第1243回 フォッサマグナと縄文王国

ヒスイ峡にそびえる明星山。(新潟県糸魚川市

 日本列島を南北に分断するのは中央構造線で、東の端に位置する茨城の鹿島神宮から、秩父、諏訪を通り、愛知の豊川稲荷、伊勢、高野山、四国の剣山、九州の高千穂など、日本を代表する聖域が、この中央構造線上に配置されている。

 そして、日本列島を東西に分断するのがフォッサマグナ。新潟の糸魚川と静岡を結ぶ糸魚川・静岡構造線がその西の端で、この構造線上や、その東側の長野の戸隠から群馬の妙義山、そして八ヶ岳や富士山など、大地の下のエネルギーの影響を受けた世界が広がる。

 興味深いのが、いわゆる縄文王国といわれる新潟、長野、群馬、山梨が、このフォッサマグナの一帯に集中していることだ。

昇仙峡(山梨県甲府市             妙義山群馬県甘楽郡下仁田町

親知らず・子知らず(新潟県糸魚川市       戸隠山(長野県長野市

 そして縄文遺跡は、北海道や東北にも多くあるが、なぜか、北海道の小樽から東北の奥羽山脈にいたる東日本の火山帯にそって展開している。とくに東北や北海道の代表的なストーンサークルは、この南北の火山帯周辺に集中しているのだ。

忍路環状列石(小樽市

 縄文人について、動物を追いかける移動生活を送っていたと思っている人が多いが、石器時代縄文時代も、人々は、ほぼ同じところに住み続けており、住居跡も、前のものの上に積み重なったいるところが多い。その同じ場所に共通しているのは、豊かな湧き水が出るところだ。東京では吉祥寺の井の頭公園などが代表的だが、武蔵野の縄文遺跡も、古代から現在まで変わらず湧き水が出続けているところにある。そして主なタンパク源は、動物というより魚介類である。

 地上の河川は柔らかい沖積平野の上を流れているので、しょっちゅう流れが変わるが、地下の水路は硬い岩盤の上なので、数千年以上、流れが変わっていない。だから安定的に水が得られる。

 縄文人は、この安定的な水資源を重視していたのだが、それにくわえて、なぜか、大地の活動が活発なところを拠点としていた。

 縄文人は、大神殿を作る技術を備えていたのに、竪穴式住居に住み続けた。それは、技術的な問題ではなく、居心地の良さだったのではないか。

梅の木遺跡。(山梨県北杜市

 地面を少し掘り下げ、大地のエネルギーに包まれて眠ること。それは、母親の子宮の中のような感覚だろう。実際に、竪穴式住居の入り口にあたるところなどに、胞衣(胎児が生まれた時の胎盤など)が埋められており、その理由は謎で、いろいろな議論があるが、縄文人にとって夜眠ることは、母胎回帰のようなものであり、目覚めは、常に新たな生命誕生だったのかもしれない。そういう生命観をもっていた縄文人は、現代人からすれば避けたくなるような荒々しい自然を、ごくあたりまえのように受け入れていた。

 真相はわからないが、縄文時代でもとくに土器文化が発達したのが、新潟、群馬、長野、山梨というフォッサマグナ地帯であり、ここで創造された土器は、誰が見ても、利便性よりも、生命エネルギーの力強さの方が優先されていることがわかる。

 

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