第1462回 情報として表に出てこない日本のリアリティ

日本という国は、いくら都市化が進んでいるといっても、国土の70%以上が山岳地帯であり、島国であるがゆえに、少し移動するだけで大海原を見ることができる。
 こうした自然風土の国でありながら、山も海も見えない大都市のなかだけで日々暮らしていると、現実感覚が狂ってくる。 
 テレビやインターネットから送り届けられる情報を現実世界だと思ってしまうと、その情報をもとに自分の行動を決めていくことなるが、テレビやインターネットから漏れている情報も膨大にある。
 テレビやインターネットの影響力は大きくて、その情報をもとに動く人々の数は非常に多いのだが、その情報に従って行動して、果たして、どれほどの満足度が得られるものか、少しは冷静に考えた方がいいだろう。
 京都は、世界的な観光地だが、それでも、人々が集中するエリアとそうでないエリアがあり、人々が集中する場所が魅力的で、集中しない場所に魅力がないとは限らない。
 私は、2014年から5年ほど京都の東部にあたる祇園近くに拠点を置いていた。最初は、観光地のど真ん中なので、日々、観光気分で楽しかったが、まもなく飽きてしまった。
 そして、観光客が急増し、それとともに、以前は美味しいランチを食べられた店の料理の質が下がり、質を維持したところは長い行列ができて気楽に利用できなくなった。
 生活にいろいろと不便が生じたこともあり、京都の西の桂川沿いの松尾大社に拠点を移したが、松尾大社と嵐山のあいだの風光明美な川沿いをジョギングコースにして、飽きることなく、混雑に悩まされることなく、過ごすことができている。
 阪急嵐山駅から渡月橋を越えて嵯峨野に向かう道は大混雑だが、渡月橋から松尾大社の方向に来る人はいない。人の流れは、一方向であり、その流れは自らの意思というより、人が流れているから、その流れに身を任せている人が多い。その結果、混雑した場所で割高なものを食べて、風景ではなく人の姿ばかり見て過ごすはめになる。
 世の中には、いろいろな幸福論が出回っているが、人々の流れに押し流されていると、幸福でいられるはずがない。
 周りの人がやっていることを自分ができていないと、自分を不幸だと思いこんで、周りの人の後追いをする人が多いようだが、そうした思考特性と行動特性は、不幸の悪循環につながるような気がする。
 人が集まるところは生活コストが高くなる。そして、人が集まるところは、魅力的な場所だからとはかぎらず、周りの人の行動に影響を受けやすい人が集まっているだけ、ということもある。
 京都の祇園を歴史のある地域だと思っている人が多いが、あの一帯は、明治維新までは建仁寺の境内だったから、祇園の街並みは、日本が近代化してからできたものであり、大した歴史はない。
 東山は、清水寺など歴史的建造物が多いという理由で多くの観光客が集まってくるが、歴史的といっても大半が室町から江戸時代以降であり、現在、私が拠点にしている松尾大社周辺の方が、平安時代やそれ以前に遡る場所が多く残っている。
 しかし、京都に長年住んでいる人でも、江戸時代くらいの知識はあっても、平安時代以前のことは、さっぱりわからないという人が大半だ。
 わからないから情報にならないだけで、情報にならないから、人も集まってこない。
 京都には1000年の都というキャッチフレーズがあっても、1000年という歳月を、リアルに感じられる場所は限られている。そして、それらの場所において、その歴史を、語り伝えられる人は、ほとんどいなくなっている。
 1000年の歳月を超えるものは、形をとどめることも難しいので、語り伝えることができなければ、何も無いに等しくなる。
 太古の昔に確かに存在し、そのエッセンスは後世へと受け継がれ、形は違えど、今を生きる私たちの中に脈打っている。文化というのは、そういうものだ。
 私たちは、自分が生まれてから経験してきたことを糧に自分の思考や感性を育んでいるが、自分が意識していないところで、文化の力によって、自分の思考や感性に方向付けがなされている。
 いくら都市化が進もうとも、1000年を越えて伝えられてきたこの国の文化と私たちは無縁でいられない。
 歴史を知ることは、過去にあった事実を確認することではなく、文化の背景を探り、現代と過去の繋がりを手繰り寄せていくこと。そのうえで、未来へのヒントを見出すこと。
 
 京都の月読神社は、今でこそ松尾大社の摂社の位置付けだが、平安時代は、松尾大社と等しく名神大社だった。
 この月読神社の境内に、月延石がある。今では安産祈願の石になってしまっているが、月延というのは、出産時期を後ろに延ばすという意味。

 これは、神話上の物語だが、神功皇后新羅討伐に出兵した時、お腹にいた第15代応神天皇を産んでしまうと戦いに支障が出るため、この石をお腹に巻いてお腹を冷やして、出産時期を後ろにズラしたという伝承がある。
 もともとこの石は、新羅討伐の後、神功皇后応神天皇を産んだ場所だとされる九州の糸島の鎮懐石八幡宮が鎮座する所に設置されていたが、雷が落ちて三つに分かれ、一つは壱岐の月読神社、もう一つが京都の月読神社に設置されたが、今では、京都の月読神社にしか残っていない。
 神功皇后新羅討伐は、事実ではなく神話伝承であるが、なぜ、その神話伝承と京都の月読神社のあいだにつながりがあるのか。
 これは、日本の古代を考えるうえで、かなり重要な問題だが、この謎を解く記録はどこにもなく、そのため、この真相にたどり着くためには、いろいろな周り道をする必要がある。
 これが絶対に正しいという一つの答えではなく、いろいろな考えを重ね合わせて、その上で想像するしかないことであるが、その想像の過程において、この月延石に、日本の精神文化の成り立ちと、その継承にどのような人々が関わっていたかが浮かび上がってくる。
 日本の歴史を理解するうえでの一つの大きなポイントは、一つの解答を得てすっきりすることではなく、たとえば皇居のように、日本の真ん中は謎に満ちているが、真ん中を謎にし続けることで守られるものがあるというメカニズムを知ることだ。

 

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