怨霊と聞くと、菅原道眞(845ー903)がよく知られているが、道眞の死より少し前にも、怨霊が日本を騒がせていた。
9世紀、日本は、疫病の大流行(859〜877)や、貞観の富士山の大噴火(864-866)、そして貞観大地震と貞観の大津波(869)などに襲われていた。
貞観の富士山の大噴火は、記録に残るなかで最大のもので、現在、自殺の名所として知られる青木ヶ原の樹海などは、この時にできた。
また、貞観の大津波の時、宮城から福島の海岸線が大被害を受けたことが記録に残っているのだが、2011年3月の福島の原発事故の前に、この貞観の大津波のことを被害対策の想定に入れるかどうかで東電内部で議論があったにもかかわらず、現場の声を無視した幹部によって、この津波の規模が判断材料から外されたために、あれだけの大惨事となってしまったことが後にわかった。
原発の爆発という大災害直後、津波の規模は想定外だったと東電幹部が口走っていたのは真っ赤な嘘である。
そうした9世紀に起った疫病や災害は、当時、無実を訴えながら死んでいった人が怨霊となって引き起こすと考えられた。そこで、その御霊を鎮め、厄災を祓うために、京都の神泉苑で初めて国家的に御霊会が行われた。
今では観光客で賑わう京都の祇園祭も、859〜877年に京都で疫病が流行した時、当時の国の数66国にちなんで66本の鉾を立て祇園の神を祀り、神輿を送って厄災の除去を祈ったのが由来で、それが次第に盛大となり今に続いている。
9世紀の厄災の時代に起きたもう一つの大きな変化。それは、武士に関することである。
平安時代後期から貴族に変わって武士が実権を握るようになり、源頼朝、足利尊氏、徳川家康など武士が、この国の最高権力者になっていった。この3人以外、武田信玄や新田義貞など著名な武士は清和源氏の系譜だが、清和天皇(在位858-876)こそが、まさに厄災真っ只中の時の天皇だった。
清和天皇は、879年、京都で疫病が終焉した後、27歳で突然譲位。出家して仏門に帰依。仏寺巡拝の旅へ出て、絶食を伴う激しい苦行も行っている。
武家としての清和源氏の基礎を築くのは、清和天皇の曽孫の代にあたる源満仲で、京都での出世争いなどの暮らしに嫌気がさし、住吉神の神託を受けて摂津の多田に拠点を移し、鉱山開発を行ったり農業のための治水灌漑に力を入れるとともに、武士団を形成して勢力を固めていく。
京都での貴族の出世争いは、権謀術数という抽象的な戦いであるが、天変地異や厄災を経て、実質の伴ったものを拠り所にしようとする精神の動きが生じ、貴族の時代から武士の時代への移行、すなわち封建時代への社会的変容へとつながっていったのではないだろうか。
実際に、清和源氏だけでなく、京都にとどまって地方から集められる租税に頼ることの不安定さよりも、実際に地方におもむいて長官(受領)になることを選ぶ貴族が増えていった。
源満仲の三男の源頼信が、河内の地を本拠地として河内源氏の祖となるが、この河内源氏こそが、後の源頼朝をはじめとする武士として活躍する源氏のルーツである。
河内源氏の拠点は、現在の大阪府羽曳野市壷井で、そこには現在、壺井八幡宮がある。
源頼朝が鎌倉幕府を開いてからは、河内源氏の総氏神は鶴岡八幡宮になるが、それまでは壺井八幡宮だった。
壺井八幡宮の場所は、近畿の重要な聖域を水平に結ぶライン上にある。
二上山、三輪山、長谷寺、室生寺、そして伊勢の斎宮跡を結ぶ北緯34.53度のラインで、それぞれの聖域において、春分と秋分の日に、太陽が昇り沈む。
源氏というのは、古墳が1600もある栃木県足利に拠点を築いた足利氏や、貞観の富士山大爆発の際に富士山を鎮めるために創建された笛吹市の浅間神社を大切にした武田信玄などもそうだが、刀で殺しあうだけの単なる戦闘集団ではない。
徳川氏に関しても、江戸の鬼門と裏鬼門に日光東照宮と久能山東照宮を築いているが、どちらも祭神は、神霊となった徳川家康だ。
武士は、常に生と死が隣り合わせのところで生きていたゆえ、自分の生を超えた大きな時間の流れの中に生きていることを意識せざるを得なかったのだろうか。
自分が今生きているこの瞬間の時間しか意識できなければ、戦闘や災厄など偶然的な要因で今この瞬間の生を絶たれてしまうと、自分の生の意味が空しくなる。
苦しい時、辛い時ほど、今この瞬間と、時を超えた世界全体をつなぐ大きな時間の中で自分も生かされていると意識することで、少しは救われるような気がする。
人は誰でも死ぬ。今この瞬間の出来事だけに世界が狭く限定されてしまい、過去や未来とのつながりを喪失してしまうと、自分と世界全体とのつながりが断絶されてしまう。現代人を蝕む孤独や不安の根源的な理由はそこにあるのではないか。
過去から受け継いでいるものを意識できないことは、未来に託すべきものを意識できないことと同一であり、そういう狭い意識で生きていると、自分の生は、どこにもつながらない単なる点でしかなくなってしまう。
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