凄惨さと明るさ



 

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 今日は、仙台市若林区荒浜に行った。今回の津波で最初に多数の死者が報告された場所だ。かねてから津波の危険が叫ばれていた三陸リアス式海岸ではなく、日本のどこにでもあるような美しい砂浜の広がる平原地帯が巨大津波に襲われ、海辺の家々が根こそぎ破壊され、流されてしまった。 

 その美しい海辺に300の遺体が流れついていると報道されたことが、私にとって、今回の震災の恐ろしさをリアルに生々しく伝える最初の報道だった。

 私は、その場所に立ち、これまで訪れたことのある様々な海辺の町のことを思った。九十九里浜や房総や湘南や、私が生まれ育った明石や、他のどこでもかまわないが、この荒浜が津波に襲われるのであれば、日本のどこでも同じことが起こりうるだろうと思った。

 しかし、だからといって、私は絶望的な気持ちにならなかった。それはいったいなぜだろう。

 今日の午前中、私は、福島県郡山出身で今年の4月から仙台で就職する女性の話を聞く機会に恵まれた。彼女は、祖父母と一緒の大家族のなかで育ってきたが、祖父母は今も農業にいそしんでいる。原発風評被害で、周りが心配しているが、当人達は、そんなことおかまい無しに、今も種をまき、作物を育てている。

 売れるか売れないかよりも、それを続けることが生き甲斐なのだそうだ。

 この話を聞いた時、あらためて人間の生きる原点を教えられたような気がした。

 日本人であるかぎり、過去において、様々な自然災害を被り、そのなかで生き延び、命をリレーしてきた人間の子孫であることは疑いようのない事実だ。

 世界中でもっとも自然災害が多い場所に生きる日本人が、自分が被った出来事の凄惨さに打ちひしがれてしまい、生きることを諦めてしまったならば、今日まで、命はリレーされてこなかっただろう。

 どんなに辛い状況のなかでも、日本人は、明日に命をつないできた。その原点は、大きな野望でも目標でもなく、それを続けることが生き甲斐であるというものを、見いだし、それを淡々と繰り返すことだったのではないだろうか。その生き甲斐というのは、人によっては、家族の営みであり、仕事であり、恋愛かもしれないし、学習かもしれない。大事なことは、今この時点で築き上げていることの成果ではなく、それに携わり、関係し、続けることの喜びを知る事なのだ。

 もちろん、福島の原発風評被害を懸念して自殺した農家のことがニュースで伝えられており、被災地では多くの人が亡くなり、いまだ行方不明の人が多くいるなかで、そんなに簡単に割り切って考えられるものでないことは、重々承知している。

 しかし、それでも敢えて、これまで日本人が生きてきて、これから生き続ける力の原点を見いだすとしたら、そこにしかないのではないかと思うのだ。

 もしも、そうした境地に立つことができるのならば、どんな廃墟も、この世の終わりではなく、最初の一歩を記す場所に見えてくるのではないか。

 人生のなかで、蓄積したり、築き上げたり、達成したりすることも大事なことだ。しかし、それ以上に、続けることが生き甲斐であると心から思える対象を見いだすこと。運命のいたずらで、たとえそういうものを失ってしまったとしても、人間は、一度きりではなく、何度もその対象を得る事ができるものだと知る事。

 築き上げたものにこだわるかぎり、その喪失は絶望以外何ものでもないが、続けるものを見いだすことは、可能性としてなら、無限にある。

 今、自分の手もとに何があるのか、これまで自分が何を達成したかではなく、これから自分は、いったい何を続けることを願っているのか。荒浜の砂浜に立ち、そのことを自分に改めて問いかけるような気持ちになった。

 私は、何を続けたいのか。そのことを自分に問わなければならないということじたいが、今、福島で世間の風向きに関係なく淡々と農業を営む人に比べて、人生の奥行を、まだまだ何もわかっていないということだけれども。