
やはり実際にその場所を訪れてみないことにはわからないことがある。
日本書紀の国譲りの最終説得の場所、茨城県の那珂川河口域から、那珂川の上流部にあたる地域(国府があった栃木県の大田原。古代那須氏の拠点)。
那珂川の上流部は、鉱物資源が豊かなところだから、もう少し山が迫っているのかと思えば、見渡す限りの平野が広がっている。
黄金の産地だった那須のゆりがねの一帯も、山深いわけではなく、丘のような低山が連なっているだけ。
それに対して、那珂川下流の日立は、海に面しているのに関東平野の端で、すぐそばまで山が迫っていて、地質的にも非常に興味深い。
日本書紀の中の国譲りの最終局面は、織物の神であるタケハズチが、星神のカガセオを説得して服従させるのだが、その象徴的舞台が、大甕神社。
この神社の境内には巨大な岩塊があるが、これは5億年前のカンブリア紀のもので、この岩塊が、服従することになったカガセオの荒魂が宿る宿魂岩で、そのてっぺんに、タケハズチを祀る本殿が築かれている。
カンブリア紀まで遡る古い岩塊は、日本では非常に珍しくて、常陸にだけ見られるようだが、大甕神社の北13kmのところに聳える海抜530mの御岩山も、この岩塊でできている。
御岩山は古くから信仰の山で、山全体で188もの神が祀られているようだ。
そして、御岩山と大甕神社のあいだに、山岳信仰の聖地、真弓山(305m)が聳えているのだが、この山は、大理石の山。この山の大理石は寒水石といい、透明感がなくて白い大理石で銘玉として知られている。
私は、真弓神社の里宮に行こうとしたのだが、間違って奥宮をナビに入れてしまい、奥宮は登山をしないと辿り着けないのだが、それを知らずに車を走らせていると、採石場があり、大理石の岩肌が剥き出しになっていた。
おそらく平日だとトラックが行き来して、一般車は入って来れなかっただろう。休日で、ひっそりとしていたので、何も知らずに奥まで入り込んでしまったのだが、幸いなことに、この真弓山の実態を目の当たりにすることができた。
そして偶然なのだが、数日前、私の家の近くにあった幻の真慈悲寺のことについて投稿した時、源頼義のことに言及したが、この真弓山も、源頼義の東北征伐と深い関係にあることもわかった。
源頼義と、息子の義家が軍勢を率いて真弓山のある久慈郡にさしかかった時、神前に松竹を飾って義家の15歳を祝った。さらに、武運長久を祈っていると、炎天が一転して激しい雪なり、瞬く間に降り積もった。
父子は、神慮に叶って我が軍の勝利疑いなし、と兵たちを励まし、馬たちもそれに呼応するかのように力強く前進した。馬が踏み固めた雪は、眩いばかりの白い「寒水石」に変わった。
「真弓山」という山の名前は、山頂にある神社に義家が戦勝を祈願し(あるいは、帰路に戦勝に感謝し)朱塗りの弓を奉納したので、真弓山(真弓は、弓の美称)、と呼ぶようになった、と伝えられている。
この山頂にある神社は、807年、坂上田村麻呂と大伴乙麻呂が、北征の日、ここに八所権現を斎祀したことに始まるとされる。
歴史上、この那珂川あたりが、蝦夷との攻防で大きな意味を持っていたらしく、タケハズチとカガセオの国譲りの物語、ヤマトタケル伝承、そして平安時代初期の坂上田村麻呂、平安時代後期の源頼義が、ここにくわわっている。
ここは、阿武隈山地へと続く山岳地帯の南端にあたる。
阿武隈山地は今でも宝石の山だが、大甕神社のすぐそばを久慈川が流れており、この川は、流域が鉱物資源が豊かで、阿武隈山地の方に向かって北上していく。
そしてもう一点、気になることがあり、真弓山の寒水石は、その成分が炭酸カルシウムの結晶のひとつである方解石(CaCO3)で、これは正倉院の種々薬帳に書かれている薬物の一つの薬石でもある。漢方の成分で、用途は止渇薬(口の渇きをとめる薬)、解熱、利尿薬など。
ヤマトタケルが、自らを守護してきた草薙剣を持たずに山に入ったために病に陥り、亡くなってしまう原因となった伊吹山もまた、真弓山と同じく石灰岩と大理石(石灰岩が熱変成した岩塊)の山。
石灰岩は、鉄の精錬工程において、鉄鉱石に含まれる不純物を取り除くための融剤として不可欠な役割を果たす。
薬と鉄に関係する石灰岩(大理石)の産地が、蝦夷討伐やヤマトタケル神話も含めた「国譲り」とどう関係しているのか、気になるところだ。
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