第1331回 過酷極まりないサハラに生きる自由。


 写真家の野町和嘉さんが激賞していた、ハッサン水谷さんの写真集「サハラ蒼氓」を拝見した。

 サハラの写真と言えば、野町さんの写真を思い浮かべるが、その野町さんが高く評価するサハラ世界の写真はどんなものだろうと期待していたが、野町さんが言っていたとおり、野町さんと全く違ったアプローチが新鮮だった。

 野町さんの「サハラ」は、祈りがテーマになっている。サハラという過酷極まりない環境の中で真摯に生きている人間たち。サハラの自然が圧倒的に美しく荘厳で、まるで神が人間を試みているかのような厳しさが写真から伝わってくるほどに、そこで生きる人間の心身の強靭さや、祈りの真剣さが伝わってくる。それが、野町さんの「サハラ」だった。その世界は、20歳の時の私が、日本とは真逆の世界を求めて北アフリカを旅しようと決めた時の世界観に近いものだった。

 それに対して、ハッサン水谷さんの「サハラ」は、「蒼氓」という言葉が象徴しているように、「民」に焦点が置かれているが、その民は移住民であり、サハラという厳しい環境世界のなかで、流動的な生を送る人たちの暮らしを、ハッサン水谷さんは追いかけている。そして、その暮らしの印象が、ずいぶんと軽やなのである。子供達も、とても無邪気で、「苦」が、あまり伝わってこない。なんとも自由な気風に満ち溢れている。

 「人間、生きようと思えばどこでも生きていける」。この自由と楽天性は、私が、20歳の頃の旅を皮切りにして得た人生観でもあった。

 自由とは、好き勝手に生きるということではなく、苦を苦と感じずに生きること。

 私が旅に出ようと決心した時の日本は、サハラ世界に比べれば快適で安心安全ということだったかもしれないが、私にとっては息詰まるような不自由さがあった。社会の体制が人間に服従を強いるという不自由ではなく、自分で自分を不自由に追い込んでいくような空気が日本社会にはある。その理由の一つには、人の目を気にしなければならない社会ということもあるが、その社会的な空気に自分が染まっていることじたいが問題だった。

 物は満ち溢れているのに不自由で満たされない感覚。それは、自分が何かしらの殻をかぶっているからそうなっているのであって、殻を打ち破るためには、そうした環境と真逆のところに行く必要があると20歳の私は思い、その行先候補の第一が、広漠たる砂漠のイスラム教の世界だった。

 そして、その旅を通して、私は、野町さんが描き出した砂漠の人たちのように、生きるためのストイックさを、ある程度は得たとは思うが、それ以上に、ハッサン水谷さんが描くサハラの蒼氓のように、人間どこでも、どのようにしてでも、生きていこうと思えば生きていけるという達観らしきものを得てしまった。そのため、私は、ドロップアウトばかりを繰り返す、まさに移住民のような人生を送ることになった。

 その楽観性は、過酷な環境でも生きていけるという心身の逞しさから来ているというよりは、どのように生きても死ぬ時には死ぬという死の定めを受け入れる心情から来ているような気がする。

 ハッサン水谷さんの「サハラ蒼氓」から伝わってくる感覚は、まさにその感覚であり、サハラの環境を、他と比較し、分別で「過酷」と識別して、ネガティブな心情になったり、落ち込んだり、打ちひしがれたり、逆恨みしたり、抗ったりしない民の自由闊達な心である。

 過酷な環境のなかで、祈りの真摯さで救いの道を求める方法もあるし、大らかな逞しさによって、生をつないでいく方法もある。

 しかし、真剣な祈りは、時に敵愾心を生み出してしまうこともあるが、大らかな逞しさは、寛容につながる。

 その寛容こそ、人類の美徳であり、今日のような分断の時代の救いであり、ハッサン水谷さんは、とくに意識することなく、そのことを浮かび上がらせている。

 彼は、写真家ではなく本職は塗装工であり、写真を自己表現もしくは、社会的ステイタス獲得のための手段として使わず、純粋に「他者」との接点を生む道具として使い続けながら、何の打算もなく、自分の心が素直に反応する現場に何十年も足を運び続けた結果、そうなったのだろう。

 写真というのは、音楽や絵と違って、技術的にはプロとアマチュアの境界が、ほとんど存在しないため、撮る人の「心」がそのまま反映されやすい表現であり、それゆえ、写真界での実績とは関係なく、プロを超える表現が生まれる可能性がある。

 コマーシャル関係以外において、「プロ」を自称する写真家がどういう人たちなのか定義づけが難しい時代だが、「写真家」を称する人の、時代の傾向を追いかけたり他人の評価を気にしたりする狭く閉じた世界観の反映である作為的な表現が、ますますつまらなく感じられる現代において、新鮮な風は、ハッサン水谷さんのような無為の自由闊達さから吹いてくるのかもしれない。

 版元は小松健一さん主宰の「ぶどうぱん社」。kensherpa@yahoo.co.jp

 

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