第1177回 「MINAMATA」なのか、「OUR MINAMATA DISEASE」なのか。

 映画「MINAMATA」の製作に関わり、主演でもあるジョニーデップが、2020年ベルリン映画祭公式記者会見で、こう述べている。

「ユージンスミスとアイリーンスミスの水俣での記念碑的な仕事と、彼らの献身に! 」

 MINAMATAという映画は、まず、このジョニーデップの言葉のスタンスで作られているということを念頭に置いておかなければならないと思う。水俣の人々の魂に捧げられたものではなく、どうやら、ユージンスミスとアイリーンスミスの記念碑的な仕事を讃えるもののようだ。

 そして、商品をヒットさせるためには、その方がいいということを、ハリウッドは知っている。観る人にある種の爽快感と達成感を与え、深刻になりすぎないように同情や共感に導かなければ、娯楽物として成功しない。決して、観終わった後に、やりきれない気持ちにさせてはいけない。

 水俣のことを知る多くの人がこの映画に違和感を感じている原因は、そこにあるのではないかと思う。

 映画監督のアンドリュー・レヴィタスは、映画製作の前に、アイリーン・スミス氏からじっくりと時間をかけて話を聞いて、アイリーンの手引きで水俣の活動家とも会って話を聞き、製作をしたと語っている。(西日本新聞より)

 そのようにして、この映画のアウトラインができている。

 明確なる娯楽商品であり、娯楽商品として消化するだけなら色々と考える必要はないが、「水俣病のことを知るうえで大事な映画だよ」と人に勧めるナイーブな人は、水俣のことについて書かれた本などを、再点検する慎重さが必要だろう。

 石牟礼道子さんの「苦海浄土」の英訳、Paradise in the sea of sorrow:Our Minamata diseaseを、監督が読んだかどうかはわからない。そもそも、ジョニーデップや、アンドリュー・レヴィタス監督と、この映画の製作においてじっくりと話し合ったというアイリーン・スミス氏は、石牟礼道子さんの「苦海浄土」、Paradise in the sea of sorrow:Our Minamata diseaseを、二人に勧めたのだろうか。

 もしも監督が読んでいたら、タイトルは、「MINAMATA」ではなく、「OUR MINAMATA DISEASE」となり、展開も変わっていたかもしれない。(もし監督が読んでいたとしたら、すみません)

 もし読んでいたとしても、ハリウッドのスタンスとしては、それだと商売にならない、と判断したかもしれない。

 なぜこんなことを書いているのかというと、先日、MINAMATAを観て感じた違和感を文章にしたところ、奇しくも、感動した人が罪悪感を抱かないように書けばいいのに」とコメントする人がいた。

 もしもこの映画が、MINAMATAではなく、OUR MINAMATA DISEASEならば、観る人に感動があったとしても、同時に罪悪感も少しは心に残るのではないかと思っていたのだが、やはり、この「MINAMATA」という映画の感動は、観る人を酔わせるだけの性質にすぎないのだろうか。

 私は、この映画を観て感動した人が、自分がどのような仕掛けで感動させられたのかに無自覚のままハリウッド映画に酔いしれて充実した時間を過ごした気分になって終わってしまうことへの懸念があったので、あえて意見を述べた。しかし、それでも、せっかくの感動に水を差すなよと言う人がいるということがわかった。それは、その人が悪いのではなく、私の伝え方が悪いのだろう。もしくは、その「感動」は、やはり一時的な酔いにすぎないもので、どんな伝え方をしようが、その人への同調でないかぎり、宴席での上機嫌を害されたみたいに怒りたくなるだけかもしれない。

 それは、けっきょく、この映画が、水俣を材料にした無聊の慰めであり、ハリウッドにとって、商品をヒットさせるコツはそこにあるということになる。

 また、「これはフィクションなんだから割り切るべきだ」という声もある。しかし、ハリウッドのスパイ映画ならばそれでいいが、「MINAMATA」の映画の中には具体的な人物が登場する。しかも、非常に重要な役割で。

 とくに気になるのが、この映画を観た人々を感動させたであろう、ユージン・スミスが撮った入浴シーンの智子さんと、そのご両親。

 ユージン・スミスが撮ったあの入浴写真、ご両親は、世の中に公開することを止めて欲しいとアイリーン・スミス氏に依頼していたものだ。

 その依頼に対してアイリーン・スミス氏は、この写真の出版その他の露出に関する決定権が上村さん御夫婦に帰属することを誓約し、1998年以降、この写真が世の中に出ることはなかった。このことは、写真界では、わりと知られている話である。

 なので、「MINAMATA」の映画において、この入浴シーンに焦点を当てられているのを観て、事情を知っている人のなかには、不思議に思った人が多かったと思う。

 これについては、 第52回大宅賞を受賞した石井妙子氏が、最近、『魂を撮ろう ユージン・スミスとアイリーンの水俣』(文藝春秋社)を出版されているのだが、その石井氏が、現代ビジネスの中で、入浴シーンの写真の使用について述べられている。https://gendai.ismedia.jp/articles/-/87864?imp=0

 これによると、アイリーン・スミス氏は、上村さん夫婦の承諾を得ずに、あの写真を使うことをハリウッド側に許可し、上村夫妻には撮影が済んでからの事後報告となってしまい、彼らの気持ちを裏切ることになったとある。

 最終的には承諾をしたのだから、配給停止などの問題になることはないが、問題は、そういう著作権のことではなく、なぜ、智子ちゃんのご両親が、あの写真を世間に出さないで欲しいと思っていたかだ。そして、その気持ちを、映画の作り手や、アイリーン・スミス氏が、どの程度、重要視していたかだ。

 桑原史成さんが撮った智子さんの色々な写真は今でも見ることができるので、智子さんの写真の公開をご両親が渋っているわけではない。

 私も、2014年に編集した風の旅人の第48号で、桑原さんが撮った智子さんの写真を掲載させていただいた。

 なので、この一枚の入浴写真の公開について、上村さんご夫婦の心に何かしらの深い考えがあって公開して欲しくないと依頼し、その誓約もとっていたわけだが、そのことへの配慮がなく、この写真をメインにして「MINAMATA」の映画が作られている。

 これはいったいどういうことなのか? 

「大した意味はないよ。入浴シーンだから、あまり人目に触れたくないだけだろ。感動する写真なんだからいいじゃないか。世界中に水俣のことが知られるきっかけになるのだから、いいじゃないか」で片付けてしまっていいのだろうか。

 私は、長年、グラフィックを重視した雑誌の編集制作や写真集を作ってきたので、写真表現については、しつこく考える癖がついてしまっており、そうでない人には、こうしたこだわりは、うざったい言葉にすぎず、頭や心に届かないことは十分に理解している。

 なので、こうして文章を書くことは、自分の感じ方を言葉に整理することで確認し、今後の制作に反映させるためであり、政治的なメッセージを含むつもりはない。

 この問題の入浴シーン、映画「MINAMATA」の中では、アイリーン・スミス氏が、智子さんの手や足を動かして絵になるようなポーズを作っていく。しかも、ユージンスミスは、チッソの暴力によって手を負傷してシャッターが押せず、代わりにアイリーン・スミスがシャッターを押したことになっている。しかし、この写真が実際に撮られたのは1971年12月であり、ユージン・スミスが暴力によって重症を負うのは1972年1月7日である。

 この劇的な写真を撮った時のユージン・スミスは、怪我などしてはいないのだ。

 なのに、アイリーン・スミスが智子ちゃんのポーズを作り、アイリーン・スミスが、負傷したユージン・スミスに代わってシャッターを押したことになっている。フィクションなんだから、そんなこと別に構わないだろうと。

 ユージンスミスが生きていたら、このシーンについて、どう感じるだろう?

 スタジオでカタログ制作のための宝飾品を撮るように、置き場所を変えたり、ライティングを調整するシーンをあからさまにすることは、カタログ写真の写真家でも、みっともないと思うのではないだろうか。そのうえ、ユージン・スミスにとっても思い入れが強いこの写真のシャッターを押したのは、アイリーン・スミス。この作為って、この写真の著作権が誰にあるのかわからせなくするためのトリックではないのか。

 ユージン・スミスというのは、写真の真実に対して、潔癖すぎるほど頑固であり、だからこそ、1960年くらいまでは写真家にとって憧れの発表の舞台であった「LIFE」誌と決別した。

 この映画、わざわざ、智子さんの身体にアイリーン・スミス氏が手を加えるシーンを挿入する意図は何なのか?

 この感動的!?な一枚の写真は、アイリーン・スミスとユージンスミスの共同作業の成果なのだということを印象付けたいのだろうか。

 ジョニーデップの言葉にある「ユージンスミスとアイリーンスミスの水俣での記念碑的な仕事と、彼らの献身に!」のために、このシーンが重要なのか?

 アンドリュー・レヴィタス監督が、自分の独断であのシーンを作れるはずがないので、アイリーン・スミス氏の話をもとに作られたシーンだろうと想像できるが、疑問の残るシーンだ。

 ユージンスミスに水俣行きを提案するのも、実際は元村和彦さん(ユージンスミスが影響を受けた日本の写真家、森永純の写真集を作った)なのに、この映画の中で、アイリーン・スミスになってしまっている。アイリーン・スミスは、その時、すでにユージン・スミスと同居していたのだ。

 ハリウッドの興行力や、ジョニーデップという人気俳優にあやかって、水俣のことが世界中に知れ渡るのだからいいじゃないかと、この映画が好意的に受け止められ、無防備に、無配慮に、無思考なまま、感動(酔い)が拡散するのだが、人々の心に印象付け、記憶させるシーンは、もしもそこに何かしらの演出意図があるのなら、それに対しては、慎重でなければならないと思う。

 私は、配給停止にしろ!と運動を起こしたいわけではない。こうした映画を通して、議論や対話が深まれば、そのこと自体が、水俣の問題を人々の心に根付かせると思っている。

 だから、喧嘩腰になる必要はなく、感動した人は、どう感動したのか言葉にすればいいし、違和感を感じる人は、何に違和感を感じるのか、素直に表せばいい。

 ただ、酔った時に話したことは、後になってケロリと忘れてしまうことはよくあるので、感動した人は、少し感動が覚めた後、それでも自分の中に大切なものとして残っていることを言葉にした方がいいだろう。

 酔いは、やがて醒める。何かしらの自己嫌悪を感じたり、自分を省みるきっかけになるものであれば、おそらく、その先に進まざるを得ない。さらに水俣の本を読んだり、その結果、石牟礼道子さんの言葉に触れることにもなり、水俣の問題が、自分の心に深く浸透してくるかもしれない。その浸透は、自分を政治的な、英雄的な運動へと駆り立てることばかりではなく、生命の尊厳について、深く問いなおすことへとつながっていく。

 「MINAMATA」という映画は、水俣の人がチッソという会社によって踏みにじられた、ということは伝えられている。

 しかし、それに対する同情が、「水俣病という大きな重みを背負わされて自分たちと同じような快適な暮らしができない人たちは気の毒だ」いうものなら、ちょっとやるせない。

 私が、風の旅人の48号で石牟礼道子さんからお話を伺った時、「私は人類という言葉は使いたくありません。人間も含めて全て生類で、私は、生類たちには魂があると思っています。東京あたりの市民活動家の方と会うと、石牟礼さんは、魂とよくおっしゃるけれど、眼に見えないものを信じるのか、って言われたことがあって、びっくりしましてね。魂があるから、ご先祖さまを感じることができるでしょ。みんなご先祖を持っているわけですね。それは人間だけでなく、草や木にも魂があって、いつでも先祖帰りができる。それは、美に憧れるのと同じだと思います」と、仰った。

 そのインタビューの前日、石牟礼さんが生まれ育った湯の児温泉(石牟礼さんの『椿の海の紀』で描かれている舞台)の海岸線を歩き回った後だったので、生類という言葉が、とても胸に響いた。

 有機水銀の毒で踏みにじられたのは、水俣の生類の魂。それは眼に見えないものでつながっている。

 今から100年前、エドワード・カーティスという写真家は、アメリカ先住民と生活をともにしながら、彼らについての多くの書物を読み、彼らの歴史や風習などをしっかりと学んだうえで、失われていくアメリカ先住民の文化や暮らし、人々の姿を写真に撮り続け、彼らの美しさを残そうとしていた。それが、カーティスの、アメリカ先住民に対する敬意であり、だからこそ、その写真には人間の尊厳が満ち溢れている。

 ハリウッド映画にそこまで期待するなと怒られるかもしれない。

 しかし、ハリウッド映画というのは、巨額のお金を投資して作られるので、巨額のお金を回収しなければならない。つまり、より多くの数の人間がターゲットになる。

 感動しやすい人、ストーリーに酔いやすい人のボリュームゾーンがどこにあるのかを、ハリウッドは、よく知っている。そして、そういう人たちの心にどう働きかければ、効果が出やすいかも心得ている。

 だから、この「MINAMATA」の映画は、そのマーケティングの経験が活かされている。人々を感動ストーリーに導くための常套手段の設定が、娯楽大作のスパイ映画と同じやり方で、史実とは関係なく行われている。

 そのことも、「フィクションだから当然」と肯定する人も多いが、フィクションというのは、単なる作り物であっていいはずがない。フィクションによるミスリードは、いかがわしい投資商品を作り出して人を勧誘し、その勧誘された人を軸に、次々と無防備で無知な人々を巻き込んでいく”洗脳行為”と似た力がある。

 MINAMATAの映画の中で、ユージン・スミスをヒーローに仕立てるために重要な役割を果たしているシーン、チッソの社長によるユージンスミスの買収とか、ユージンたちが病院内に潜入して科学的な証拠を探し出すこととか、ユージンスミスの仕事場の放火だって作り物の演出である。

 仕事場を燃やされてヤケになったユージンが、水俣の取材を放棄しようとして、チッソの社長に買収されそうになるのだけれど、水俣の人々の政治的闘争に心を打たれて踏みとどまる。そして、気をとりなおして村人たちに写真を撮らせて欲しいと頭を下げ、あの”感動的”な智子ちゃんの入浴シーンを撮らせてもらう。その一枚の写真が決定的な力となって、チッソの社長が、保証金は払わなくてはならないと心を入れ替えるという一連の流れ。観る人をドキドキハラハラさせながら主人公に感情移入させていくハリウッドの常套手段だが、多くの人が「MINAMATA」で一番感動したところは、この一連のフィクションの流れだろう。

 ユージンスミスが水俣に来る10年以上前から水俣に関わり、智子さんをはじめ数多くの写真を撮り続けていた桑原史成さんが撮った写真や残された言葉で私が感動した部分が、「 MINAMATA」では、まったく逆の意味合い、位置付けになっている。

 それは、映画の中で、ジョニーデップ演じるユージン・スミス水俣に着いた時に宿泊した上村智子さんの家でのことだ。

 映画では、上村夫婦が、「智子の食事に5時間もかかるんです、家族の絆も強くなります。子沢山ですし。まあ大変なんですよ」と、チッソの悪によって困難を背負わされている側の象徴のような表情が強調されていた。

 桑原さんが残している文章では、智子ちゃんを宝子と呼び、情愛を注ぎ続けた上村良子さんは、「智子が私の身代わりになったとばぃなあ!」というのが口癖だった。「こん子は、私の宝子です。私のからだから水銀ば吸い取ってくれたおかげで、あとの六人の妹弟たちは元気だし、私の症状も軽くすんどるです」と言う良子さんは、次々と生まれる子供達を左手に抱いて母乳やミルクを与え続け、右手で智子ちゃんを抱き続けた。良子さんは、「右手は智子の指定席だったとばぃ」と大きな声で笑いながら言った。と桑原さんが書いている。

 また、桑原さんが撮った上村好男さんの素晴らしい表情が、今でも心の深いところに突き刺さる。これほどの困難の中でも、人間は人に情愛を注ぐことによって、これほど美しい顔になるのかと感銘を受けずにいられない。その写真の記憶があるから、MINAMATAの映画の中で、上村さんを演じる役者の、”重みを背負っている”というだけの演技に、違和感を覚えた。

 アメリカ先住民においても、エドワード・カーティスが撮った崇高までに美しい彼らの顔が記憶に刻まれているから、その後、アメリカ政府が行なった表向きの綺麗事で飾られた同化政策によって蝕まれていくアメリカ先住民の光景に出会う時、かけがえのないものが失われたと感じ、心が痛む。

 智子さんと同じく水俣病に蝕まれた松永久美子さんを撮影する時、桑原史成さんは、「ぼくは、松永久美子を美しく撮りたかった。」と言っている。そして、その写真の久美子さんは、本当に美しい。とくに澄み切った瞳の美しさには息を飲み、だからこそ、かけがえのないものが蝕まれていることが、切なく悲しく感じられる。

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(風の旅人の第48号で掲載させていただいた、松永久美子さんを撮った桑原史成さんの写真。)

 こうしたことのおいても、「表現者によって違って当たり前だろ!それぞれ感じ方や価値観が違うんだから」と言う人もいる。

 しかし、これは、感じ方や価値観の問題ではなく、表現者が何を大切にすべきなのかの問題だと私は思う。

 対象を自分の作品づくりのための素材としか考えないのか(自己主張的な表現)、他者の中の素晴らしい何か、見えにくい何かを引き出して形にできればと願うのか(他者に配慮した表現)。

 表現を政治的な主張の手段として使う時、ともすれば、その表現の対象になったものは、メッセージの象徴として扱われ、個の中に息づいている生命は無視される。

 上村さんご夫婦にとっては、かけがえない魂を帯びて、実際に生命が息づいている智子さんである。どんなに美しくドラマチックに撮られた写真でも、当人の生命や内面の美しさよりも活動家のメッセージの道具としての色合いが強くなれば、ご両親は、切なくて悲しい気持ちになって当然だ。

 MINAMATAの映画の、ハリウッド特有のストーリー設定は他にもある。

 アイリーン・スミス氏がユージン・スミス水俣の写真を撮るように説得する時、桑原史成さんの写真を見せるのだが、もちろん桑原さんの名前も出さないし、桑原さんの写真の本質とは関係なく、日本でこんなことが起こっている、あなたこそが撮らなければとユージンを鼓舞し、単なる資料のように見せる。

 それに対して、ユージン・スミスが、太平洋戦争の苦い記憶があるから日本に行きたくないと渋っているように映画では伝えられている。

 しかし、実際の彼は、水俣に来る10年前に、若い写真家の森永純と一緒に日本のあちこちを旅して写真を撮っている。日本という国や日本人に興味を持って。(それらの写真は、風の旅人の36号でも紹介させていただいた。)。

 LIFEと決別していたのは、その前であり、それは写真の扱いに対する考えの違いからだった。

 太平洋戦争の時、そして、1960年に来日して行なった日本の取材で、ユージン・スミスが、日本という国の不思議さに心惹かれていたことは、たぶん間違いないだろう。

 だから、色々な意味で、水俣の仕事は、それまでの彼が取り組んできたテーマが重なっていたとは思う。

 なので、ユージン・スミスは、決して、自己顕示欲や自己承認欲で、水俣の人々と向き合っていたわけではないし、それは、彼の写真を見ればわかる。

 しかし、残念ながら、「水俣の事件性」に焦点が当てられ、その上で、アイリーン・スミス氏が手をくわえて絵のように神々しくなった一枚の入浴写真が、政治的闘争の切り札になったという映画の脚本とストーリーは、水俣のことだけでなく、ユージン・スミスの仕事の本質すら見えにくくしてしまっているし、もしかしたら歪めているかもしれない。

 ユージン・スミスは、酒に溺れてLIFEの仕事を失っていたわけではない。

 写真表現に対して真摯に向き合った結果として、LIFEと意見が対立し、食べていくための大事な手段であった道を失ったのだった。保身に走らず、写真表現への純粋さがあったからこそそうなったのであり、表現に対して、見え透いたことを平気でやり、コマーシャリズムに毒され、意地汚くなっていく世の中こそ、彼が世捨て人のようになった原因でもあっただろう。

 ユージン・スミスの魂に影響を与え、そして水俣の取材の10年前に来日したユージン・スミスと行動をともにし、ユージン・スミスの誘いでニューヨークに渡った森永純という写真家の生き様が、まさに、それに近いものがあった。

 私は、晩年の森永純さんと関係がとても深かったし、世捨て人のような彼が、30年の長期に渡って没頭していた”波”の写真の写真集を作ったので、ユージン・スミスのことを深く知っている森永さんが、MINAMATAの映画を観たら、どういう言葉を発するかは、十分に想像できる。

 はたして、天国のユージン・スミスは、映画の中で、アイリーン・スミスとともに、ヒーローのように扱われて、嬉しいのだろうか?

「ユージンスミスとアイリーンスミスの水俣での記念碑的な仕事と、彼らの献身に!」(捧げる)といった言葉を、自分への賛辞として受け止め、ご満悦で誇らしげな気持ちになる表現者もいるし、穴があったら入りたいと、身の縮む思いになる表現者もいる。

 水俣の人たちではなく自分たちが主役になった映画を観て、ユージン・スミスがどういう感想を持つのかを、一番知りたい。

「MINAMATA」なのか、「OUR MINAMATA DISEASE」なのか、ユージン・スミスに聞いてみたい。

 

 

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