昨日、神保町で食事をしながら、一人の女性をインタビューした。
彼女は、オリジナルのステンドグラスを制作しており、谷中に工房と店を持っている。
若い時は、頭を真っ赤に染めて、尖らせ、刺青をしたパンク少女だったと言うが、今はその面影は全くない。
ステンドグラスの制作を選んだのは、「たまたまです」と言っていたが、話しをしているうちに、「たまたま」ではないということがわかってきた。本人は自覚していないけれど、潜在的な意識に既に準備ができていたということがわかった。
きっかけは、10年ほど前、友人からもらった一枚のステンドグラスの断片だった。
それをきっかけにして、親に勘当されたパンク少女は、ステンドグラスの学校に通い、イギリスにも留学した。
でも、そのステンドグラスとの出会いの5年程前に、彼女は、エジプト、ギリシャ、トルコを数ヶ月の間、一人旅していた。
ヨーロッパを旅して、教会のステンドグラスに感動して、ステンドグラスを制作したいと思ったのではない。
彼女は、エジプトなどの古代遺跡のなかを旅していて、向こう側の世界ににトリップしてしまいそうな怖さを感じながら、日本の狭い常識社会とは別の大きく広々とした時空があることを実感した。
それまでは、ただひたすら日本の狭くステレオタイプの価値観に反発していたのだが、反発そのものが自分のスタンスであり、ならば自分の嫌う常識の変わりにどんな価値観をもってくるのか、というものが自分のなかに全くなかった。
そして、旅から帰って、憑き物が落ちたように社会への反発を止め、日本社会の現実を肌身に感じるために様々なアルバイトをした。
こちら側の現実と、向こう側の世界。その間に虚ろに存在する自分。4年ほどアルバイトに精を出している間に自分の心境は、そんなものだったろう。
そして、現実と向こう側をつなぐ窓として、ステンドグラスが目の前に差し出されたのだ。
その窓を通して、狭い現実の常識の外に出て、心を一新し、また、こちら側に戻ってくる。
そのように考えたわけではないが、直観するものがあって、彼女はステンドグラスの学校に通い始めた。
ステンドグラスの断片に出会ったのは、偶然だった。でも、それを仕事にして生きていくのは、その時点で彼女にとって必然だったのだ。そうでなければ、すぐに学校に通い始めたりしない。
何ごとかに心が感応するというのは、自分の潜在意識のなかに準備ができているからだ。
それは氷山で言えば、水面下に沈む巨大な氷塊のようなものだ。水面上(われわれの現実)から見えないからといって、存在しないわけではない。むしろ、目に見えて意識できる世界よりも、巨大なものがそこにある。
パンク少女の彼女が、はじめての海外旅行で、エジプト、トルコ、ギリシャを数ヶ月も放浪したことも、幼い頃から積み重ねられた潜在意識によるものだった。
一言で言うならば、狭い現実の向こう側への憧憬であり、願いだ。
それらの国々へ実際に旅すると、我々の常識を超えたものが、想像の産物ではなく、目に見えて触れるものとして存在している。そのリアリティは、凄まじい。
出会いの瞬間は、偶然だ。しかし、それに感応することは、必然だ。その偶然と必然が一つになって、人生の節目が作られていく。
必然を導く潜在意識は、毎日の積み重ねのなかで整えられていく。それを疎かにして、自分にとって都合の良い偶然を苛々と待っているだけでは、突然訪れる奇跡的な一瞬にも感応できず、そのままやり過ごしてしまうだろう。
運が良いとか悪いという言い方がされるけれど、そうではない。おそらく全ての人の目の前の激しい濁流のなかを、”運”につながる一筋の何かが流れている。自分のなかに準備が出来ている人にだけ、その一筋が太く見えるのではないかと思う。
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