第1158回 熱海の土石流と、地球環境問題と、エネルギー問題の関係。

 このたびの大雨によって起きた熱海伊豆山の土石流災害。

 テレビニュースなどでは、数十年前に行われた盛土が原因であるかのような報道が続く。

 もともと、熱海地方は、火山性の硬い黒土に覆われているが、高度経済成長時の人口増に対応するため、山間部の土を削り取ったり盛り上げたりして住宅建設が可能な平坦地に改造した。それらの宅地造成地の利便性をはかるために道路も建設され、その際にも、盛土が行われた。その盛土は柔らかい赤土で、その部分が、このたびの大雨で一挙に土石流となって流れてしまったという説明になっている。

 昨今の異常気象による集中豪雨と組み合わせた説明だから、多くの人が納得してしまう。

 しかし、太平洋側の山の南斜面の地域は、熱海にかぎらず、九州から関東の房総半島まで広がっており、この数十年のあいだに、台風をはじめとする大雨に何度も襲われてきている。

 なので、今回、こうした大規模な土石流が起きた理由について、災害の引き金になるような原因を、近年、新たに作り出しているのではないかと考えることも必要だろう。

 熱海に家を持つ友人から連絡があった。

 幸いに、彼の家は土石流現場からは離れているものの、安心というわけにはいかない。

 というのは、彼が懸念しているのは、メガソーラーだ。

 被害の深刻さが多くの人々に共有されるようになって、ネット上でも、メガソーラ犯人説が出て来た。

 今回の崩落起点から南西に20~30メートル離れたところに太陽光発電施設があり、その場所からの水が崩落方向に流れ、土石流の原因になったのではないかという指摘が出ており、その施設を作った業者側は、「根拠がない」と反論している。

 「犯人探し」を、特定の企業に求める動きは、本質的な問題から目を背けさせることになる。

 静岡の川勝県知事は、太陽光発電事業に積極的で、伊豆半島の至るところに太陽光発電パネルが進出している。

 これは、伊豆半島だけに限らず、日本全国で進行中の深刻な事態だ。

 日本の黒土は70%が山岳地帯であり、1億3000万の人口のほとんどが30%の平野部に集中している。

 平野部の土地は、サラリーマンが生涯にわたるローンを組まなければ手に入らないが、山間部の土地の値段はタダ同然である。

 なぜなら、お金にならない荒れた山は、維持管理するだけで大きな出費となるので、相続においても問題になっているからだ。

 もともとは、日本の山々は広葉樹の森で、落葉は養分となって土地を豊かにし、多くの生物を育み、多様な生態系を作り出していた。

 しかし、戦後、戦争で荒れた国土を復興させるためという大義名分で、国家プロジェクトとして、杉の植林が行われた。日本の山々は、あっという間に画一的な杉林になってしまった。にもかかわらず、その後パプアニューギニアなどから安価な木材が輸入されるようになると、日本の森林は需要がなくなって放置され、荒れ果てた。そしてこれが深刻な花粉症の原因になった。 

 そして、二束三文になってしまった山を金脈にしようとする動きが太陽光パネル事業であり、その背景に再生可能エネルギーの固定価格買取制度がある。

 国は、太陽光、風力、水力、地熱、バイオマス再生可能エネルギー源を用いて発電された電気を、国が定める価格で一定期間電気事業者が買い取ることを義務付ける制度を作った。

 このお金は、私たち一人ひとりが支払っている電気料金の上に載せられている。

 もちろん、2011年3月11日の東北大震災による原子力発電所の爆発事故があり、それまで日本の総電気量の40%を供給していた原子力発電が使えなくなり、天然ガスや石油などを大量に使うことで、なんとかエネルギー危機に対処してきたものの、地球温暖化の弊害を過激に非難する運動が続き、太陽光発電が地球を救うもののように喧伝されてきたこともある。(グレタ・トゥーンベリが、国連気候変動サミットに出席するため、ソーラーパネルを備えたヨットで大西洋を渡った)

 ガソリン自動車が電気自動車に変わることが、「地球に優しい」などと宣伝されているが、ならばその電気はどうするのだという深刻すぎる問題は、棚上げにされている。

 水力発電は、大規模なダムの建設が必要であり、環境問題に直結し、反対運動も凄まじくて実現には時間がかかる。

 現状では、一番手っ取り早い方法が、太陽光発電になっている。

 しかし、アメリカや中国など砂漠的気候の平坦な大地が広がっているところは、太陽光発電パネルを設置するのも、管理するのも簡単だろうし、人々の生活への影響も多くないかもしれない。

 それらの国に比べて、日本には、太陽光発電パネルを設置する場所は限られている。限られた面積の日本で、他に使い道のない山の斜面地が、その設置場所になっている。

 なので、地方を旅していると、突然、緑の森が切り取られて、太陽光パネルが一面に敷き詰められているというおぞましい光景が出現する。

 当然ながら、その山は、禿山のように保水力を失って、大雨の時に降り注いだ水は、一挙に斜面を流れる。その大量の水が、盛土になった部分に集中的に集まってくると、持ちこたえられるはずがない。太陽光パネルが設置されている斜面での土砂崩れも、頻発している。

 今回の土石流の問題は、単一の犯人探しをしても、解決にはならない。原因は複合的であり、この原因は、利権問題だと単純化することもできない。

 問題の底に横たわっているのは、エネルギー問題だ。

 原発はダメ、化石燃料もダメ、水力発電ダムはダメ、太陽光発電パネルもダメというのなら、いったいどうやって電気需要に応えるのだということになる。

 電気自動車が勧められ、熱中症対策として、エアコンを使うことも推奨される。

 夏の平均気温が25度のカナダにおいて、現在、50度に迫る気温が続いており、山火事が発生している。これまでもアメリカのカリフォルニアやオーストラリアなどで大規模な山火事のニュースが伝えられてきたが、それらの地域は、乾燥した土地で、気温が高くなっても不思議でないところだった。

 しかし、カナダの森は違う。カナダの森の火災は、北極圏ですら気温が30度を超えているという異常に超がつく事態のなかで発生している。

 カナダの気温が、50度に迫るというのは、想像を絶する。

 私は、これまでの人生で、もっとも暑い経験をしたのは、1982年、北アフリカサハラ砂漠に近いチュニジアでの摂氏50度だった。この年の7月から8月、アラビア語を勉強しようと思って滞在していたが、授業は朝の7時からで、午前中には終わった。午後は、息もできないほど暑かったからだ。10分も外を歩くと、20歳の私でも、頭がクラクラとした。

 そして、もっとも寒い経験をしたのは、マイナス50度で、それがカナダのハドソン湾に面したチャーチルだった。冬のオーロラを見るために訪れたのだが、身動きとれないほど着込んでも、痛みのような寒さがあったし、顔の頰とか、空気に触れるところは、激痛を感じた。なので、やはり、10分と外に出ていられなかった。

 私の人生における気温差は100度だが、サハラ砂漠と北極圏だったから納得できるが、同じカナダで、いくらカナダが大きな国だとしても、マイナス50度と、プラス50度という100度の気温差が生じているというのは、異様すぎる。

 温室ガスだけが原因とは、とても思えない。

 実は、こうした大きな変化は、地球史においては珍しくもなんともない。

 日本の石器時代、瀬戸内海は陸地だったし、山陰から隠岐、そしてユーラシア大陸までも陸続きだった。

 それは、極北の氷面積が大きく、海水面が低かったからだ。

 しかし、10,000年前から暖かくなっており、海水面がどんどん高くなり、瀬戸内海は海になり、隠岐も島となり、九州とユーラシア大陸は切り離された。

 日本の縄文時代は、北海道においても、海岸線はかなり内陸部まで入り込んでいて、内陸部に残された貝塚からは、暖かい海に生息するハマグリなどの貝殻が大量に見つかっている。その後、海岸線は山から遠ざかっていき、それに伴って貝塚も移動するが、その貝塚からは、寒い海に生息する帆立貝などが多くなる。

 つまり暖かくなると、海岸線は内陸に入り込み、寒くなると、その逆になる。

 化石燃料の使用に関係なく、地球環境は、このように変化し続けている。

 化石燃料にも問題はあるが、化石燃料を目の敵にして、太陽光発電パネルを礼讃することにも問題はある。

 だからといって、代替エネルギーがなければ、どうしようもないという現実がある。

 

 

2021年7月5日発行  sacerd world 日本の古層 vol.2   ホームページで販売中

www.kazetabi.jp