第1208回 歪んだ人間の死生観と親子愛

92歳という高齢で寝たきりの母が亡くなり、そのことを逆恨みした66歳の息子が、医師をはじめとする在宅医療・介護に関わった人たちを自宅に呼びつけ、44歳の医師を散弾銃で殺害し、41歳の理学療法士に重症を負わせた痛ましすぎる事件。

 44歳の医師と41歳の理学療法士には、おそらく家族があり、その大黒柱であり、また地域社会としても無くてはならない存在のはず。大きな悲しみと絶望とショックを受けている人は、計り知れないほどいるだろう。

 亡くなった鈴木医師は、ふじみ野市富士見市三芳町の2市1町の在宅患者の約8割、約300人を診ていたようだ。

 仕事熱心で、母親が鈴木さんの訪問診療を受けていた50代の公務員男性は「深夜でも来て、母親に優しい声をかけてくれ、母親も先生の顔を見るとホッと安心した顔をして治療を受けていた。あんなにいい先生が事件に遭うなんて」とショックを受けている。

 鈴木さんは「患者さんがつらいときは時間を気にしなくていいから、いつでも呼んでください」と、家族への気配りを忘れなかった。

 私は、介護現場の取材などを20年間続けているけれど、2000年から公的制度として動き始めた介護保険法は、地域社会で高齢者を、その最期の時まで支え、看取るという古来からの人間の生死の在り方に近づけていくことが本質になっている。

 生きて死んでいくことは、どんな生物にとっても自然なことだ。

 現在、身体のあちらこちらが傷んでいる高齢者の病院から在宅へという流れが加速するなか、在宅医療の必要性が増しているものの、在宅医療の現場に身を捧げようとする医師の数は、まだまだ足りない。

 自分が病院にいて、入院患者や通ってくる患者を相手にする場合に比べて、対応できる患者数が少なくならざるを得ず、そのために収入が低くなることも理由の一つだと聞いている。

 また、病院で診ている時に比べて、それぞれの家庭の事情に巻き込まれやすくなり、よけいな時間とエネルギーもとられる。そういうことを踏まえ、在宅医療を選んでいる医師は、医師としての志が高く、情熱がある人が多い。

 今回、犠牲になった方も、きっと同じだろう。

 そして、90歳を越えて亡くなった母は、自分の死が引き金となって、自分の息子が人様の尊い命を奪ったとなれば、もし、あの世に魂が存在しているならば、これほどの悲しみはないだろう。それこそ、いったいなんのために90歳を超えるまで長生きしたのか、自分の人生の全てを、否定せざるを得ない。

 ”長生きだけ”することになんの意味があるのか。

 歳月だけ積み重ねることに、どれだけの価値があるのか。

 人間は、あらゆる生物の中で進化の頂点に立っていると自惚れている。

 それは、人間が、他と自分を比べることが好きな性質を持っているからそう思うだけで、生物というのは、他と比べて存在しているのではなく、それぞれの種が、それぞれの種に与えられた持分のなかで、種全体のいのちのリレーのために個別に役割を果てしながら環境適応するよう自分を変化させているにすぎない

 現在、変異を繰り返しながら生き延びているコロナウィルスも同じ。

 昆虫は、そのようにして数億年生き延びているわけだから、人間よりも、はるかに洗練された生存戦略を備えている。

 人間は、あらゆる生物の中で、もっとも歴史が浅く、だからもっとも未熟なのだ。

 他の生物に比べて経験の乏しい未熟な人間は、さらに、凶暴な牙や爪も鎧も、襲われたら逃げ切れる脚力も、飛翔力も持たない。

 そんな人間が、お年寄りを大切にするという道徳を作り上げたのは、人間の優しさなんかではない。お年寄りの経験と知恵が、弱い自分たちを守るために必要だったからだ。

 お年寄りも、そのことをわきまえていた。年をとれば、自分のことよりも、次の世代のことを考えるのが自然だった。

 今回の事件、92歳の母が亡くなったことに絶望して、担当医師たちを道連れにして自殺しようと考えていたという66歳の息子は、年金生活者の年齢に達しており、自分のことより次世代のことを考えなければならないお年寄りだ。そのお年寄りが、社会の第一線で活躍している44歳を殺害し、その方の周りの人たちを絶望の淵に追い込んでるという究極の歪み。

 現在、自分の我欲のために、次の世代の可能性の芽をつぶす年寄りの、なんと多いことか。種としての衰亡につながるだろう。

 生物のあり方や行動特性は、どんなことでも、そうなるべくしてなった理由がある。

 その本質を忘れて、形だけに執着する時、歪みが生まれる。

 自然死を待つだけであった90歳を超える母の死を恨み、他者の肉体だけでなく、その魂を奪うことになってしまった殺人者。

 今回、その犠牲になった医師は、肉体が殺されたというだけでなく、彼のかけがえのない魂が奪われたという感じがしてならず、だからなおさら、無念な気持ちになる。

 

 

ピンホールカメラで撮った日本の聖域と、日本の歴史の考察。

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