第1233回 古代から人間は同じことを繰り返している。

 ロシアとウクライナの戦争が、このまま続けば世界はどうなってしまうのか?

 単純化してしまうことに慎重でなければならないと思うけれど、こうした戦争は、けっきょくのところ男性原理が突出した形で現れた結果ではないだろうか。

 強い方が偉くて立派だと思い込んで勝つか負けるかに頑なにこだわり続けること。

 もちろん、今日の世界は女性の社会進出も著しく、社会の中で勝ち抜くことにこだわり続ける女性も増えているだろうが、勝つことだけが全てではない、ということを弁えている人の数は男性よりも女性の方が多いのではないだろうか。

 日本という国は、卑弥呼の時代から、男がトップに立つと国中が争って乱れ、女性をトップに立てることで治ったという歴史があった。

 また、律令制が整えられていく飛鳥時代から奈良時代の前半まで、女性天皇が続いていた。第35代皇極天皇、第37代斉明天皇(皇極天応の重祚)、第41代持統天皇、第43代元明天皇、第44代元正天皇、第46代孝謙天皇、第48代称徳天皇孝謙天皇重祚)だ。

 現在の日本は、皇位継承権を「男系男子」に限定していることの問題に直面しているが、答えを決定していくメンバーの大半が男性だから男系にこだわっているだけであり、過去において、女性天皇は不自然でも何でもなかった。

 そして、古事記日本書紀が編纂されたのは、持統天皇から元明天皇といった女性天皇が中心の時だった。

 古事記日本書紀の記述内容について、藤原不比等の陰謀による歴史の書き換えなどと、陳腐なことを主張する歴史好きとか、自称歴史専門家がいる。彼らもまた、男性原理が強すぎて、歴史の動きが、陰謀も含めて勝ち負けの論理だけで決まっている思いこみすぎている。

 彼らは、古事記日本書紀に書かれていることの真意をまるでわかっていない。

 陰謀論の好きな人は、たとえば出雲の物語や国譲りにおいても、侵略戦争のことを伝えていると思いこんでいる。

 そして、遠い過去において、一度、そういうことが起きたと思っている。

 実際は、国譲りの物語は、一度起きた史実ではなく、人間社会の法則を象徴的に伝えている。

 大国主に対して国譲りを迫るタケミカヅチが、述べている言葉は、

 汝之字志波祁流 此葦原中國者 我御子之所知國

「汝のウシハケる この葦原の中つ国は 我が御子のシラス国なるぞ」である。

 ウシハクというのは、力のある者が全てを所有物と見なす国のことであり、シラスというのは、「知らせ」を聞いた者が他の者と情報を共有化し、役割を定めて治めるところだ。

 古事記や日本書記が書かれた頃は、律令制を整えていく段階だった。

 律令制というのは、学校の教科書で習う時は、そういうことがあったと教えられるだけだが、それまで先祖代々受け継いできた土地を、いったん朝廷に差し出して、それを借用するという形をとることであり、急激に共産主義社会にするようなものである。法律や制度を変えるだけで人々が簡単にそれに従うはずがない。

 そういう体制を維持するためには、まずは新しい思想の創造が必要だった。

 ウシハクではなくシラスの国にしようという国譲りの宣言は、そのことを表している。そして、この思想の確立の段階で、女性天皇が続いたのも、たまたまではなく、必然的なことだっただろう。こうした体制転換、つまり、国譲りの歴史は、一度きりではなかった。

 飛鳥時代蘇我氏物部氏の戦いがあった後、女帝の推古天皇が長期にわたってトップに立ち、聖徳太子がそれをサポートしたという、卑弥呼の時代と同じような統治体制が伝えられている。

 蘇我と物部と戦いも、仏教をめぐる対立のように教科書で教えられるが、それは、後の時代の仏教教化の流れに重ねられただけであり、実際は、物部守屋が後ろ盾になった穴穂部皇子が、ウシハク=(力のある者が君臨する)の王になろうとして、それを蘇我馬子が阻止したことが背景にある。

 大国主の国づくりの歴史も一度きりの話ではなく、これは、人間社会に何度か起きている発展の法則を伝えている。

 国譲りの主役は大国主だが、鍵を握っているのは、大国主をサポートするスクナビコナだ。この神は、新しい知識や技術の神であるが、その親は、造化三神の一柱であるカミムスビだ。カミムスビは、高天原にいるのにかかわらず、出雲系の神々を支援する特殊な神であり、高天原の神々にとって出雲の神々が敵ではないということを、カミムスビが示している。

 カミムスビが何なのかを考えるためには、造化三神の中で重要な役割を果たすタカミムスビのことを理解しなければならない。

 天孫降臨の際に、アマテラス大神とともに重要な司令塔の役割を果たすのが、このタカミムスビで、この神は、天の磐座で、指令を出す。

 タカミムスビというのは、この世界に、あまねく行き渡っているエネルギーのようなものであり、人間が手をくわえる前の資源だ。水や空気、鉱物など、すべては、何ものかになりうる可能性に満ちた存在であり、私たちは、そうした世界の中で生きている。縄文人にとって、そうしたエネルギーそのものが神であった。

 その神は人間の意図とは関係なく、何かしら次に起きることの気配を人間に伝えた。気圧が変われば天気が変わるように。そのお告げを読み取る能力のある巫女が、古代世界には現実に存在した。そして巫女は織姫であった。そして、その神託を受ける場所は磐座だった。磐座学会は、磐座を人工的なものと定義しているようだが、それは極めてナンセンスな考えであり、人間の手を介さない領域のことを受信する場は、非人工的なものであるから、天然の巨石の方がふさわしい。

 後の時代、水田耕作がはじまった後、祈雨とか止雨など人間の願望を神に伝えるために、臨時の神霊を招き降ろす場を作った。 それが神籬(ひもろぎ)だが、榊などの常緑樹を立て、周りを囲って神座とした。なかには、岩を結界で囲むなど、人工的な手を加えることもあった。それらは、人間の分別や意図がくわわっているものであり、縄文時代の磐座とは異なる。

 そして、あまねく行き渡ったエネルギー(タカミムスビ)を、何らかの形に結実していく力が宇宙には働いており、それが、カミムスビである。

 たとえば、泥沼が乾いて煉瓦になったり、木と木がこすれ合って火が起きたり。

 人間以外の生物たちは、そうした自然現象に対して、自然のまま対応している。

 人間だけが、その自然現象からヒントを得て、手を加え始める。カミムスビの子のスクナビコナが表しているのは、そうした力だ。

 そのスクナビコナの協力を得て大国主の国づくりが行われる。これは、人間社会が、様々な工夫を凝らしながら産業を発展させていく段階のことを示している。

 この段階での人間は、世界をありのまま受け入れるのではなく、分別によって、より良いもの、より優れたもの、より強いものを目指していく。だから、当然ながら、競争があり、戦いが生まれる。競争や戦いが、人間社会の発展と、切っても切れない関係になる。

 そして、最終的に、一番強いもの、もしくは一番優れたものが、全てを手中におさめようとする。(それが可能になるのは、多くの人間が、一番強いもの、一番優れたものに任せることが良いと思うからでもある。)

 これが、国譲りの物語に出てくる「ウシハク」なのだ。

 人間は、こうした歴史発展の段階を何度も繰り返している。

 この「ウシハク」の最終段階に至った時というのは、色々な知恵や技術も、かなり行き渡っているという状態でもあり、だからこそ、改めて、「シラス」の状態へと移行することの大切さが、国譲りでは説かれている。そうしないと、すでに獲得している技術や知恵を活用して、その使い方を間違えて、不幸なことが起きるからだ。技術や知恵が発展していれば、戦いによる破壊も、より大きくなる。

 だから、国譲りの神話では、改めて、宇宙に最初に現れた造化三神タカミムスビが前に出てくることになる。

 そして太陽神も、2度生まれる。

 最初は、人間の分別以前で、イザナギイザナミの陰陽両神によって生まれる。この段階での太陽神は、山や川やすべての自然物と等しい存在であり、オオヒルメノムチと名付けられている。

 2度目の誕生は、イザナミが死んでしまい、黄泉の国からもどってきたイザナギが、禊をする時に、アマテラス大神として生まれる。つまりこれは、陰陽のうち、陰(女性性)が欠けた世界からの新たな秩序づくりである。イザナミイザナギ、つまり、波と凪があってこその宇宙のリズムだが、波(不安定)よりも凪(安定)を優先する心理世界のはじまりである。

 この時期は、遥かなる昔ではない。なぜなら、黄泉という概念が存在しているからだ。

 5世紀の後半までの古墳では、石室は縦穴式であり、前方後円墳の円墳部分の頂上に築かれていた。死んだ人間の魂は天に上っていくと考えられていた。その時、黄泉という概念はなかった。

 しかし、6世紀になって、石室は、古墳の一番下の内部深くに築かれ、地面と同じ高さに入り口を設けた横穴式となった。

 石室を囲んでいる地面の向こう側が黄泉であり、だから、黄泉の旅のために、食べ物なども備えられた。黄泉の概念は、この時から始まっている。

 黄泉という概念が生まれ、禊をして穢れをはらわなければならないことがあって、太陽神が登場する。この時の太陽神は、タカミムスビと同じく、あまねく行き渡るエネルギーを象徴しており、だからこの二神が、国譲りの指令を行う。

 大王の石室が横穴式になったのは第26代継体天皇の時であり、この天皇は、それまでの天皇と血統が変わっている。継体天皇の即位以降、6世紀、日本は、ウシハクからシラスに向けた体制変化の一歩を踏み始める。

 しかし、すぐには簡単にできるものではなかった。

 7世紀、蘇我と物部の戦いがあり、その後、長期にわたった推古天皇聖徳太子に象徴される時代にも、その試みが行われていた。

 晩年の聖徳太子は、古事記日本書紀のもとになる天皇記と国記の編纂に、力を尽くしていたとされる。

 しかし、7世紀中旬の乙巳の変を経て、白村江の戦い壬申の乱など、混乱はなおも続き、ようやく律令制が整えられたのは、持統天皇から元明天皇の女帝時代だった。

 学校の教科書では、奈良時代平安時代は、律令制の時代で、1192年の鎌倉時代から武士による封建時代が始めると教えられるが、すでに900年代の前半、菅原道眞の祟りが吹き荒れた時をきっかけに、律令制の要である班田収授は一切行われなくなったので、平安時代の最初の100年しか律令制は続かなかった。菅原道眞の祟り騒ぎの背後には、当然ながら、律令制を終焉させようとする者たちの動きがあった。

 現代社会の価値観では、国譲りは、侵略戦争としてしか認識されない。

 それは、そう認識する人たちが、強いか弱いか、優れているか劣っているか、勝ちか負けか、損か得かという価値認識に、完全に支配されているからだ。

 なので、侵略戦争について、あれこれ解説する人や媒体のなかでも、勝ちと負けにこだわり、競争が生まれる。

 人間は、同じような歴史を繰り返しており、古代の人々は、私たちが想像している以上に、そうした人間の性質を理解していた。

 西欧社会の価値基盤の深いところに横たわっている旧約聖書にも、それが反映されている。

 アダムとイブが楽園から追放されたのは、分別という果実を手にしたからであり、その時から、恥の意識が芽生えた。

 恥の意識は、優劣を競う心となり、妬みとなり、すぐにカインのアベル殺しが生まれた。

 その後すぐに様々な技術の誕生が紹介され、ノアの洪水という自然災害をきっかけに、人間は神頼みをやめ、ひたすら人間の力だけを信じるようになってバビロンの塔を建設する。

 その結果、言葉が乱れる。これは多言語になるということではなく、産業の発展や社会体制の官僚化によって、記号的で形式的な言語が増えるということであり、そうなると、今でもそうだが、真意を伝え合うコミュニケーションが難しくなる。

 その後すぐ、ソドムとゴモラの時代となり、飽食の世界が滅びる。

 生き残ったのはアブラハムであり、アブラハムは、すべてに対して執着を持たない存在として描かれている。試練の最後には自分の最愛の息子イサクを差し出すように神に求められ、それを実行しようとして、神は、アブラハムの試練をやめる。

 アブラハムが、究極の選択においても、自己意識にとらわれていないからだ。

 アブラハムが創造された2000年後、イエスキリストが創造されたが、イエスキリストが引用するのは、つねにアブラハムがどうしたか、ということだ。

 アブラハムやイエスキリストや、シラスの国を、私たちが実現しなければならないものとして、古代人が伝えているわけではないだろう。

 人間が、そんなに簡単に、そうできるものでないということを、古代人も知り尽くしていただろうし。

 それでも古代人は、今、自分たちの目の前に起きていることも、本質的には、過去から変わらないことであるという自覚を持つことで、冷静な判断を取り戻そうとしたのであろう。

 すでに偏った分別をもってしまっている人間が、その分別の偏狭さを認識することは、難しい。 

 しかし、自分にとって重大なことで絶対的であるかのようなその分別の尺度が、実は、ただのボタンの掛け違えにすぎないということがある。

 ロールシャッハテストで、黒い部分にしか意識がいかなくて壺にしか見えなかった絵が、白い部分に意識を置いた瞬間、向かい合う二人がそこに在ることに気づく。

 人間の意識分別は、視点を置く場所によって簡単に入れ変わってしまう。

 ここにこうして書いている私の文章もしかりで、こういう視点の置き方も可能であるという明示にすぎない。

 ただ、文章に限らずどんな表現も、正しいことを伝えることに意義があるとはかぎらない。

 黒い部分だけでなく白い部分にも視点を置いてみることを促すことで、世界の見え方が変わってくることもある。そういう役割を果たすアウトプットがなくなってしまうと、人間意識は、ますます偏狭なものになっていく。

 

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