第1308回 自由からの逃走

 エーリッヒフロムは、ナチズムに傾倒していったドイツのことを深く考察し、「自由からの逃走」という本を書き上げた。

 ドイツ国民は何が原因であのような状況となり、また何に導かれてあのように進んで行ったのか?

 一人ひとりは、真面目で、誠実で、決して暴力的ではなかったはずのドイツ人の集団が、なぜ、あのような狂気を生み出したのか?

 エーリッヒフロムは、その理由の根源に「自由」を位置付けた。

 現代人は、自由に生きているように見えて、実は、とても不自由に生きている。

 フロムが指摘している不自由さとは?

 自分の思考、感じ方、感情、欲求、意思などについて、多くの人は自分のものだと思っているけれど、実際は、社会的に周りの人から期待される社会的常識などによる思考や感情や意思や欲求で形成されていて、本当に自分自身に由来するものではないことが多いということ。 

 マスメディアの宣伝などに踊らされているだけということもあるし、「そういうもの」として刷り込まれていることも、とても多い。

 高額なブランド品を身につけて、自分に似合っているかどうかが判断できなくなり、インフルエンサーと言われる人の言動を追いかけていれば、世の中についていけるように錯覚してしまう。

 多少の知識教養のある人でさえ、世の中で立派だと権威づけをされている人が、正しいことを言っていると思い込んでいる。

 自分で考えるということ、自分で感じるということが、どういうことかわからなくなって。そうした状況へと、知らず知らず自分で自分を導いている。それが自由からの逃走。

 自由からの逃走を促進する力は、「権威」に弱いことや、「画一的」な思考や行動、「機械的」な対応だ。

 エーリッヒフロムが唱えた「自由からの逃走」は、ナチズムの時代だけで終わったのではなく、実は、今も続いている。

 私は、心理セミナーのようなものにも興味がないし、大学がやっているシンポジウムなんかにも興味がない。

 多くの人が、「そういうもの」だと思い込んでいることに対して、「本当にそうだろうか?」 というのが、自分の思考や行動の原点にある。

 今の世の中、どんなに立派な人でも、また、戦争や平和、環境など、社会の問題、社会の病を指摘する人でも、言っていることは、他の誰かが言っていることであることが大半で、本当にその人の中から出ている言葉と思える言葉は、非常に少ない。

 人は何のために生きるのか? という問いは、多くの人が抱いていることだが、何不自由のない時代に生きているように見えて、不自由さを感じているのは、自分の物の見方、感じ方、考え方、行動の仕方が不自由になっているからだろう。

 私は、現在、定期的に、「現代と古代のコスモロジー」というテーマでワークショップセミナーをやっているのだけれど、こういう場づくりをすることで、自分自身、新たな発見、新たな視点が得られることが、一番大きい。

 自分で自分を変えていけるというのが、「自由」の要だと思う。そして、見る角度によって物の様相が変わるという体験、そのリアリティこそが、自分で自分の思考や感じ方を変化させ、生き方を変えていく力になっていくのではないかという気がする。

 第4回 古代と現代のコスモロジーは、3月25日(土)と26日(日)に、京都で開催します。

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 オンラインでの視聴を希望する方もいるのだけれど、さすがに、オンラインだと5時間も6時間は付き合ってられないと思う。オンラインは使い方によってはいいと思うけれど、「場の力」というのはとても大事で、私がフィールドワークを重視している理由もそこにある。

 人は、無意識ながら、その場のエネルギーを感知し、脳の深いところが刺激され、記憶のスイッチが入る。

 単なる歴史のお勉強などつまらない。仏教をめぐって蘇我と物部が対立したなどと覚えてところで、何にもならない。

 ふだん自分が意識できていない記憶にスイッチが入ることで、物の見え方が変わってくることがある。

 人間は、周りの状況に流されやすい生物なので、日常を繰り返しているだけだと、記憶の深いところに栓がされてしまい、視野も狭まり、思考の幅も非常に限定的になっていく。そして、知らず知らず、”そういうもの”だと思い込んでしまう。生きることとはそういうもの、世の中はそういうもの、と。

 しかし、何かをきっかけにして、”そういうもの”という枠組みが取り外されていく感覚になることがあって、それが、真の意味で、「自由」ということではないかと思う。

 

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