第1080回 黙示の時代

 
 台風被害や大規模な山火事の後にパンデミック、ここにイナゴが地上を覆うような状況にでもなれば、黙示録の世界ではないかと思っていたら、バッタが大発生していた。https://tocana.jp/2020/03/post_148608_entry.html
 現状の勢いでは1日に35000人分の食物を食い荒らしていて、さらなる繁殖によって新たな群が形成されつつあり、被害の拡大が懸念されている。
 その被害は、アフリカから中近東、インド、中国にまで広がっていきそうだとか。コロナウィルスの脅威によって人間の移動は厳しく制限されて、まるで別世界のような状況になっているが、バッタの大群は地球上に広がりつつある。現時点ではコロナウィルスの感染者数が少ないと判断されているアフリカなどでは、バッタ被害による食糧危機の不安が広がっている。
 今、起こっていることは、聖書の黙示録に近似しているが、黙示録は、人類の滅亡を示しているのではない。なぜなら、その後にも人類の歴史はつながっているのだから。
 黙示録は、神による人類の審判である。だから、黙示の時代の後、人類にどういう転換が起こっていたかを認識している必要がある。
 聖書における黙示の時代、悪徳と頽廃の都ソドムとゴモラが天からの硫黄と火で滅ぼされた。その光景を見ていたのがアブラハムで、彼は、聖書の中で「信仰を持つ人すべての父」とされている。
 アブラハムで示される人物の特徴を一言で言うならば、執着とエゴのない人物だと言えるだろう。放浪の人生を送り、神に試されて、最愛の息子イサクさえ殺害しようとしたが、”エゴ”のないことが証明され、神に止められた。(この子殺しの設定という神の審判の物語は、邪悪な心による子殺しではなく、神によって試されているわけで、世襲の政治家による歪んだ世の中を見ればわかるように、人間のエゴに対する神の究極の審判が、”身内びいき”に対して向けられている)。
 日本でも、645年の大化の改新の直前、第35代皇極天皇天智天皇天武天皇の母)の時も、黙示録のような記録が残る。
 642年10月、大地震が4回。11月〜12月には雷声が20回、643年、東北の隅を除いて、ほぼ満天五色の雲に覆われ、地上には青い霧が周囲一面にたちこめた。(この霧は火山噴火による亜硫酸ガス?)、二月下旬、暖冬気味の気象が一挙に寒冷化。4月末まで異常な寒さ。7月には水が腐って虫が大量に死んだ。8月、池の水が藍色に変色し、腐った魚が3〜4寸ほどの厚さに積もる。この年は花が咲かなかったため、ハチミツがとれない。人々は刹那的になり、踊り狂い、珍しいものに散財。猿たちが、食を求めて人里を徘徊した。政変があり、山背大兄王が自殺した。5色の雲が天を覆ったが、やがて黒雲に代わった(噴火?)。
 数日前、3.11の福島原発事故に関するテレビを見ていた時、平安時代に起きた貞観津波のことを、津波対策の想定に入れる必要があったのに、東京電力の上層部が、そのことを無視し、かつ、保安局も、対策の徹底を求めなかった事実が報告されていた。
 貞観津波というのは、平安時代の869年、宮城から福島にかけて巨大津波に襲われたことである。貞観の時代は、津波だけでなく富士山で、歴史的記録に残る最大の噴火が続いている(864〜866)。その時の噴火で、現在の青木ヶ原の樹海などができたとされている。
 また、この時、甲斐国で、富士山を鎮めるために浅間神社が築かれている。
 この貞観の時代というのは清和天皇の治世で、清和天皇の孫にあたる源満仲が、京都で政争に巻き込まれるのに嫌気がさして、また住吉神の神託を受けて、摂津の多田の地に移って、そこを拠点にして清和源氏が発展していく。源頼朝や、足利尊氏武田信玄など、清和源氏は、この時に始まる。
 巨大津波や富士山の大噴火があったことが、どういう影響を与えたのか正確にはわからないが、これを起点に、中央から地方へ、貴族から武士の時代へという流れができた。
 歴史の教科書では、これらの因果関係のことは、あまり書かれていないかもしれない。