第1301回 500年を区切りに起きる人類のコスモロジーの転換。

 そもそも私は、古代のことについて、どの時代に何が起きたとか、誰がどうした、これこそが真実であるという類の、過ぎたことに対する一つの正しい答だけを求める原理的思考で、古代のフィールドワークを行なっているのではない。

 蘇我馬子藤原不比等の陰謀がどうのこうの、邪馬台国が九州か畿内かの論争、極端なところでは日本人のルーツが古代ユダヤ起源だとか古代エジプト起源だとか、そんなこと、どうでもいいと思っている。

 歴史的状況が一人の偉大な人物を生み出すことはあると思うが、一人の人物の登場で、時代状況とは関係なく歴史が変わるわけではなく、あくまでも、その時代の状況が先にある。だから、その人物がいなくても、他の誰かがいただろう。

 また、古代日本のなかに、古代イスラエル古代エジプトとの類似があるからといって、日本人ユダヤ(エジプト)起源説など暴論を展開する人もいるが、古代においても遠方地域と交流があるのだから影響を受けていても当たり前のこと。もしくは、同じ人類であり、似たような物を作り出しても不思議ではない。

 猿だって、今西錦司さんたち京大の霊長類研究において、「100匹目の猿」として知られる芋洗いの共鳴現象が報告されている。

 1匹の猿が始めた芋洗いを、少しずつ他の猿も真似を始めたが、頑固に真似をしない猿もいた。しかし、ある臨界点に達した時、一瞬にして全ての猿がそれを行うようになった。話はそれだけでなく、その時、遠く離れた地域の猿も、同じ行為を同時多発的に行うようになった。異なる地域の交流があったわけでなく、「情報」だけが遠隔地に飛び火するという現象が、50年前、猿の世界に起きた。

 人間だって、同じことが起こらないはずがない。

 しかし、古代エジプト古代イスラエルと古代日本との関係いうのは、数千年の時を隔てており、同じような形態が見られるという程度のことは、猿に起きた奇跡的なシンクロニシティというほどでもないし、シルクロードを通じた交流その他の学習など、要因はいくらでも説明できてしまう。

 1000年後の日本で発掘された物にアメリカ的なものがたくさん発見されて、その時代の人間が、日本人アメリカ大陸起源説を主張しても、意味がない。

 大陸などから日本列島にやってきても、何世代も繰り返しているうちに血統の違いなど関係なくなる。それは、アメリカでもヨーロッパでも同じ。その国の文化のかたちを作っていくのは、地理や地勢も含めた風土や、その場所での暮らしのスタイル、地理的条件が反映された対外的な関係など諸要素の組み合わせである。

 私の関心は、過去における歴史的事実の究明ではなく、「コスモロジーの転換」ということに向いている。

 言い換えればパラダイムシフト。これは、『風の旅人』というメディア媒体を作っていた時も同じで、2001年9月11日のアメリカ合衆国テロをきっかけに嵩じた「原理主義」の対立は、一つのパラダイムへの傾倒が強まった現象という認識が私にはあり、パラダイムシフトが起こらないかぎり、こうした世界の状況は変わらないだろう思った。その考えのもと、原理主義とか、原理主義的な思考に基づくカテゴライズとは無縁の媒体を作り続けた。

 何かの専門雑誌というのは、原理主義的な思考の延長で、何か一つの評価を高めようとしたり、アピールすることが主目的である。賞の設定なども同じで、私は、多くの写真家から優れた写真に対して「風の旅人賞」を作るようアドバイスを受けたが、やりたくなかった。

 私にとって、その写真への尊重と評価は、権威づけではなく、丁寧に編集を行い、その力を最大限に引き出すことだ。

 だから、時折、風の旅人の中身を見たこともないのに写真を売り込んでくる人がいたが、そういう人とは仕事をしなかった。写真が上手いか下手か、目のつけどころが良いかどうかで競いあっていたり、世間で注目されたいとか、自分の名を売りたいだけか、掲載料が欲しいだけの人はそうなってしまう。そういう人は、被写体をも自分の競争や売名行為や商売の材料にしている。

 写真は、被写体に秘められた魅力を引き出すものと弁えている人は、メディア媒体が、自分の写真の力を引き出すうえで相応しい場であるかどうかを意識する。媒体の特徴を知らずに写真を売り込むようなことはしない。

 私は、近代の発明である写真の力を最大限に引き出す媒体の作り方をしても、「写真」だけを中心にして、写真評論家などを使って写真カテゴリーを補強するという作り方をしたくなかった。

 世界の本質にアクセスするための様々なアプローチ方法の一つとして写真が存在している。その写真が、人類学、惑星物理学、生物学、動物行動学、霊長類学、脳科学など様々な思考や他の表現アプローチ方法と連携することによって、より力を発揮できる場を作る。それが、風の旅人という媒体であり、だから、カメラ雑誌のターゲットである写真を趣味にしている人よりも、ふだんは写真とは縁のない人の方が読者は多かった。

 そして、カテゴリーがはっきりしていないために、特定の目的のために雑誌を買う人にとって、購入対象ではなかった。

 それでも50号まで続けてこられたのは、「生活や仕事において、直接的に役立つわけでもない」物を大事だと思う人が存在し、買い続けてくれたからだ。

 今、「Sacred world」を毎年1冊出しているのも同じだ。

 私が写真を重視しているのは、「写真」は、近代において初めて登場したメディアであり、それゆえ、「近代的思考」の良いところと悪いところの両方を併せ持っているという認識からだ。 

 そのことに自覚的でないと、写真は、近代的思考の悪い側面を強化するだけのツールに成り下がるだろう。

 なので今も私は、古代のコスモロジーに深く潜入していくにあたって、「写真」というメディアも活用している。その際、最新のテクノロジー武装されたお手軽なカメラは、「写真」というメディアが備えている本質というか、人類がはじめて写真というメディアを持った時に感じたであろう”新しい世界との出会い”の感覚を、わかりにくくしてしまう。だから私は、あえて、ピンホールカメラという原始的な方法を採用している。

 話をコスモロジーの転換(パラダイムシフト)に戻すと、人類のパラダイムシフトは、まず第一に、新しい「技術」による環境変化によって起きたであろうことは、誰でも納得できる。

 中世ヨーロッパで、コペルニクスガリレオによって地動説が唱えられた時、望遠鏡という道具の発見があったし、それ以前、地球が平ではなく球体であることは、羅針盤の発明で到来した大航海時代によって認識が深まった。 

 現代にもつながる視点は、ヨーロッパルネッサンス以降に創造された技術の発展上にあるが、この技術が、限りなく発展していくと、それが新たにコスモロジーの転換を引き起こす可能性が出てくる。

 たとえば望遠鏡は、現在、太陽表面や彗星の表面、雷が雲から地上までの距離の10倍の長さで宇宙空間(電離層)へと伸びている画像もとらえるようになった。

 

 その結果、彗星研究の権威が主張してきた彗星の帯が氷であるという説は、疑わしいものになった。
 雷が、積乱雲の中の氷の摩擦で生じる電気であるという説は、バカバカしいものになってきた。

 太陽の中心部で核融合反応が起きて、そのエネルギーが四方八方に広がっているという説が、現代社会では「常識」とされているが、太陽フレアの爆発の際のニュートリノの地球への到達時間など、その説と矛盾する観測結果が増えてきた。

 現在の宇宙研究は、天文学と数学の権威によって支配されているが、彼らが思考のもとにしている「重力」とか「爆発」を宇宙構造の基本とする考えは19世紀の社会状況を反映したもので、20世紀の中旬以降に急速に社会のなかに浸透してきた「プラズマ技術」を専門とする研究者は、従来の宇宙論は、天動説と地動説の関係のように、まったく「逆」ではないかと主張を初めている。

 実際に、最新の映像が捉えた画像では、これまで火星の運河だと信じられていたところは、水などによって削られた跡ではなく、地面が盛り上がったものだし、宇宙空間から雷の写真を撮ったものを見ると、積乱雲から雷が生じているのではなく、はるか上空の電離層(高度10万km)と地球の地表とのあいだの放電現象のように見える。

太陽黒点は、磁場の通り抜ける穴で、その周辺でプラズマ爆発が起きている。

 

 太陽に関しては、太陽の中心部ではなく、外側で核反応が起きていると考えた方が、太陽爆発の際のニュートリノの地球への到達時間の矛盾が解消できる。そして、太陽コロナの温度が100万度で、太陽の表面温度は6000度でしかないという温度差の矛盾も同様だ。

 古代エジプトの壁画で描かれている太陽は、二層になっている。

 近代的思考だと、太陽の真ん中で爆発するエネルギーが外に放射されているだけという認識なので、太陽は一つという目で太陽を見ている。

 鉄砲や大砲などを持っていなかった古代エジプト人は、ビッグバン宇宙論のような「爆発力」が宇宙構造の要にあるなどという思考のバイアスがなく、ありのまま太陽を観察していた。そして、太陽の丸い形の外側に、強いエネルギーを発している部分があるということを知っていた。だから古代エジプト人にとって、太陽の二層構造は、当たり前のことだった。

 このように世界の見え方は、世界の認識の仕方に支配され、世界認識は、技術変化によって変わってくる。

 遠近法などという物の見方も、欧州ではルネッサンス以前にはなかったし、日本においては、明治以前にはなかった。

 ざっくりとした捉え方だが、どうやら人類は、500年くらいの間隔で、新しい道具や文化の創造による新しい環境を作り出し、もしくは新しい環境が新しい道具や文化を生み出して、コスモロジーの転換を繰り返している。

 欧州では、2000年前のローマにおいて、500年続いた共和制が帝国となり繁栄と享楽のピークとなるが、それから約500年後の西暦476年、西ローマ帝国は滅ぶ。その時からの500年の欧州は暗黒時代と呼ばれ、ほとんど変化が見られない。そして西暦1000年、ヨハネ至福千年を祝い、サンチャゴ巡礼が始まり、各地の交流が生まれ、宗教熱が高まって十字軍遠征を行い、イスラム圏の文化に触れる。この流れがロマネスク、ゴシック、ルネッサンスという時代を作る。

 次の転換点は、その約500年後の大航海時代だ。1492年、コロンブスアメリカ大陸発見や、マゼランの世界一周などによって、欧州の領域は世界全体へと広がり、それから約500年後の1945年、第二次世界大戦終了時点が、そのピークとなる。

 これまでの500年単位の変化を踏まえると、20世紀後半から、新たな500年の変化が始まっているということになる。

 ガガーリンの「地球は青かった」という台詞が象徴するように、宇宙空間から地球を見る眼差しの獲得。核という一瞬にして全てを破壊する最悪の道具を獲得したこと。そして、コンピューター、インターネットの普及による、現在進行形の様々な革命的変化。

 日本においても同じで、約500年前の15世紀末から戦国時代に突入する。約1000年前には、班田収授が行われなくなり、課税対象が人間の頭数から土地に変わり、人頭税を基本とする律令制は終わる。その結果、土地と税を管理する権限を持つ受領が封建領主化していく。(清和源氏の勢力拡大など)。土地を離れることも自由になり、各地のあいだで交易が活発化していく。また、それまでの中国の影響を受けた文化ではなく、国風文化が花開く。

 そして1500年前は、第26代継体天皇が即位するタイミングだが、この天皇は、それまでの天皇と血統が変わっており、実質的に、現在の天皇の血統を遡る最古の天皇である。この当時、今来という渡来人が大挙してやってきて、日本の諸制度づくりや、訓読み日本語の発明を行った。

 それより500年前、西暦0年頃、弥生時代中期からの大きな変化は、高地性集落が増えていくことだ。

 弥生時代の集落遺跡は、周囲に濠をめぐらした環濠集落が主であり、これらは水田に近いところに形成されていたが、約2000年前頃から、山地の頂上をはじめ、「狼煙台」なども備えていたりする軍事目的の集落が増えていき、倭国大乱の気配が濃厚になる。しかし、その分布は偏っており、瀬戸内海、近畿、山陰、北陸から新潟にかけてに集中し、九州では発見されていない。同じ時期に、銅鐸が巨大化し、鳴らす銅鐸から見る銅鐸に変わる。

 そして、現在でも全国に膨大に残る日本特有の前方後円墳前方後方墳という形の古墳は、この時期に集中して作られている。

 また王の埋葬方法の変化も、死んだ王をどのように捉えるか示す重要なコスモロジーの変化だが、竪穴式石室が横穴式石室に変わるのも西暦500年頃である。

 そして、弥生時代の開始が、約2500年前。日本においても革命的な変化は、おおよそ500年単位で起きている。

 日本は、東方の島国であるが、それでも世界の他地域の影響を受けており、コスモロジーの変化は、世界の変化とも連動している。

 2500年前の弥生時代の始まりは、中国の春秋戦国時代の大陸の混乱が影響を与えており、その時は、中国文化の源流である老子孔子が生きていた時代で、ヨーロッパ文化の源流のソクラテスプラトンも同時代だ。

 2000年前は、古代ローマと中国の漢が安定的な帝国を築き、東西の技術や文化が交流したシルクロードが賑わった頃であり、シルクロードは陸の道だけでなく海の道もあり、ローマと中国を行き交う移動力を持っていた人々が、日本に来られないはずがない。

 1500年前は、欧州では西ローマ帝国が滅んだが、中国では、三国時代五胡十六国時代の戦乱を終結させた北方の鮮卑族華北を統一して北魏王朝を打ち立て、雲崗や龍門といった巨大な石窟寺院を築き、唐の時代と並ぶ中国仏教の最盛期を迎えた時期である。そして、少数部族の鮮卑族が、多数の漢人やその他の諸民族を束ねた北魏の国家体制は、日本古代の朝廷の模範とされ、年号・皇帝諡号・制度において、北魏と日本に共通するところが多い。

 そして、1000年前、日本の律令制の崩壊は、日本国内の事情によるものだが、中国において、唐の衰退から滅亡(907年)を経て、五代十国時代の分裂時代が続いた時期である。

 その日本への影響は遣唐使の廃止であり、そのことが国風文化を花開かせ、中国文化の影響から離れた日本的な美や、女性の感性が文化表現に影響を与える機会となった。

 500年前は、欧州の大航海時代の影響を日本も受けた時期であり、鉄砲が伝来し、戦闘が大きく変わったが、天文学や暦学、数学、地理学、航海術、医学などコスモロジーの変化につながる実用的な知識文化も西欧から入ってきた。

 こうした500年の周期で変化してきたコスモロジーは、2000年を境にして新たな段階に進んでいくが、今後もっとも大きな影響を与える技術がコンピューターであることは、多くの人の共通認識だろう。

 コンピューターの使用におけるパラダイムシフトは、まずはIBMの中央集権的なシステムがパソコンを連結させる分散型になったことで、インターネットが、そのコスモロジーを拡大した。

 次のパラダイムシフトは、現在話題になっている「チャットGPT」などの人工知能技術だろうが、部分を0か1かで確定させて数珠繋がりで全体を把握しようとする思考方法は、デカルトに始まる近代的思考の範疇であり、この思考パラダイムからの本当の転換は、たぶん、素粒子コンピューターの完成によって成し遂げられると思う。

 素粒子コンピューターについては、以前にも書いたが、簡単に言うと、部分を0か1に確定させていくことで全体に到るという古典的コンピューターの方法から、まずは全体を無条件に受け入れて、目的に応じた条件付けによって部分を確定させていくことで改めて全体像を整えていくという思考への変化だ。

 たとえば石組みを作る時、設計図を作って、その設計図に合うように石材を切りそろえて、それらのピースを集めて組み合わせるのがエンジニアリング思考による古典的コンピュータのコスモロジー。それに対して、とにかく様々な石を集めて、形や大きなの違う石が、どう組み合わされば最適化となるか、石の特性に応じて積み重ねていく石工の仕事は、ブリコラージュ思考で、量子コンピューター的なコスモロジーということになる。

 世間で頭が良くて優秀だとみなされる肩書きの人たちを集めておいて、プロジェクトを立ち上げればうまくいくわけではなく、人それぞれ持ち味があるということを前提に、プロジェクトに応じて、異なる持ち味をもった人たちの力の組み合わせの最適化を行った方がうまくいくと考える組織が、量子コンピューター的な組織だ。

 量子コンピュータは、こうした組み合わせ最適化に力を発揮するコンピュータであり、社会の様々な分野において、古典的コンピュータの発想よりは健やかな状況を作り出してくれる可能性がある。

 人間づきあいにおいても同じで、高学歴など三高といわれる世間で高評価の条件を集めれば、幸福な結婚生活や人生が送れるわけではなく、組み合わせの最適化が重要であるということ。これもまた、コスモロジー(死生観、幸福観)の変化である。

 コスモロジーの変化というのは、天動説が地動説になるように、180度、その向きがガラリと変わるのである。

 

 そして、人類のコスモロジーが500年サイクルになっていることとの関連で、ある地域で一つの文字を実用的に使い始めた人間は、少しずつその文字を使った思考を深め、500年ほどでピークに達しているという歴史的事実がある。

 具体的に言うと、3000年前にフェニキア人がアルファベットを使って、地中海世界における異なる地域での交易に活用を始めた。このアルファベットは古代ギリシャ語となり、古代ギリシャ人もまたアルファベットを使って地中海交易に発展させた。そして、アルファベットが使われ始めてから500年ほど経過した紀元500年頃、ペルシャ戦争に勝利する頃のアテネは全盛で、プラトンピタゴラスソクラテスといった古代ギリシャ哲学の時代になる。

 中国においても、殷の時代に神官など一部の者だけが神との対話に用いていた甲骨文字を実用化したのは、殷を滅ぼした周であり、フェニキア人によるアルファベットの使用とほぼ同じ時期だ。それからわずか500年の紀元前500年頃、孔子老子荘子といった思想家が世に現れている。古代ギリシャ哲学の絶頂期と同じ時期である。

 日本においては、訓読み日本語が創造されたのは、今から1500年前、今来という渡来人が大挙してやってきた時である。

 それから500年後が国風文化の時代で、源氏物語など、後世に大きな影響を与える日本文学が完成している。

 面白いことに、どの地域も、文字の表現活動は、詩や神話が先行していることだ。

 古代ギリシャにおいては「イーリアス」や「オデッセイア」、古代中国では「詩経」であり、ともに紀元前8世紀とか7世紀の同じ時期のものであるが、もともとは口承で伝播していたが、後に書き留められた。

 日本の場合も、もともとは口承で、語りと歌で構成されている「古事記」がホメロスの神話と同じような位置付けにある。

 古事記源氏物語の300年ほど前だから、古代ギリシャや古代中国における詩経ホメロス神話の創造と、文字文化のピークから遡る歳月が、だいたい同じだ。

 わずか500年のあいだに、人間は文字を使いこなして、抽象的なものから具体的なものまで表現可能にし、まずは神話や詩を生み出し、後に、深い文学や哲学思想を生み出す。

 しかし、その表現は、その文字の特性の影響を受け、その表現が人間の思考や感性に影響を与える。

 ピークに達するというのは、行き詰まり感が伴うことでもある。

 一つのコスモロジーに行きづまり感を感じ始める時が、人間の精神が新しいコスモロジーへと動き出すタイミングとなる。

 ちなみに、私たちの近代的思考についてだが、近代的思考の特徴である標準的世界観(世の中の動向や、大勢の人の関心事を気にする感性もそこに含まれる)の普及は、大量印刷技術の発展によるところが大きい。

 この大量印刷は、1450年頃のグーテンベルクによる金属活字を用いた活版印刷技術の発明によって始まった。

 それまでの少数印刷とは劇的に違う情報共有の方法が生まれてから、500年経ち、この標準的世界観に心を蝕まれる人も増えている。

 大量印刷からインターネットへの切り替えまでの期間もまた500年であり、インターネットを使うことが当たり前の時代に生まれ育った人たちは、それまでと違う思考を発展させていく可能性がある。つまり、後世の人間は、西暦2000年を境に、コスモロジーの転換が始まったと、判断することになるだろう。

 

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