思考と形と生命力?

 保坂和志さんが、2月号の新潮で「散文性の極致」というエッセイを書いています。保坂さんは、アウグスティヌスを題材に、小説のあるべき思考について自らの思考を展開しています。保坂さんにとって小説は、アウグスティヌスにとっての神を志向する運動と同じなわけですが、それは私にとって、昨日書いた”生命力に通じる思考”のあり方に通じるものだと思いました。

 今日の社会の様々な問題の多くは、身体の皮膚の古い角質が厚く重なるように存在しています。古い角質がうまく剥がれ落ちていかないと、肌が不健康になっていきます。それは、新陳代謝がうまくいかなくなるからです。
 でも、今日のマスコミとか小説とか大学を含めた学校教育その他、言論の多くのあり方は、保坂さん流に言うなら、すでに問題とされている問題を強化したり、固定するものが多く、問題の質的変換にはつながりません。それはまるで、肌の上の古い角質を上から擦って角質をより硬くするようなものです。
 古い角質層を落とすためには、肌の内側の基底細胞から次々と新しい細胞が生みだされることが大事です。その基底細胞が、肌の表面まで移動して、細胞核を放出して角質となって剥がれ落ちる周期は28日です。それが体内時計であり、宇宙のリズムです。そして細胞が角質になる際に放出される細胞核が、肌の水分保持成分になります。この成分が肌の上の水分を抱え込んで蒸発を抑え、潤いを保たせるのです。
 社会も、潤いのある生気あるものになるためには、まず基底細胞の細胞活動を活発にしなければなりません。そういう言論のあり方や環境が必要です。そして、肌の表面までやってきた細胞は、潮時を見極めて細胞核を放出し、潤い成分だけを残し、内側の新しい細胞に圧されるように肌から剥がれ落ちていくことが自然です。人間社会でいう潤い成分というのは、知識ではなく、智恵でしょう。

「風の旅人」は、古い角質層をゴシゴシ擦るものではなく、肌の基底層の細胞活動を活発にさせるものでありたいと思っています。
 基底細胞を活発にさせるために必要なことは、マッサージで血行をよくし、細胞の栄養摂取能力を高めることが大事です。
 思考停止状態というのは、血管が細く詰まった状態です。
 そういう状態でいくら栄養を与えても、吸収できません。
 血行をよくするマッサージというのは、”表現”にあてはめて言うなら、正しい答えの提示ではなく、それ全体で大きな”問い”になっていくようなものだと私は思います。

 近頃は、うまく生きる方法、頭を良く見せる話し方など、処世に特化したハウツー本がたくさんあります。それは、身体によい成分を配合していると声を大にして訴える食品とか飲料と同じです。
 身体によいとされる成分をたくさん配合した食品とか飲料を私は信用していません。なぜなら、本当の意味での健康体というのは、身体に良い物も悪いものも混ぜ合わさったなかから、自分に必要な物を識別し、それを体内に吸収していく力を持っていること。もしくは、限られた成分を最大限に摂取して生かすシステムを体内につくり出すことだと思うからです。
 栄養食品というのは、それに頼りすぎると、身体力を怠けさせ、結果として人間を弱らせていくことにつながります。摂取能力が低下すると、ますます、そういうものに対する依存が強くなっていって、悪循環に陥ります。身体も脳の働きも、きっと同じメカニズムの筈です。

 パプアニューギニアの人は動物蛋白などめったに摂らず、芋から蛋白質を摂っていましたし、エチオピアの主食であるインジェラ(”てふ”という稲科の植物を粉にしたもの)だってそうです。エチオピアの人は、アメリカ人のように厚いステーキを食べなくても、インジャラだけを食べていれば健康を維持できる身体能力を持っています。
 また、草食動物は、草から蛋白質を摂りだして身体を維持します。
 どんなものにも栄養源はありますが、問題は、それを消化吸収できる力が、自分に備わっているかどうかなのです。
 だから「風の旅人」には情報もハウツーも正しい答えもありません。
 これ全体で大きな問いになっていくことを目指し、それが頭と心のマッサージになることが理想なのです。