第1320回 社会的な馴れ合いに埋没しない深瀬昌久の私写真

東京都写真美術館深瀬昌久展が開かれている。

深瀬昌久という写真家は、世間ではあまり知られていないが、「写真」という表現行為と、「視ること」の関係を深く考えるうえで、欠かせない写真家だと思う。

 人は、視るという行為について、とくに深く考えてはいない。目に見えているのだから、それは自分が見ていること、だと思っている。

 そして社会的に共有されている概念の上にあぐらをかいて、身の周りのことを日記風に撮っているだけのことを、「私写真」と呼び、その類のものが、私たちの周りに溢れている。 

 多くの人は、自分の目で世界をありのまま見ていると思っているが、実際は、社会の中で習慣化されている様々な概念の枠組みのなかで、視覚処理をしているだけのことが多い。

 人間の目は、日々、膨大な情報を知覚しているが、人間はそれらの情報量を整理して減らすことを無意識のうちに行っている。そうしないと脳に負荷がかかりすぎる。物事を記号化して情報処理することで、一瞬一瞬に戸惑うことなく生きることができる。そして、世界そのものに対してある程度鈍感になった方が、ストレスを感じずにすむ。

 その程度の緩い感覚で世界と向き合うことが、「私」や「世界」に対して誠実であると思っている自己満足的な写真表現者が多いが、深瀬昌久の「私」や「世界」への誠実は、そんな生易しいものではなかった。 

 深瀬という異様な写真表現者は、社会の慣習という麻酔で鈍麻した「私」ではなく、「私」そのものの眼に成り切って、自分の生と死の現場にダイレクトに通じようとした。

 その現場とは、家族であり夫婦だ。「家族」とか「夫婦」という社会的な意味や記号とは無関係に、ただそれらが自分の身体感覚と直接的につながっているという手応えだけを拠り所に、深瀬は写真を撮っていた。そのため、それらの写真は、世間の習慣化された常識の枠組みをはみ出す。しかし、深瀬の写真のなかで、彼の共犯者である妻は、血にまみれた屠殺場で労働者の前でパントマイムをしたり、洗面器に顔をうずめて嘔吐したり、しかめ面を見せていようが、はじける笑顔であろうが関係なく、生き生きと輝く実態となり、その丸ごと全体が、異様なほど魅力的に感じられる。

 社会が共有する”素敵さ”だけを切り取って、それを当人の魅力だと示す陳腐な写真演出は、インスタの中に氾濫しているが、そういう演出で受け取った、気楽な「いいね!」の代償として、隠された部分はずっと隠し通さなければならないという窮屈な状況になる。

 全てを洗いざらい見せて、それでも魅力的であれば、世間の眼という檻の外で、ありのままの「私」でいいのだから、それこそが幸福なこととも言えるが、徹底的に深瀬の眼で追い続けられた妻には、相当な負荷がかかっていただろう。付き合いが深くなって互いの関係が深くなると、眼を閉じて感じあえることに身を預けたくなるのが世間では常だが、深瀬は、世間的に普通ではないから、彼の結婚生活は破綻せざるを得ない。

 深瀬が行った徹底的に視覚を追求する写真は、社会の普通の人にとっては理解しがたい不気味なものになる。だから彼は、社会では人気者にならなかったし、多くの人は、その名前すら知らない。しかし、深瀬のような表現者がいたからこそ、見えてくる真理がある。一人の人間の「生」の丸ごと全部が発する輝きや、「社会」の枠組みとは関係のないところでの「私」の人生の陰影や奥行きが浮かび上がる。

 深瀬昌久の『父の記憶』という異様な写真集がある。ソフトカバーで小さな写真集だが、部数が少なすぎるためか、今では写真集としては桁違いの高値になっている。

 実父の元気な頃の生活シーンにおける色々な表情から、老いて特別養護老人ホームに入所してからん生活や表情、そして亡くなる直前、死の瞬間、その後、火葬されて骨になるまでに深瀬自身が立会い、その眼で見たものが、しつこいくらい写真に撮られている。まさに、人間の生老病死、喜怒哀楽が、丸ごと収まっている。

 この写真集では、一人の人間として、人に語りたい部分と、できれば誰にも知られたくないような光景が、一切の分別なく、ありのままの事実として示されている。

 ここに示されているのは、家族の記録という私的なことであるが、身内としての分別操作がいっさい行われていないので、「一人の人間のあからさまな生と死」が、深瀬の写真によって、他の人々にも共有され、記憶されるようになっている。

 生きて老いて死にゆくことは、こういうことであるという当たり前の真理を伝えてくる写真だが、眼を背けたいという気持ちにはなれない。 

 「死を思え」などという観念操作は必要なく、死は当たり前の事実として、いつでも私たちの身の上にある。その死は、大きな流れの中で自然に全うされる一つの節目にすぎないという感覚が、深瀬の写真から伝わってくる。

 深瀬は、被写体としての父に、肉親としての私情をさしはさまず、「眼」に徹し切って、長期間にわたって密着して、その事実だけを丹念に映し出した。

 その異様なほどの「眼」への徹し方が、彼の写真家としての宿業だ。

 そこまで被写体そのものを視ることに徹している写真を見ていると、深瀬の表現であるという感覚は薄れて、撮られている「父」の脳裏の光景が伝わってくるような気がしてくる。

 他人に話さないこと、わざわざ話す必要もないこと、話したくないことも含めて、一人の胸の中にしまい込んである奥行きのある人生の記憶が、深瀬の写真によって、視覚化されている。

 つまり、「父の記憶」というタイトルは、世間的な意味では、「父についての私の記憶」ということになるが、この場合はそうではなく、「父の脳裏にある人生の記憶」ということになる。

 人間は、社会の中の慣習や常識や見栄や駆け引きによって、自分が見たり感じたりしたことの多くを、自分の中に閉じ込めている。世間の人に見せている「幸福そうな姿」や、「悲しそうな姿」は、その一部の断片に多少の世間的操作が加わっている。

 しかし、多くの人には見せておらず共有されていない私的なことのなかに、一人の人生の核心があり、その記憶の総体は、簡単に言葉で説明することもできず、だからこそ、他にとりかえがきかない、「私」だけのものだ。

 深瀬の写真を見ていると、その真理が、深瀬ではなく被写体の父によって、静かに語りかけられているような気がしてくる。

 息絶えて、眼を閉じて横たわり、身体を清められ、胸の上にドライアイスを置かれた状態でも、また火葬場で焼かれた後、白い頭蓋骨になった状態でも、それじたいが語りかけてくる不思議な実感がある。

 人々がよく口にする「私を大切にする」というのは、社会的に共有されている概念に馴れ合って、その枠組みのなかで自分を心地よい状態にするという意味でしかないが、深瀬にとっては、そういう社会的な馴れ合いに「私」を埋没させないことが、「私を大切にする」ことだった。

 しかし、それを実践する深瀬には、自分の感覚を麻痺させて順応するという逃げ道はなく、「私」に起こる事実を全て、ありのままの事実として独りで受け止めていくしかない。

 そこまで徹しきっていたからこそ、深瀬の「私写真」は他に類例がないものとなったが、世間の眼を気にして自分に都合の良い操作が加わった「私的ポーズの写真」は、どれも似たようなものばかりとなっている。

 

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