前向きに過ごす人生

 木曜に引き続き、介護現場を訪ねる。
 奥様が亡くなった後の二年前の春、ご主人も脳梗塞で倒れた、
 コンピューター会社に勤めている息子さんと二人暮らし。長女は既に嫁いでいた。
退院後、その方は半身麻痺で身体を動かすのも大変だった。
 そしてリハビリの効果で、杖を持って、かろうじて歩けるようになって退院。
 しかし、息子さんが朝早く出勤してから帰宅するまで、一人になってしまう。その為、嫁いでいる娘さんが泊まり込みで介護に来ていた。そうした状況を改善するため、介護会社に相談し、週日の午前と午後、ヘルパーの家事援助のサービスを受けることにした。
 その介護会社と家族は気持ちを一つにして、父の自立のために取り組んだ。
 まずは、朝食のトースターを自分で焼かせることから始めたという。
 それが何とかできるようになって、少しずつ身体が自由に動くようになった頃から、ヘルパーは一緒に外出して散歩するすることを提案し続けた。もともとその方は出不精で、「家の中が一番」と言って、なかなか同意しなかった。
 「父は昔から仕事以外に趣味らしい趣味はなく、休日は何もせずに家にいたんですよ。出かけたとしても、車で目的地に行って帰ってくるだけでした」と娘さんも言っていた。
 たとえ脳梗塞で倒れなくても、老後は家に閉じこもって鬱病になって認知症になるような人だったのかもしれない。
それでも、ヘルパーは、しつこくなりすぎないように、強要することがないように、誘い続けた。そうしているうちに、その方は外に出ることが当たり前の気分になり、ヘルパーに付き添われて、食事の買い出しや、洋服屋で新しい服を買ったり、神社の境内を歩いたり、少しずつ遠出をするようになっていったと言う。
 外を歩くようになると、不思議なことに、無口だった人が、突然饒舌になった。
 「小さな花とか、季節の変化とか、今まで見えなかったものが突然見え始めたんです。何でもないようなところに、美しいものがあるんです。また、外を歩くようになってはじめて、街のどこに何があるか知り、地域社会のこともわかってきました。車から見ていた時は、見ているようで何も見てなかったんですよ」と、その人は照れくさそうに言う。
 外を歩くことによって、違う空気を吸い、新鮮な発見をし、知らず知らず、自分の中から言葉が湧いてくるのだろう。その人は、新しい世界の扉を開けたように、外に出ることが楽しくなった。家族も、「父はとても明るくなりました」と嬉しそうに言う。
 そんなある日、その人は、ヘルパーがいない時に、自発的に野菜炒めを作っていた。昔から料理などめったにせず、3,4年ほど前、奥様の入院中にしかたなく野菜炒めを作ったそうだが、その時のものより今回の方が断然おいしかったと、その人は誇らしげに言っていた。
 「先日、突然、ペン習字でも習おうかなと言うので、みんなでびっくりしました。歩くことさえ不自由だった父が、ここまで回復した驚きとともに、仕事以外に何もしてこなかった父が、病気の後に新しく生まれ変わったみたいで、とても感心しているんです」
 娘さんがそう言うと、息子さんも続けた。
「周りが根気よく働きかけていくことが大事なんですね。自分たちがいない時でも、ヘルパーさんがそれを行ってくれるのは、とても有り難いことです。新しいことをするには、とても勇気がいりますから」
 母が死んで父親が倒れた当時、息子さんも娘さんも、自分たちの生活と介護を両立するために苦闘したが、今ではそれぞれの仕事に思う存分打ち込める状況になっている。
 でもそれは、ただ単に以前の状態に戻ったということでなく、父親とともに新しい世界の扉を開けたような新鮮な喜びに満ち溢れているように傍目には感じた。というのは、家のなかの雰囲気がとても明るく、温かいのだ。それぞれ苦しい思いで闘ってきたが、今日までの確実な歩みを実感として得られることで、今後もさらによくなっていくに違いないと、希望を胸に抱くことができるからだろう。
「病気で倒れたことで、父はヘルパーさんをはじめ、いろいろな人と関係が生まれました。そして、私たち家族も、自然に互いを思いやるようになり、以前よりも絆が強まったと思います」
 病気という逆境を前向きに切り抜けることで、人生は充分に味わい深いものになるのだと、娘さんの言葉が語っている。
 物事の良い方向への変化は、すぐに目に見えて現れるものではなく、潜伏期間のように内側で少しずつ育まれている。焦らず、せかさず、念じるような思いで毎日を務めていれば、ある日突然、大きく前進することがある。その思いを誰かと共有して前向きに頑張ることさえできれば、不可能が可能になる可能性は何倍も高くなるのだろう。