第1160回 風の旅人と、Sacred worldのつながり。

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 日本の古層を探りはじめると、とめどなく謎が続いていく。

 何か一つのことがわかっても、それが新たな疑問のきっかけとなる。しかし、その謎解きに精力を傾けて集中していると、いろいろな関連事項が自分の中に蓄積していき、つながりができてくる。

 残念ながら、現在の学問は分業制なので、古代のことについて全体像を示してくれる書物には、なかなか出会えない。考古学、文献、神話、祭祀、技術、宗教、それらのことがバラバラで提示されているので、大学などに残ってその専門家を志す人でもないと、興味を持ちにくい。知的好奇心につながっても、自分事として引き寄せにくいからだ。

 書物を通してそれらの情報知識を得たとしても、以前より少し物知りになるだけのことで、本当に知りたいことに近づけるような気がしないし、本当に知りたいこと、切実に理解したいことでなければ、すぐに忘れてしまう。

 本当に知りたいこと、切実に知りたいことの解は、自分で探し求めるしかない。

 しかし、その謎解きに関しては、遥か彼方のことだとしても、宇宙の探求より古代の探求の方が、より自分ごととして引き寄せやすい。

 なぜなら、宇宙のことに関しては、書物などを通して専門家の意見を聞くことしかできず、それらの専門家も、実際に自分がその場で体験したわけでなく主に計算を通して分析しているだけなので、彼らの話を聞いてもリアリティを感じにくい。

 それに対して、古代のことは、その気になれば、自分でその場所を訪れて何かを感じ、洞察し、想像し、思考することができる。この違いは、とても大きい。

 私は、若い頃、日本国内のことはそれほど興味がなく、世界各国の秘境や古代文明を頻繁に訪れていた。

 大学に入学して、いろいろなことが厭になって日本の北をヒッチハイクで旅をしていた時、福島のユースホステルで若者数人と話をする機会があった。その場にいた25歳の男性が、海外の旅の話をして、それがものすごくカッコよく映った。「海外は、やっぱり違うよ。海外を見た方がいいよ」と、今耳にすれば「青い」と感じるかもしれない台詞が、当時の自分にとっては、新たな次元への扉に感じられた。

 それからの9ヶ月、毎晩、夜遅くまで居酒屋で働き、70万円ほど蓄え、パキスタン航空のチケットとか寝袋とか旅の準備に20万ほど使い、50万円だけ持って、当初は1年計画で海外に出たが、縁あっての各国の放浪や滞在は続き、髪を肩まで伸ばし、髭ぼうぼうになって2年後に帰国した。予算は限られているから、ユースホステルは三日に1回、あとは野宿、移動はヒッチハイク、昼食はポケットに詰めた生の人参とかを齧りながらの旅だった。 

 そのようにハングリーの状態で旅をしていた時に見た各地の光景は、今も脳裏に鮮烈に焼き付いているが、その後の20年間、世界中の様々な秘境を訪れているうちに、神経が慣れて麻痺してしまったのか、あまり何も感じなくなっていった。

 北極圏でオーロラを見ようが、パプアニューギニアの熱帯ジャングルで全身に化粧をした人間に出会おうが、コモド島の大ドラゴンに囲まれたり、ウガンダのマウンテンゴリラを観察していても、もはや、自分にとって、新たな体験でなく、単なるビジュアルだった。

 100年前、ヘディンやスタインが死を賭して探検したタクラマカン砂漠楼蘭遺跡に、ラクダの隊商ではなくジープで行き、1週間くらい砂漠の中でテント暮らしをしたのだけれど、その時の光景と体感は凄まじかった。どうやら、あれをきっかけに、その後、海外のどこに行っても、あまり何も感じなくなった。

 けっきょく、人間というのは、その場限りのことは飽きてしまうようにできている。マウンテンゴリラの研究者になれば、何度もその場所に通って観察を行い、その都度、いろいろな発見があり、関心が深まっていくうちに、ウガンダルアンダ以外の場所に行くのは時間がもったいない、と思うようになるだろう。

 表層をなぞるだけでも新鮮に感じられるのは、経験が乏しい時だけだ。

 今でもよく覚えているが、ジンバブエのビクトリアフォールズを2度目に訪れた時、滝を落ちる水がザーザーと流れていて、それを見ている時、昔、テレビが深夜に終わると画面がザーザーとなっていたのだけれど、あれを見ているような白けた気分になった。

 海外は、もういいかな、と思った瞬間だった。

 しかし、だからといって、 他に探求するものを持っていない私は、風の旅人という場を創出して、自分では表面的にしか関われていない世界のそれぞれの領域において、マニアックなほど深掘りしている人たちの力をお借りして、世界全体を伝えていくことをやろうとした。

 世界の限られた領域を扱う専門誌ではなく、領域を世界全体に広げた総合誌を志向した。

 世界全体に広げるといっても、世界全体の豆知識を断片的に扱うということではない。

 一人ひとりが当事者となり、その魂の深いところと世界全体がつながっているという体験を与えられるようなものでなければ、作る意味がない。しかし、そういう大それたことの実現は一人では無理なので、尊敬する人々の助けが必要だった。

 2002年の冬、風の旅人の創刊号の企画書を作って、一番最初に手紙とともにお送りしたのが白川静さんだったが、クリスマスに手紙を送って5日後、手紙が届いたかどうかだけの確認のためにお電話をしたのだが、その時、電話口でいきなり、「あんた、こんな大それたこと実現するのか?」と問われた。

 企画書という紙切れしかない状況で実現を保証するのは難しいが、「やってみなければわかりません」などという中途半端な返事をしてしまったら、その流れからして、「実現しそうになったら、また連絡してくれ」とか言われて、おしまいになる。しかし、最初に白川さんを説得しなければ、後がつながらないという予感はあったので、「できないことを白川先生にお願いするわけがありません」と、はったりで即答した。

 すると白川さんも即答で、「実現するんやったら、協力するわ」と答えてくれた。今でも、あの白川さんと電話でそんなやりとりをしたことが、なんだか不思議体験としか思えないが、その後の流れも本当に不思議なもので、次に電話したサル学の河合雅雄さんは、いきなり、「白川さん、やる言うとんのか?」と尋ねてきた。なので、私も即答で、「もちろんです、一番最初に承諾いただいています」と。

 作家の保坂和志さんは、「人類史のなかで三人尊敬する人を挙げるとすれば、プラトンハイデッガー白川静で、その白川静と、同じ時代に生きているだけでも有難いことなのに、同じ誌面に参加するなんて、そんな光栄なことはない」と言いきった。

 前田英樹さんも、「これは白川さんの遺書みたいなもんだよ」と、震撼するような畏ろしいことを口にした。

 人類学者の川田順造さんは、海外に飛び立つ前の成田空港から電話してきて、「今は雑誌の仕事を受けていられるような状況でないけれど、これは絶対にやるからね」と早口でまくしたてた後、ガシャっと電話を切った。

 白川さんに電話した後、トントン拍子で事が進み、あまりにも現実感が乏しくて、原稿の締め切り日が近づいた頃、本当にみなさんから原稿が届くのかしらんと落ち着かず、1週間以上前から土日も含めて、オフィスに通って、朝から夕方まで、原稿を待っていた。

 その時も、一番最初に届いたのが、白川さんの神々しいまでの手書きの原稿だった。白川さんの生原稿は、今でも大切にしているが、言霊が漲った物体だ。

 そうやって始めた「風の旅人」は、節目の50号の巻末に掲げる次号の告知で、「もののあはれ」とした。

 2011年の大震災の後も風の旅人を作ってきた流れで、そろそろ、「もののあはれ」と真摯に取り組まなければならないという思いがあったからだ。第48号の「死の力」という特集で、石牟礼道子さんのロングインタビューを行なったことも、そういう思いを強くさせた。

 しかし、そうやって自分の中で決めて読者に発表したにもかかわらず、その後、「もののあはれ」の誌面での実現は難しいという気がしてしまった。

 写真家、学者、作家、いろいろな専門家のことを思い浮かべたり、新たに探したりしたけれど、自分のなかでしっくりとくる人はいなかった。

 「もののあはれ」だけでなく、わび、さび、幽玄などにおいて専門家の数は多い。しかし、それらの多くは、伝統文化研究とか、趣味教養のようなもので、本質的なものとして心に迫ってくるものは、ほとんど見当たらない。

 写真にしても、「わび」とか「さび」とラベルを付けることができるものならいくらでもあるが、それらの多くは、概念化された雰囲気を伝えるものでしかない。

 それまで、風の旅人で、世界の全体像を掘り下げることを試みていたので、「もののあはれ」という日本の風土と文化の関わりの全体像も、同じように掘り下げる試みが必要だった。

 模倣する対象がなければ、自分で創出するしかない。 

 20歳の放浪の頃から、大勢の人が歩いている道を行くことは好まなかったし、すでに存在している道からどれか一つを選んで、それ一本で突き進むことも苦手だった。

 私は、どうやら道を決めることじたいができない。彷徨いながら、後で振り返ると、それが自分の道だったのかと認識するだけ。

 若い頃は、彷徨いの場所は、日本ではなく世界各国だと思い込んでいたが、日本という国の歴史的時空も、複雑な迷路であり、曠野であり、未踏の領域だらけだ。

 

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 それでも、日本に限るならば、その探求は、自分でできる。なぜなら自分は日本人だし、自分の足元に日本の風土、地理、歴史、文化の蓄積があるし、無意識の記憶が、それら全てとつながっている。

 世界の全体像を志向する風の旅人から、日本の古層の全体像を志向するSacred worldへの転換となったものは、「もののあはれ」というテーマだった。

  どちらも、私の中では、意識を全体に向けるものだが、なぜか世間では、こうしたアプローチは、ニッチということになる。

 今の世の中は、全体ではなくカテゴリーに閉じた限定的なことで、関心を持つ人が多ければ、それが、「一般的」とされる。

 漫才であれ、野球であれ、生活雑貨であれ、ファッションであれ、生活趣味の一アイテムでしかないが、通りすがりの興味を持つ人も含めて、集まる人が多ければ、一般受けするもの、ということになる

 集まる人が多いと普遍性があるように勘違いしている人がいるが、代用品の数も多いものは普遍にはならない。

 普遍は、一時的な共感物や共有物ではなく、人間の理を超えたものでありながら、人間の中に行き渡っているもので、他に取り替えのきかないものである。

 

 

2021年7月5日発行  sacerd world 日本の古層 vol.2   ホームページで販売中

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