第1261回 シベリア収容所を通して見るロシアとウクライナの現実

 昨日、新宿のオリンパスギャラリーで行われている野町和嘉さんの「シベリア収容所」の写真展において、野町さんとトークをさせていただいた。

 野町さんは、報道写真を撮っているわけではないので政治的な話になるのは嫌そうだったが、私なりに気になることがあったので、あえて、そのあたりの話にも少し踏み込んだ。

 というのは、冒頭の野町さんの挨拶で、今回の展示を見た人の中に、「シベリア収容所というから見に来たが、女性が化粧しているし小さな子供達もいるし云々で、こんなの収容所と言えるのか」といった類のクレームを入れた人がいたという話が出たからだ。

 そのクレームの人が問題だと言いたいわけではないが、世間には、見る人を誘導する政治的アイコンのような写真が多く出回っている。

 現在、ロシアとウクライナの戦争においても、連日、報道でロシアの暴挙が伝えられていて、ウクライナ側から、収容所経由で100万人以上の住民がロシアに強制連行されたという報道もあったり、第二次世界大戦後の日本兵捕虜のシベリアでの悲惨な収容所体験も伝えられているので、野町さんが撮った収容所も、そういうイメージのものであるはずと思いこんで会場に来たものの、展示されている写真は、そのイメージとは少し異なっているので、戸惑う人がいるかもしれない。

 しかし、人間が背負う哀しみとか辛さというのは、それほど単純なことではない。

 誠実なる眼差しでとらえた写真というのは、それほど単純ではないという事実こそを、きちんと伝えるものであり、人々があらかじめ抱いている観念にそって、それを強調するようなものは、世間に受け入れられやすいかもしれないが、誠実なる写真とは言えない。

 野町さんが取材した時の収容所にいる女性の囚人の1/3が殺人犯である。しかし、その女性たちは、夫や恋人からのDVの被害者で、自己を守るために衝動的に殺害に至った人が大半だ。そして、収容所にいる子供達は、暴力をふるっていた夫や恋人とのあいだの子が、DV相手を殺害後、収容所に服役中に生まれたからだ。また残りの2/3は窃盗が主だが、高価な貴金属ではなく、家電製品一つで7年もの長期間、抑留されたりして、そのあいだに夫が妻の出所まで待たずに離婚となったり、収容所の職員たちと囚人の女性が性関係になって子供が生まれたりしている。

 ロシアの収容所は、囚人を使った強制労働のための施設であり、アウシュビッツの収容所のように殺害を目的としたものではない。

 ロシアは、広大な国土を持ちながら人口は1億4500万人で、狭い島国の日本より2000万人多いだけだ。中国やインドの10分の1、アメリカと比較しても半分以下。にもかかわらず、未開発の土地はいくらでもある。

 収容所に抑留されている人たちが、土木工事や、資源開発などの重労働を行なってきた。第二次世界大戦後、ソ連は、急激に核大国となったが、核関連施設の建設と、ウランなど核物質の採掘には、数十万人の収容所抑留者が動員された。

 ソ連(ロシア)の体制は、人権ということに関して、私たちの常識感覚では計れないことを行なってきた。

 たとえば第二次世界大戦におけるソ連の戦死者は1450万人、民間人の戦死者は600万人とされる。

 ソ連の次に多いのがドイツで、戦死者は280万人、民間人は230万人、原爆を二つも落とされた日本の戦死者は230万人、民間人は80万人、英米仏など戦勝国は、それぞれ20万人台。ソ連戦勝国の側だが、他の戦勝国の100倍の人が亡くなっている。

 ナチスドイツを打ち負かしたのはソ連の功績だとされているが、勝ったソ連の方が、ドイツの4倍の人が亡くなっているのだ。

 なぜこうなるのか。普通に考えれば、1450万人の戦死者を出す規模の軍隊の一人ひとりに武器装備をさせて訓練ができるはずがない。なので、このソ連の戦死者は、ほとんど装備も持たず、訓練も受けず、身体を盾としてドイツ軍の進路を阻むために敵の最前線に送り込まれたからだろう。

 ロシアを旅行したことがある人は気がつくと思うが、一人の人間として接する時のロシア人と、公務の時のロシア人が、まるで別人格のように感じられることだ。

 もちろん、その違いは、どこの国でもあるが、ロシアという国における公務は、時に、人間の冷徹さ、頑なさ、狡さが、露骨に出るようにも思う。

 ロシアは、もともとは、1000年以上前、現在のロシアで言えば西の端の方に定住生活を始めた遊牧人だった。ウクライナベラルーシも同じだ。

 当時、現在のロシアの領土である中央アジアや極東など大部分は、モンゴル人など遊牧騎馬民族が支配する地域だった。彼らは、東では中国を攻め、西では、欧州を脅かした。そして、そのあいだのロシアは、蹂躙され、破壊され、男性は殺され、女性は強姦され、時には拉致されていた。かつて、モンゴル軍など遊牧騎馬民族の戦闘力は地球上最強だった。

 その局面が変化し始めたのは、15世紀から16世紀、ヨーロッパでルネッサンスが起こった後、大砲や銃が発明され使われるようになった時だ。

 同じ頃、日本では、その銃をいち早く取り入れた織田信長が、それまで最強だった武田の騎馬軍を打ち破った。

 ヨーロッパと接していたロシアもまた、新たな軍事力を取り入れ、それまで太刀打ちできなかったユーラシア大陸の遊牧騎馬民族を打ち破っていき、国土を東へと広げていった。

 とはいえ、広大な地域であり、遊牧騎馬民族の力が完全に衰えたわけではなく、たびたび襲撃を受け、略奪され、その防衛線の管理・警備には年間数万人の兵士の配備を要したとされる。

 そして、ヨーロッパが絶対王政の時代となる17世紀から、300年にわたるロマノフ王朝が始まる。

 しかし、ロシアの王政は、欧州の王政と決定的な違いがあった。

 欧州では、封建体制が崩れ、都市に出た農民が労働力となり、産業革命が起こり、資本主義が発達していくことになった。

 それに対してロシアの王政は、農奴制を強化した。欧州のように都市が発達していなかったということもある。

 そして、税制は、人頭税だった。土地の広さに対してではなく、人数に対して税金をかけるという日本の律令制のようなものだ。広大な領土で、土地を計測して税金を課すというのは、物理的に難しかったのかもしれない。

 人頭税だから、農奴が逃亡すれば収税額が減るから、それを厳しく罰する法律が作られ、地主もまた、農奴の逃亡に対して大きな責任を負うことになったので、農奴の管理を徹底した。

 農奴は移動の自由のみならず結婚の自由ももたず、領主裁判権支配下に置かれた。

 領主裁判権は殺人などの重罪をのぞき、領主または領地管理人が審判し、判決を下す制度であり、農奴たちは些細なことで鞭打ち刑や罰金刑に服さなければならなかった。

 そのようにして、ロシア人民の犠牲のもと、維持されてきたのがロシアの体制だった。

 17世紀半ばから19世紀の後半まで、農奴は基本的に移動が禁止され、土地に縛り付けられていた。そして、この農奴たちを売買することさえ可能であり、彼らの基本的人権は尊重されなかった。

 そうした厳しい締め付けでも、たとえば日本の平安時代などは、逃亡農民はいくらでもいて、彼らは海賊になるなど、他の生き方を選ぶことができたが、広大なロシアの大地では、逃亡さえ容易ではなく、逃亡先で生きていくための術も想像できなかっただろう。

 そうしたなかで、1789年のフランス革命などの影響を受けて人権意識が高まり、結果として起きたのが1917年のロシア革命だから、この革命は、マルクスが描いていた共産主義社会のための革命ではなかった。なぜなら、社会において生産性が向上し、プロレタリアートの力が十分に高まった状況での革命ではないからだ。

 つまり生産力向上のための技術革新などが十分に行われていない状態で起きた革命で誕生したソビエト連邦では、人民の自由意志による成長は望めなかった。

 だから、クレムリン政府は、人民を国家管理のもとにおいて、銃で脅し、強制する体制を作ることになった。自由競争による切磋琢磨と、それに伴う人権意識の熟成を奪い、国家の発展や、国家の危機に対しては、人民を駒や盾として使う政策となった。

 それは、帝政時代の農奴制が、ソ連社会のなかで、違う形で継承されたようなものだ。

 このように人民を盾にして国家を守る体制は、帝政時代の1812年、破竹の勢いだったナポレオンの軍勢を食い止めた戦争に象徴されており、現大統領のプーチンの演説でも、「若者も老人も国民皆が一斉に侵略者に対して武器を持って戦い、彼らの比類のない精神の勇気と力そして祖国愛が我が国に力を与えた大祖国戦争である」と力説をしている。

 このナポレオンとの戦争では、最新の軍隊組織を持つナポレオン軍に対して、民兵の動員も含めてほぼ同じくらいの数の兵力を準備し、退却を繰り返しながらロシアの奥へと誘い込み、厳寒の中、ナポレオン軍の疲弊や餓えや士気の低下や兵士の離脱を狙うという戦略がとられた。

 その罠にかかって侵攻を続けたナポレオン軍が、休息と食料調達を期待してようやく辿り着いたモスクワは、ロシア側によって、焼き払われていた。

 そのため、食糧も尽きて、極寒の中、安息地がどこにもないナポレオン軍は退却することになった。その退却路を、ロシア軍はゲリラ的に襲撃した。最終的にナポレオンの陸軍は当初の60万から5千まで減ったとされるが、戦闘によるロシアの死傷者も大差なかった。しかし、それよりも、戦線の通過で荒廃した地域の住民の被害は大きく、全体としておよそ数百万人が死亡したと見られている。

 第二次世界大戦の時も、上に述べたようにソ連の死者数が突出して多いが、プーチンは、この二つの戦いを、特別な祖国戦争と位置づけているのだ。

 話を冒頭に戻すが、ロシアの収容所の本質というのは、このように体制の管理下で、人民を捨て駒にするという帝政ロシア時代の農奴制の延長にある。

 だから、そこには、とりあえずの生活はあるし、抑圧状態にある人間の吐け口となる性に対しては、わりと寛容なところがある。どんな形でも人の数が増えればいいという事情もあるからだ。しかし、人権が奪われている。

 野町さんの「シベリア収容所」の写真展に映し出されているのは、その人権を奪われた人間の哀しみである。とくに女性たちの多くは、収容所の外の現実社会などでも暴力にさらされ、脅かされ、人権を奪われた状況で生きていた。そして、その極限状況のなかで身を守るために相手を殺傷するという事態となり、収容所に閉じ込められ、強制労働を強いられている。しかし、収容所の中は、人権は奪われていても、以前の外の世界のような暴力に晒されないということで、シェルターにもなっている。とくに、この撮影時は、1991年のソ連崩壊の翌年で、社会の混乱は甚だしいものがあり、食糧にありつけるかどうかもわからなかった。ゆえに、収容所内の女性たちには、哀しみとともに、安息感も漂っている。

 そして、ウクライナというのは、東スラブ人がルーツで民族的にはロシア人と同じだ。

 ウクライナという場所は、ロシア帝国の時代は小ロシア県だったが、ロシアの中でヨーロッパ世界と直接的に接する部分であり、それがゆえに、ヨーロッパの空気を肌で感じ、さらにヨーロッパとのあいだに確執が起きると、ロシア帝国の駒として真っ先に犠牲になるところだった。

 19世紀のナポレオン戦争、そして20世紀の二つの世界大戦でもドイツとの戦いの最前線だし、桁外れの数になったロシア国(ソ連国)の戦死者や民間人の死者の多くは、ウクライナの地にいた人々で占められている。

 そのため、ウクライナの地では、ロシア帝国時代から、ロシア中央政府の駒としてではなく、自決を求めた分離独立を求める空気が強く、1917年のロシア革命の時にはその可能性もあったのだが、新ソビエト政権によって、それを阻まれた。

 ロシア(ソ連)の中央政府にとってウクライナの場所は、絶対に手放したくない地政学的に最重要の場所だからだ。

 広大な国土を持つロシアだが、海に至るルートは、極東と北極海、フインランド湾と、黒海しかない。そのなかで地中海へとつながる黒海だけが、世界に開かれている。この黒海に面する大部分を占めるのがウクライナの地だ。だから今、ロシアは、ウクライナとの戦闘で奪った黒海沿岸地の領土化を正当化するための手を次々と打っている。

 さらに、ウクライナの地は、大経済圏であるヨーロッパと直接つながるルートであり、現在のロシア経済の柱であるエネルギー資源の輸出において、ウクライナの地をパイプラインが通っている。ウクライナの地にいる住民が、ロシアの国益に反することを決定することを、ロシアは当然ながら危惧する。ロシアにとってウクライナの地は、管理できる対象でなければ不安でならない。

 そうすると、これまでの歴史がそうであったように、人権は無視される。

 現在のロシアの非道に対して、当然ながら、暴君プーチンがクローズアップされるが、一人の個人の力だけで歴史が決まっていくということはありえない。

 1991年のソ連崩壊で混乱するロシア社会が、2000年以降、経済力を向上させ、賃金のアップと失業者の減少へと導いたプーチンの政策を、ロシア国民が支持したからこそ、プーチンの長期政権が実現した。反対者を殺害したから長期政権になったという単純なことではない。

 そして、なぜロシア経済が好転したかというと、プーチン外交政策によって、ロシアの資源を欧州に売る道筋がつけられたことが大きいが、そのパイプラインが、ウクライナの地を通っていたり、黒海から輸出されたりしているのだ。

 そのウクライナを管理するためのロシアの横暴に対するアメリカを中心とした制裁政策は、深刻なエネルギー危機と物価高につながり、欧州の首を締めており、このたびの戦争の影響が、全地球的なものになっているのも、プーチン外交政策の延長にある。

 ロシアの地が、東の遊牧民族によって蹂躙され、破壊され、殺され、強姦され、拉致され続けていたのは、そんなに昔のことではなく、わずか500年ほど前迄のことである。

 そうした悪夢のような日々から逃れるために、ロシアという国の体制づくりは進められて、その延長戦上にあるのが、ソ連であり、現在のロシアだ。

 そして、ナポレオンやドイツとの戦いにおいて、住民を捨て駒にすることで勝利したことで、世界の大国となり、大国としての権威を最大限に高めたのが、第二次世界大戦後のアメリカと対抗する核武装だが、これもまた自前の技術ではなく、マンハッタン計画に従事していた研究者たちの自主的スパイ活動によって、ソ連にもたらされたものだった。

 その技術を具現化するために、収容所に抑留されていた数十万という人たちが、各施設の建設と核関連物質の採掘に動員された。

 こうした歴史の詳細について、これは正しいとか間違っているとか議論するだけでは意味がない。

 歴史は大河の流れであり、現在起きていることは、その流れの一部だと認識するために、歴史を知る必要があると思う。

 もちろん、歴史を知ったからといって、現在起きていることが正当化されるわけではない。

 しかし、その背景を知らずして、自分が知っている断片的知識の中だけで物事を見て判断して善悪を論じても、それは自己本位に白黒を決めて自分をすっきり納得させるだけのことである。そうしたことだけを望む人たちには、告発的な狙いを意図した写真の方が、受け入れられやすい。

 野町さんの写真は、そういう告発を意図して現場を恣意的に切り取ったものではない。

 冒頭に書いた人のように、「こんなのは収容所ではない」というクレームは、自分が知っている断片的知識の中だけで物事を見て判断する癖がついているからだろう。

 それは、マスメディアの報道にも問題がある。マスメディアは、こうしたクレームを一番恐れているところがあり(クレームを受けて降板とか謝罪とかしょっちゅうだ)、人々が既に抱いているであろうイメージを、損なわないような情報操作をしがちだ。

 イラクアメリカの戦争などでも、悪の権現フセインというイメージが広まると、それを上塗りするような報道ばかりになる。

 野町さんの写真におけるスタンスは、「見る力」に徹することだ。つまり一切の観念にとらわれずに、見ることと、撮ることを一体化すること。これは簡単なことのように思われるかもしれないが、そうではない。通常、われわれ人間は、自分がもっている観念にそったものを無意識に目で選んでいる。目は、自分の見たいものを見て、見たくないものを見ていない。

 野町さんは、シベリア収容所の写真においても、そうした観念を一切取り除いた目力で、事物を見て、写真を撮っている。

 その結果、多くの人が何となくイメージを持っている「ソ連のシベリア収容所」のイメージとは異なる生の空気が写真に捉えられることになった。

 その生の空気には、ロシア社会の底流に流れ続けている哀しみが立ちこめており、その哀しみは、ロシアの歴史と深くつながっている。

 固定観念を捨てきって見ることに徹すること。そうしたスタンスで撮られた写真の力によって、人々の固定観念は揺らぎ、これは一体どういうことなんだろうと、その背景への思いをめぐらす端緒となる。

 こうした思索は何かしら具体的な解決につながるものではないと、結論ばかりを求める人は反論するかもしれない。

 しかし、性急な結論が、本質的な解決につながるとも思えない。

 現在、地球上でもっとも大きな国土を持つロシアの、亡国に対する恐怖を、理解し、実感することは難しい。

 仮に、ウクライナからロシアを追い出したとしても、この恐怖があるかぎり、ロシアは、住民を捨て駒にして、その恐怖から逃れるために違う手を売ってくる可能性が高い。この場合の住民は、ロシア国内の住民だけでなく、全世界の住民となる可能性だってある。

 10月8日のロシアのミサイルによるウクライナ全土攻撃に関して、ミサイルの精度がどうのこうのと矮小な議論が起きているが、この攻撃は、直接的な戦闘効果を期待しているものではなく、一つのデモンストレーションであることは明らかだ。

 ロシアは、自分を守るために、無差別に、どこに落ちるかわからないミサイルを発射する可能性がある。そして、ミサイルは、核爆弾を積んで発射することも可能である。

 10月13日、 ロシア連邦安全保障会議のアレクサンドル・ベネディクトフ副書記は、国営タス通信とのインタビューで、ウクライナ北大西洋条約機構NATO)加盟が第3次世界大戦を引き起こすと述べた。

 ウクライナNATO加盟は、ロシアにとって軍事的な恐怖だけでなく、パイプラインなど経済の命綱さえも、自分の思うままにならない可能性を意味する。

 この不安心理を、私たちは想像できていない。

 なので、ロシアの横暴を非難する心が、ウクライナNATO加盟を応援する心理につながって、それが広がる方が、より危険かもしれない。

 そして何よりも忘れてならないのは、ウクライナもロシアの歴史とともにあったということであり、ウクライナのゼレンスキー大統領が主張している祖国を守る戦いの正義は、プーチンナポレオン戦争やドイツとの戦争を引き合いに演説した時の、「若者も老人も国民皆が一斉に侵略者に対して武器を持って戦い、彼らの比類のない精神の勇気と力そして祖国愛が我が国に力を与えた大祖国戦争である」という言葉と同じであることだ。

 ウクライナ政府は、かつて、ロシアやソ連がナポレオン軍やドイツの侵攻に対抗した時と同じように、中央政府の体制を守るために、人民を盾にした消耗戦を、相手が根を上げるまで、ひたすら続けていくつもりなのだろう。しかし、その時代と現代で明確に異なるのは、相手が、どうしようもなく行き詰まった時に、大量破壊兵器を使える可能性を持っていることなのだ。

 

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