第1185回 重層性や複合性の視点を失わずに表現することの大切さ。

 映画MINAMATAは、非常にわかりやすいサンプルなので、しつこく言及してきたが、現在の表現の一番の問題は、重層性や複合性の視点が欠けているものが多く、その方が、人に受けやすいということ。だから、単純な構造にしてわかりやすくして人心を誘導する手口ばかりになる。

 それはワイドショーに代表されるテレビメディアに慣れきった人たちが、単純なストーリーにしか心が反応しなくなっているからで、商業的興行のために、そうしたものが再生産され、ますます、様々な表現がワイドショー化し、人の心を引きつけるための欺瞞が挿入される。その程度のものにすぎないものを、ワイドショーのコメンテイターのように、多くの人が、「感動した」と賞賛する。SNSも、その多くがワイドショー的に使われている。

 私は、長年、写真表現の分野に関わってきたが、ここにも単純化と、重層性や複合性とのギャップの問題がある。 

 カメラ技術が発達して誰でも綺麗な写真を撮れるようになったが、それらの写真は、とても味気ないものになっている。にもかかわらず、カメラメーカーは、色の再現性とか、描写力をさらに高めようとする。そうすることで物のリアリティが高まると思っているようだが、大きな矛盾に気づいていない。

 学校の教科書でも習うが、私たちの周りに溢れている光は、粒子であり、波でもあり、私たちが物が見ている時というのは、その両方の性質を受け取って生態的に反応している。

 しかし、高性能カメラは、色だとか描写力だとか、光の粒子性に特化した技術ばかりを極度に発達させており、光が、本来、波の性質を備えているということが完全に削ぎ落とされてしまっている。だから、それらの写真は、貼りついたような画像になってしまうのだ。

 物資性にしか意識がいかない写真で、単純化された視点にすぎないものをテーマと称し、展覧会や写真集での発表が相次ぐという視覚表現の地盤沈下が起きている。

 おそらく、今日の人間の意識が、物質的な側面(粒子)に偏り、物事の気配(波)に、あまり重点が置かれなくなっているからだ。実証主義=物的証拠に偏る歴史学の問題もそこにある。

 私が、今、ピンホールカメラという原始的な方法で、日本の古くからの聖域を撮影し続けている理由は、そこにある。

 光の粒子性のみに即した写真は、カタログ写真にしかならない。ピラミッドやパルテノン神殿など姿形のはっきりした古代遺跡ならば、カタログ写真でも使い道があるが、湿潤な日本では、形ある遺跡など残っていない。残っているのは、気配だけである。

 気配というのは、光の波の性質によってもたらされる感覚であり、物質の描写力に重点を置きすぎた高性能デジタルカメラでは捉えきれない。

 そして、複合性というのは、日本の歴史を理解するうえでも、重要な鍵になる。最も欠かせないものが、地理だ。学校の教科書で歴史を習う時、光から波の性質を抜き取ってしまうのと同様に、歴史から地理が抜き取られている。

 たとえば、最近、大阪の八尾を探索したのだが、ここにはかつて、恩智遺跡という大阪府でも最大級の弥生遺跡があった。

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大阪府八尾市の恩智遺跡のそばの岩戸神社。岩の中に組み込まれるように建造されているが、おそらく、古代は、岩そのものが聖域だっただろう。

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大阪府八尾市の恩智遺跡は、石器時代から続く複合遺跡。この写真は、その遺跡の近くの安養寺の裏山の山頂。この近くから、銅鐸が二つ出土した

 

 今は、都市化も進み、ほとんどわからなくなっているが、ここは、石器時代、そして縄文時代の遺跡も重なった複合遺跡だ。さらに、この場所にある安養寺の裏山から銅鐸が二つ出土している。

 そのうえ、この近くの鐸比古鐸比賣(ぬでひめ、ぬでひこ)神社が鎮座する裏山の高尾山山頂付近(神社の奥宮がある)から、多鈕細文鏡(たちゅうさいもんきょう)が出土している。

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恩智遺跡の南に、鐸比古鐸比賣神社が鎮座し、その背後の山の頂付近に巨石があり、ここが神社の奥宮。このすぐそばから、多鈕細文鏡が出土した。

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鐸比古鐸比賣神社

 この鏡は、古代史の謎を解く上で鍵になるもので、なぜなら、日本各地で大量に出土する弥生時代後期の中国由来の銅鏡よりも100年ほど古い弥生時代中期前半(紀元前1世紀)のものであり、幾何学文様のこの鏡は、祭祀道具、呪具として使われている。

 この鏡は、北朝鮮(かつての高句麗)と接する遼寧省に起源を持ち、朝鮮半島で発展したものと考えられている。近畿では、銅鏡は銅鐸が消滅した頃から大量に普及しているのだが、この多鈕細文鏡は、時期的に、銅鐸祭祀とも重なっており、奈良県御所市の第2代綏靖天応が宮を築いたとされる高丘宮跡の南1km(一言主神社の近く)の名柄では、この多鈕細文鏡と、銅鏡が、一緒に埋納されていた。

 八尾というのは、銅鐸の出土地であり、多鈕細文鏡の出土地なのだ。そして、このあたりは、後に物部氏の拠点となる。

 なぜこの場所が、古代からそれほどまで重要な場所だったかを考えるうえで、当時の地図を再現しなければ理解は遠のく。

 添付している地図を見ればわかるように、5500年前の縄文中期には、この八尾あたりまでが海だった。鐸比古鐸比賣神社や、恩智遺跡は、生駒山系の南に位置し、その東麓の高台である。

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5500年前。大阪平野は海で、この湾の右下のあたりが、八尾の恩智遺跡で、石器時代縄文時代弥生時代の複合遺跡。近くから銅鐸が2つ出土している。(柏原市のホームページより)

 なので、恩智遺跡からは、目の前に広がる海を眺めわたせていた。

 しかし、大和川が運ぶ土砂が、この海を埋めていき、やがて河内湖となる。その河内湖の水が弥生時代の稲作に使われていた。この河内湖もしだいに小さくなっていくが、大和川をはじめとする河川は、鐸比古鐸比賣神社や、恩智遺跡のあたりから北上し、現在の淀川へとつながっていた。その周辺では、頻繁に洪水が発生していたため、江戸時代の17世紀の後半に、大和川の付け替え工事が行われ、現在のように、西に流れていく川となったのだ。

 八尾という地名は、大和川がこの地を流れていて、洪水を防ぐ堤を作る際に数えきれないほど「八百」(たくさんの意)の杭を打ったことから転じて『八尾』になったといういわれがあるが、この地図を見てもわかるように、この地を流れる河川が、八つの尾を持つ龍のようにも見える。

 

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17世紀後半、大和川を付け替える前の状況。八尾の南、藤井寺、柏原あたりから、河川が北上し、淀川の方へ向かっていた(柏原市のホームページより)

 八尾のすぐ南の藤井寺に、応神天皇陵をはじめ、超巨大な古墳が数多く作られているのも、この河川の流れとの関係を考えることが必要になる。それらの大古墳群が築かれているのは、大和川が北上していく地点と、石川が合流するところであり、石川は、南に向かって、吉野川の方面に向かう道となっている。

 すなわち、藤井寺は、大和川を通じて、現在の淀川と、三輪山、飛鳥方面を結び、さらに吉野川方面ともつながるわけだから、まさに河川交通(縄文時代海上交通と河川交通)の要の場所ということになる。

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恩智遺跡の南に、鐸比古鐸比賣神社が鎮座し、その奥宮に、巨石があり、ここが神社の奥宮。このすぐそばから、多鈕細文鏡が出土した。岩の上に立てば、平野が見渡せるが、5500年前は海だった。今も流れる恩智川が、眼下に見えるが、海が陸地になった後も、大和川は、この恩智川に平行するように、北上し、淀川とつながっていた。

 地理、地形、地勢を踏まえなければ、日本の古代はわからない。なのに、学校では、そのように複合的に重層的に理解することが妨げられている。 

 歴史だけでなく、様々な領域において、重層的で複合的な問題を、統合的に解いていくということが、疎かになっている。

 人々が簡単に感動してしまう表現というのは、そのほとんどが、重層的で複合的なものを単純にしてしまっているものが多い。

 重層的で複合的なものというのは、簡単にわかったつもりになれないので、単純に感動もできない。

 何かを知ることで、あらたにわからないものが出てくる。だから、スッキリできない。しかし、その重層性と複合性の体験は、得体の知れないものとして、しっかりとした手応えとともに潜在意識に刻まれる。

 その潜在意識の記憶の蓄積が、ものごとを判断するうえで、とても重要なものになるのだけれど、その潜在意識を耕す表現は、減り続けている。

 スッキリとした感動を与えるものばかりに触れていると、重層的で複雑なものごとを見極めたり、洞察する力が、削ぎ落とされていく。

 そうなると、崖に向かって突進していく鼠の群れのように、単純で声の大きな主張に煽られて、パニックに陥りやすくなる。

 すなわち、特定の思想・世論・意識・行動へ誘導する意図を持った行為、プロパガンダに利用されやすくなる。

 

 

ピンホールカメラで撮った日本の聖域と、日本の歴史の考察。

2021年7月5日発行  sacerd world 日本の古層 vol.2   ホームページで販売中

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