
今日は、菊池渓谷から阿蘇山を経由して南下するという自然満喫の1日だったが、今回の旅の目的の一つをかなえる1日でもあった。
こんなことを旅の目的にする人は他にはあまりいないだろうけれど、阿蘇山と幣立神社のあいだの大見口という集落に、那須与一の墓があることがわかっていたので、そこが、いったいどういう場所なのかを確認することが目的だった。
しかし、その墓が、大見口のどこにあるのか情報がまったくないので、現地に行ってから探すしかないと思っていたが、偶然にも車を停めた場所の近くでキャベツの収穫をしている数人のお年寄りのなかに那須さんがおられ、その方が、那須与一の末裔として墓を守っているということで案内いただいた。
なぜ、この場所で那須与一の墓を探したかというと、この数ヶ月で、須磨、京都、栃木の那須与一の墓と、東近江の那須氏が築いた弘誓寺を訪れているのだが、九州の大見口も含めた五箇所が、冬至のライン上に配置されているからだ。
これは偶然とは思えず、何かしらの意図があって、こうなっていると感じていて、その意図がなんなのかを知りたい。
その好奇心は、那須与一という屋島の合戦の英雄に対する関心からではなく、あの平家物語のストーリーを作り出した人々が、いったい何を念じていたのかを知りたいからだ。
今のところわかっていることは、那須氏というのは、鳥取氏の系統であるということ。
鳥取氏というのは、倭文氏という、古代の揉め事の調停、和合の役割を担った勢力と同じ系統だが、鳥取氏は、そこに鉄資源と軍事的な役割がくわわっている。
しかし、その戦いは、自らの栄光のためではなく、治安維持的な役割であり、だから歴史の表舞台に立っておらず、そのため一般的に知られていない。
たとえば平将門の乱を鎮めた藤原秀郷。この人物は、藤原を名乗っているが、女系では栃木の鳥取氏の系統であり、鳥取氏の長とも言える。だから藤原秀郷の後裔と称している奥州藤原氏も、鳥取氏の系統だ。
奥州藤原氏は、源義経を匿って滅亡した。その源義経との縁ということで、那須与一が重なってくる。
源義経といえば、日本人の判官贔屓の原点。
自らの威光のために戦うのではなく、使命のために戦うのだが、悲劇的な終焉を迎える。だから人々の心に長く記憶される。
さらに歴史を古代神話の世界にまで遡れば、似たケースで、ヤマトタケルがいる。
ヤマトタケルも、死んでから魂が白鳥となって彷徨うのだが、鳥取氏の祖のアメノユカワタナは、口がきけない皇子、ホムツワケのために鳥を追う。口がきけないホムツワケは、魂の喪失を象徴しており、つまり、アメノユカワタナ=鳥取氏は、招魂と関わっている。
悲劇の英雄物語の背後には、この招魂がある。
この招魂は、単に悲劇の英雄を崇めることが目的化されているのではなく、失われがちな大切な精神を呼び戻す意味合いがある。
つまり物語の作り手は、英雄神話を通して、人々が失いがちな大切な精神を呼び戻し、それを後世に伝えようとしている。
源義経や那須与一の物語も同じなのだと思う。
那須与一が実在したかどうかはともかく、那須氏は、古代から中世にかける橋でもあり、宗教的には、仏教が関わってくる。
そして那須与一に関する伝承には、浄土教と、阿弥陀如来が重なっている。
これまで訪ねた須磨、京都、栃木の那須与一の墓も、東近江の弘誓寺も、すべてそうだった。
そして今回の九州の大見口も、おそらくその可能性が非常に高い。
というのは、大見口の那須さんに那須与一の墓を案内していただいたところ、なぜこの場所なのかわからず、周辺を見渡したところ、すぐ近くに社があった。何の神様を祀っているのか聞いても、那須さんは知らないと言う。
でも、少し前までは、村の祝いのようなことを、その社で行なっていたが、現在は、高齢者ばかりになったので公民館で行なっていると。
那須さんと分かれてから、その社に行って探ってみたが、神に関するものは何も見出せなかった。
しかし、本殿の中に、ずらりと仏様が並んでいた。
そして確認すると、その軸となるのが阿弥陀如来であることがわかった。
まだ詳しくは調べていないが、大見口の周辺に、仏を祀る聖域がいくつかあり、そのなかで、阿弥陀如来を祀る寺が、この大見口にあったようなのだ。おそらく明治の廃仏毀釈の時に、壊されてしまったのだろう。
ちょうどその時、太陽が日没の時間となり、なんと、那須与一の墓の背後に日が沈んでいく。今は、冬至の時期に近い。
実は、栃木から京都、神戸の須磨の那須与一の墓をつなぐ冬至のラインの延長が、天草の与一浦であることはわかっているので、大見口の那須与一の墓の背後、冬至の日に太陽が沈んでいく方向に天草の与一浦ある。
ちょうど自分が那須与一の墓の前に立っている時に、太陽の光が差し込んできたので、かなり驚いたのだが、さらに、この墓の近くの阿弥陀如来の聖域である社が、与一の墓の真正面、この冬至のライン上であり、日没の太陽が屋根をうっすらと照らし出していた。
これは間違いなく、意図的に配置されたものだ。
この大見口は、おおみくちであり、大水口とも書いてもいいんじゃないかと考えると、これは、先日、京都の京北で不可思議な縁でつながってくる水口氏ということになる。すなわち、ヤマトタケルの妻で、犠牲となって入水した弟橘媛の系統。
さらに、源義経を支えた弁慶(熊野水軍)の系統ということにもなる。
この大見口は、謎の幣立神宮に近く、幣立神宮の宮司は、明治維新の時に失われたはずの社家制度を守っているらしく、境内に先祖代々の祖を祀る聖域があるのだが、その表向きは、藤原氏である。
しかし、藤原秀郷もそうだが、血統というのは男系と女系の重なりであり、どちらか一方が隠される。
幣立神宮の場合、その隠されたものは、椎葉の那須氏らしいのだ。
そして、なんと幣立神宮にも白鳥伝説がある。
阿蘇開拓の主、健磐竜命(たけいわたつのみこと)は、神武天皇の孫だが、この人物が、日向国から五ヶ瀬川に沿って高千穂、馬見原を通って草部に入った。このとき一羽の白鳥が幣立神宮へ案内した。
これが、高天原神話の発祥の神宮であるとも言われる幣立神宮の起源なのだ。
幣立神宮と、陰に隠れているかもしれない招魂の氏族、鳥取氏との関係は、まだ読み解けていないが、大見口の那須与一の墓を訪れた後、ほとんど日が沈んでから、幣立神宮も訪れた。
闇に包まれていく境内で、森の中を巡りながら、神域に湧き出る泉と、先祖代々の宮司を祀る聖域を訪れた。
もはや、いろいろなことが偶然とも思えず、何かしらの働きが、私たち一人ひとりの背後に隠れている。そのことを、どれだけ大事にできるか。
局面によって、いろいろと不安定に揺れ動く自我よりも、潜在的に自分に働きかけてくるものは、一貫して、大切などこかに自分を導こうとしている。
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