小野啓という写真家がいる。
ホームページで全国の高校生に呼びかけて、写真を撮ってもらいたいという声に応えて、彼らの土地まで足を運んで対話を行って撮影している。
今から17年も前だが、撮影における、そうした丁寧なプロセスがとてもよく写真に反映されていたので、風の旅人の第29号(2007年12月発行)の「LIFE PRINCIPLE」で紹介させていただいた。
あれからずいぶんと歳月が流れたが、彼は、ずっとこの取り組みを続けており、このたび一つの集大成として「私のためのポートレイト」(青幻舎)という写真集を発行した。
彼がこの取り組みを始めたのが2002年なので、私が写真を見せてもらった時までは5年弱、その時から、その三倍の17年という歳月が流れたことになる。
そして、今回の写真集を観た後、あらためて17年前の風の旅人の29号の時の写真を見返した。
17年前と比べて、今回の写真集の中の少年少女は、生命の線が、細くなっているような、ふわっと消えてしまいそうな気配が気になった。
風の旅人の29号の時の少年少女の写真は、押し潰されそうな空気のなかで、ぐっと堪えていたり、最後の牙をむくように突っ張っている気配が出ているものが多いのだけれど、今回の本のなかにもそういう人はいたとしても、全体の空気として、自分を主張する自我というものが、かなり希薄になっているような気がする。
私は、この8年間、ずっと古代世界に潜入してきたのだけれど、小野くんが撮った少年少女の自我の希薄さは、古代の巫女たちに通じる気配だという気がする。
ここに添付した埴輪の写真は、私が針穴カメラで撮ったものだが、この埴輪は、巫女を表現したものであり、その印が、衣服に刻まれている。
私には、この巫女の眼差しと、小野君が撮った少年少女の眼差しに近いものを感じられる。
2007年の時は、目に力がはいっている少年少女が多かった。これもまた純粋な瞳ではあるのだけれど、自分を防御しているという感じが強かった。それに比べて最近の少年少女の写真の方は、自分に対しては無防備だけれど、彼らを見ているこちらの心が覗かれているような目だという感じがする。
また、写真の撮り方も、2007年の方は人物の個性が強調されていて、背景は、それほど重要ではなかったけれど、今回のものは、背景が効いている写真が多くて、ほとんど背景の中に人物がかき消えてしまう写真もある。
2007年の時は、ポートレートの集合体だったが、今回の写真集は、風景(背景)を通して人物の内面が浮かび上がってくるのだ。
日本という国の状況は、「経済」を軸に解説されることが多いから、この20年、停滞して何も変わっていないようだけれど、間違いなく、何かしら風が変わっている。
私たちの多くは、自分の自我を軸にして世界と向き合って、自我のフィルターを通して世界を観ているのだけれど、自我のフィルターは、色々なことを見落としやすい性質がある。
例えば、今回の小野君の写真集の少年少女たちは、2007年当時のものと比べて遠景になっているケースが多いために、それだけの理由で、撮影者と被写体の心の距離が遠くなっていると解釈する人もいるようだが、そういう見方は、おそらく風景の細部や、風景と人物との関係を見落としている。
個の実態は、それ自体で存在しているのではなく、常に他との関わりの中で存在している。
表現者の役割というのは、畢竟、その関わりを読み取って、浮かび上がらせることだろう。
なぜなら、それこそが、世界の摂理であり、真理というべきものだから。
個々の物(人も含めて)それ自体は、どんなものでも有為(無常)の存在であるけれど、その背後の目に見えにくい働きは、無為であり、天体の動きのように続いていく。
それは、微かな息遣いのようなもので、静かに注意深く対象を見つめなければ、気づくことができない。
小野くんの取り組みの動機がどこにあるのかわからないけれど、2002年から20年以上もの長い間、同じ方法で、高校生と連絡を取り合い、わざわざ彼らが生きる土地まで足を運び、対話を行ったうえで撮影し続けているという一貫性に、ただならぬものを感じる。
通りすがりのものにカメラを向けて、自分本意に切り取って、世界をわかったつもりになっている厚顔無恥さを”自分の表現”としている人が非常に多いご時世で、彼の取り組み姿勢は希有なものだ。
2002年というのは、私が、風の旅人を作ろうと決心して企画書を書いた時でもある。
私は、何度も触れてきたように、自分の意思で「風の旅人」を立ち上げたわけでなく、野町和嘉さんの強い働きかけなどがあって、突き動かされるように始めたわけだが、やるからには、ここは譲れないという自分の中の線引きはあった。
それは、2001年に起きたアメリカ合衆国テロの衝撃と、その後のアメリカとイスラム世界の激しい原理主義の戦いを通して、そうした対立を超えたビジョンを見出すということだった。
アメリカとイスラムの原理主義は、自分とは関係ないことだと思っている日本人が多いが、自己と他者を対立的に捉える競争社会や、カタログのように世界を自分に都合よくカテゴライズしている思考特性、0か1、黒か白、役に立つか立たないかといった明確な分け方しかできない判断力とも大きく関わっている。
つまり、現代を生きる私たちは、原理主義的な思考と感性によって作られているという自覚を持つことから始めなければ、世の中の差別や対立はなくならない。戦争反対、差別反対と叫んでいるだけでは、それこそ独りよがりの自己主張でしかない。そういう風潮に染まらないものを作るというのが、風の旅人の制作における指針だった。
小野くんが、少年少女を撮り始めた時期と、私が風の旅人を作り始めた時期は重なっているのだが、2000年代は、自我が無力化していく状況のなかで必死に自我が抗っていた時期だったのかもしれない。
そして、次なる転機となった2011年の東北大震災。大地震と巨大津波に原発事故が重なるという究極の事態。自然の猛威に対する人間の無力さと、人間の集合体の傲慢さに対しても、個々の人間は無力でしかないという現実を突きつけられ、自我の無力さに対して、悲痛な自我による抗いは、より無力となり、流れるままの無抵抗という境地になっていった。
アベノミクスという掛け声のもと行っていたのは、もしかしたら、真剣に考えることの放棄でしかなく、表現分野においても、それがポストモダニズムだなどという欺瞞がまかり通った。
小野くんが、今回まとめた写真集の中の少年少女は、熱い青春を感じさせるものはなく、風に吹かれれば飛んでしまいそうな切なさに満ちているのだけれど、世界を、静かに注意深く見つめる眼差しは、なくなっていない。
その眼差しは、世界を自分に都合よく切り取って整理するものではなく、わからない未知の世界を、自分の懐に迎え入れる類のものかもしれない。
古代の巫女というのは、境界で機織をしながら、異界からやってくるマレビトを迎え入れる役割があった。
そのマレビトは、その土地に恩恵をもたらす存在かもしれないが、危険をもたらす存在であるかもしれない。
巫女は、自らが犠牲になることを覚悟して、そのマレビトを受け入れて結ばれた。
マレビトを警戒しすぎて対立的に接してしまうと、マレビトの中にも警戒心が強まって、摩擦が強まり、両者が対立的な関係に陥ってしまうことは自然の流れ。
そうした緊張関係のなかに、犠牲を覚悟とする者が介在することによって、対立を解消できる。
古代の巫女は、人間の性質を深く見極めたうえでの、身を捨つる覚悟の行動と叡智を備える存在が、共同体の中から選ばれていた。
新しい人間像は、そういう有様に成っていくのではないだろうか。
もちろん、全ての人がそうなるはずがないし、その必要もない。
巫女は、異なる世界のあいだをつなぐ、ごく限られた架け橋にすぎないのだから。
しかし、その限られた架け橋がなくなれば、希望もない。
小野くんが撮り続けている少年少女の眼差しの先に、希望は、かろうじて残っている。
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新刊の「かんながらの道」は、書店での販売は行わず、オンラインだけでの販売となります。
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また、新刊の内容に合わせて、京都と東京でワークショップを行います。
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<東京>日時:2024年12月14日(土)、12月15日(日) 午後12時半〜午後6時
場所:かぜたび舎(東京) 東京都日野市高幡不動(最寄駅:京王線 高幡不動駅)
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<京都>日時:2024年1月12日(日)、1月13日(月) 午後12時半〜午後6時
場所:かぜたび舎(京都) 京都市西京区嵐山森ノ前町(最寄駅:阪急 松尾大社駅)