第1327回 大事なことだから隠す必要がある。

牽牛子塚古墳(斉明天皇陵)

 

歴史好きの人のなかで、藤原氏の陰謀ということが、よく言われる。古事記日本書紀なども、藤原不比等の陰謀で藤原氏に都合が良く書き換えられ、都合の悪いことは隠されたと。

 梅原猛氏などは、古事記編纂において口承を伝える役割をになった稗田阿礼藤原不比等が同一人物だなどと言い放っている。

 しかし、そうした陰謀論の類は根本的なところで間違っている。

 「陰謀によって都合の悪いところを隠す」というのは現代人の発想であり、古代人は、「大事なことだから隠す必要がある」と考えていた。

 日本の歴史を改めて見直すためには、発想を180度転換して、隠れていることの神聖さや真相を読み解いていくことが大事だろう。

 奈良時代、表に出ている藤原よりは、隠れている阿部の方が私は気になる。

 一般的に、672年の壬申の乱の後、天武系の血統の天皇が続き、平安時代桓武天皇から天智系(正確には、桓武天皇の父の光仁天皇から)の天皇になったとよく言われる。

 しかし、天武天皇の後の持統天皇の父は天智天皇で、次の文武天皇は、若すぎたために母親の阿部皇女(後の元明天皇)が実質的に政務を行ったが、彼女の父も天智天皇だ。そして、若くして亡くなった文武天皇の後、元明天皇が、平城京に遷都し、古事記日本書紀を編纂した。その次の元正天皇は、元明天皇から娘という女性から女性への日本史上唯一の譲位であり、次の聖武天皇は、男系では天武系の血統であるものの、祖母が元明天皇なので、天智天皇の血を引いている。その次が、聖武天皇の娘の孝謙天皇(後に重祚して称徳天皇)だから、奈良時代においても天智天皇の血は濃厚だ。

 こうして確認していくと、歴史学者が言うような天智系とか天武系というのは大して意味がない。

 それよりも重要なのは、平城京遷都と記紀の編纂という後世に大きな影響を与える大事業を行った元明天皇と、奈良時代の後半、重祚という形で2度、天皇に即位した孝謙天皇の諱(いみな)が、それぞれ阿部皇女、阿部内親王というように「阿部」であることだ。

 諱(いみな)というのは、本名ということだが、隠された名とも言える。

 古代、実名で呼びかけることを無礼とする習俗があった。本名は、その人の霊的な人格と結びついており、その名を口にすることで霊的人格を支配することができると考えられたためだ。

 現代的発想だと、このように隠すことや、隠れていることの意味が理解できない。

 元明天皇も、孝謙天皇も、隠れている名、つまり霊的な力を帯びた名が「阿部」であり、このことは、とても重要な意味を持っている。

 なぜ、この二人の女帝の隠れた名が「阿部」であるのか?

 古代、生まれた子は母親の元で育てられ、母親の実家の影響を強く受けた。女の子の場合はなおさらであり、人生において父親よりも母親とともに過ごす時間が大半となる。

 孝謙天皇(阿部内親王)の母は光明皇后で、光明皇后の母は県犬養三千代だった。県犬養氏は、後に橘氏と改名するが、奈良時代の中頃に実権を握った橘諸兄県犬養三千代の子であり、彼を産んだ後、県犬養三千代藤原不比等の後妻となり、不比等の出世を助けた。

 なぜなら、県犬養三千代こそが、当時の天皇元明天皇(阿部皇女)の幼少の頃からの側近で、天皇の絶大なる信頼を得ていたからだ。

 また、光明皇后の娘の孝謙天皇にとって、県犬養三千代は母方の祖母であり、元明天皇(阿部皇女)は、父方の曾祖母にあたる。

 そして、平城京遷都と記紀編纂の時代の鍵を握る元明天皇の母親は、姪娘(めいのいらつめ)で、彼女の父親は蘇我石川麻呂だが、母親の名が隠れている。

 しかし、姪娘の別名が、日本書紀に桜井娘とあり、「桜井」が、その謎を解く鍵となる。

 桜井というのは、奈良県三輪山の南側に広がる地域であり、ここには安倍文殊院がある。この寺は、大化改新(645)の時、政務における最高責任者である左大臣になった阿部内麻呂が、阿部氏の氏寺として建立したものだ。

 そして、この近くに山田寺というのがあったが、ここは、姪娘の父、蘇我石川麻呂の発願で建てられはじめ、この場所で、蘇我石川麻呂は自害した。

 蘇我石川麻呂は、中大兄皇子中臣鎌足と組んで蘇我入鹿の暗殺を行ったことが歴史の教科書にも載っているが、なぜ蘇我氏なのに蘇我入鹿を打倒したのかについて、蘇我氏の中の勢力争いなどと説明されることが多い。

 その真相は、蘇我石川麻呂というのは、山田寺が「桜井」の安倍文殊院の近くに建てられているように、阿部氏とつながりが深かったのだろう。蘇我石川麻呂の娘で、桜井娘という別名を持つ姪娘の母親は、阿部氏の娘だと思われる。

 中大兄皇子は、蘇我入鹿打倒の前、中臣鎌足の進言に従って、姪娘(桜井娘)を妻としているのだが、それは、後ろ盾として阿部氏の力が必要だったからではないか。

 だから、蘇我入鹿を倒した後の大化改新の新政権で、阿部内麻呂が、政務における最高責任者の左大臣になり、右大臣には、阿部内麻呂とつながりが深かったと思われる蘇我石川麻呂がなった。

 しかし蘇我石川麻呂は、649年、阿部内麻呂が亡くなった時、滅ぼされてしまった。

 阿部内麻呂の死の時には、孝徳天皇朱雀門まで来て哀悼し、皇極上皇中大兄皇子を始め群臣が付き従って哀哭したという記録が残っているのだが、同じ年、後ろ盾を失った蘇我石川麻呂は、謀反の罪を着せられ自害に追い込まれたのだ。

 大化改新の時の実質的な実力者であった阿部内麻呂の子が、阿部御主人で、彼は壬申の乱において天武天皇側で活躍し、晩年は、天武天皇の皇子の忍壁皇子に次いで、政権内で地位が高かった。

 忍壁皇子の母親は、宍人大麻呂の娘だが、宍人部というのは、食肉に関わる職能部で、阿部氏と同族である。

 阿部御主人や忍壁皇子の時代、文武天皇が697年に14歳で即位していたものの、幼少のため、天皇の母の阿部皇女(次の元明天皇)が事実上の後見人として、皇太妃という名の天皇だったので、この時代は、「阿部」関係者が、政治の中枢を独占していたことになる。

 そして、阿部皇女が、701年に作られた大宝律令に即した政治運営を行うため、信頼を置いていた県犬養三千代の推薦で、実務に長けた藤原不比等を重用した。

 陰謀家のように伝えられる藤原不比等は、晩年、自分の後継者を長屋王と考えていたが、長屋王の母親は御名部皇女であり、彼女の母は、元明天皇の母と同じく姪娘(桜井娘=阿部)だ。また、長屋王の妃の吉備内親王の母親は、元明天皇(阿部皇女)。長屋王の周辺も、「阿部」関係者で占められている。

 1988年、平城宮の東南に長屋王の邸宅が発見され、発掘調査が始まったが、広さは約6万㎡に及び、出土した木簡は4万点を超え、その内容から、贅沢極まりない暮らしぶりが浮かび上がっているが、彼は、阿部御主人の息子の阿部広庭と結びつきが強かった。

 阿部御主人は、『竹取物語』の中でかぐや姫に求婚する貴人として登場するが、「財豊かに家広き人にておはしけり。」と、大金持ちで一族は繁栄の極みにあることが示されている。

 興味深いのが、この阿部御主人を被葬者の有力候補としているのが、キトラ古墳であり、この古墳は、飛鳥の阿部山の麓に建造されている。

 キトラ古墳のすぐ北には、忍壁皇子を被葬者の有力候補とする高松塚古墳があるが、この二つの古墳は、石室に陰陽道と関わりのある四神相応図や天文図が描かれていることで知られている。

キトラ古墳の壁画体験館。石室内天井の天文図を紹介したもの。

 律令制の開始時期において、阿部氏に連なる二人の有力者の古墳の石室内の壁画が陰陽道との関わりを暗示しており、さらに、この二つの古墳の周辺には、これまた陰陽道と関わりの深い八角形の古墳が集中的に建造されている。八角墳は、律令制の開始時期だけに作られた特殊な古墳であり、その被葬者は、天武天皇との血縁が深い人たちばかりで、八角形は、陰陽道で宇宙を表している。そして、天武天皇自身が、陰陽道の使い手だったことが、日本書紀に記録されている。

 さらに、キトラ古墳高松塚古墳の真北に藤原京平城京が築かれており、このラインは近畿の中心を通り、真南が潮岬で、真北が、二月堂のお水取りの水を送る若狭の鵜の瀬である。

 また、キトラ古墳の真西には伊勢神宮が築かれ、キトラ古墳から同距離に真東に淡路の伊弉諾神宮が築かれ、丹後の皇大神社と、伊吹山と、熊野大社を結ぶと美しい五角形となり、その真ん中が平城京となる。陰陽道の五芒星というのは、発展的な秩序を示しているが、平城京は、その五芒星の真ん中なのだ。

 藤原京から平城京への遷都は、古代史における謎の一つだが、陰陽道に基づいて、計画的に実行されたことがわかる。

 そして、伊勢神宮熊野大社伊弉諾神宮を結ぶ五角形は歴史好きの中でわりと知られているが、実は、この五角形の中に、小さな五芒星が隠れており、この小さな五芒星こそが、この時代の隠された真相を秘めている。

 この小さな五芒星の謎は、全国に14基しかない八角墳のうち、近畿の8基、鳥取の1基を除く5基が関東に集中している理由ともつながっている。

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