とされる熊野の有馬に、花窟神社や産田神社があり、イザナミやカグツチを祀っているのだが、その有馬は、東経136.08度で、近江の鏡山や菅田神社の真南である。
そして驚くべきことに、この熊野の有馬は、今年の3月、徳島の阿南町の若杉山遺跡で日本最古の鉱山遺跡が発見されて話題になったが、その坑道と同緯度である。(33.89度と33.88度)
若杉山の辰砂(しんしゃ=赤色硫化水銀)の坑道は、弥生後期の1世紀から3世紀のものとされ、これまで考古学的には山口県の長登銅山跡の8世紀頃が最古の坑道だとされていたので、日本国内の鉱石採掘の歴史が500年も遡ることになった。
若杉山遺跡の発見までは、古代日本の遺跡から大量の金属製品が出土していても、それらはすべて輸入された原料で、日本国内では加工だけ行っていたというのが専門家の見解だった。しかし、この500年の差は日本の古代史にとって大きな問題であり、その中に邪馬台国も大和朝廷も含まれるので、鉱物を輸入していたのか国内で入手できていたのかの違いは、古代の歴史を読み解くうえで重要な鍵となる。
金属製品を持っているかどうかで農業生産力や軍事力は大きく異なってくる。もし輸入に頼らなければならないとしたら、大陸との交通路にあるところが特に重要な地域になるし、もし国内で獲得できる技術があるならば、鉱物資源の豊かな場所が、特に重要な地域になる。
兵庫県の多加など山間部は、現在は不便な場所で寂れているが、縄文時代から古墳時代の終わりまでずっと栄えていたことは歴史的遺物が証明しているわけであり、その理由は、鉱物資源だったということになる。
卑弥呼のことはともかく、若杉山遺跡は、飛鳥の地から、ちょうど冬至の日に太陽が沈む方向でもある。冬至というのは太陽の力が一番弱まって翌日から強くなっていくという復活の日である。古墳の中の石室に辰砂(しんしゃ)で真っ赤に塗りこめられているケースがいくつか発見されており、それは再生(永遠の生命?)のイメージと、血のように真っ赤な朱砂が結び付けられているからだが、若杉山遺跡と飛鳥の宮の位置関係が、冬至のラインにそっているとなると、飛鳥の場所が、若杉山遺跡(辰砂の採掘場所)を基軸に定められたのではないかと想像することもできる。しかも、このライン上に、高天原伝説のある奈良県葛城の高天彦神社や、大和地方で最大の水銀鉱山があった宇陀の地の宇太水分神社下社も鎮座している。
それはともかく、徳島の若杉山遺跡の坑道は、邪馬台国の時代とも重なるので、阿南町は、卑弥呼の国はここにあったと町興しを始めた。
その若杉山遺跡と、イザナミの埋葬地である熊野の有馬が東西の同緯度(北緯33.89度)で、有馬の真北(東経136.08度)が、近江の鏡山ということになる。さらにその北の若狭湾に面した敦賀は、古代、大陸からの玄関口だが、ここに神功皇后やアメノヒボコと縁のある気比神宮があり、ここも136.08度である。気比神宮の話は長くなるので、ここから先は、また別の機会に。
いずれにしろ、聖書の中では禁断の果実を食べた後のカインの罪、日本では”黄泉の国”や、穢れや禊という観念をつくりだしたカグツチとイザナミの物語、それは古代世界を激変させた金属技術と関係しているが、恩恵も与えるが負の代償も大きい文明の利器である金属関係の場所は聖域となり、聖域であるからこそ、かなり計画的に、人為を超えた太陽や星の動きと関連するように配置されていることは、専門家の見識を借りなくても、地図を確認すれば誰にでも明らかなことなのだ。
そして、この壮大な時空間のビジョンを実現している古代人は、山を歩いて鉱脈を探り、鉱石を取り出して加工し、金属製品を作り出すまでに知恵を技術を発達させていたわけで、当然ながら、かなり精緻な測量技術をも備えていたということになる。
✳︎ピンホールカメラで撮影した日本の古代の聖域の写真を紹介するホームページを一新しました。
https://kazesaeki.wixsite.com/sacred-world