今日、夕食を食べながら、一人の女性を取材した。
老人ホームで働く人だ。彼女は、最初、この取材を断ったけれど、周りに説得されて受けることにした。
彼女は、高校までバレーボールでセッターをやっていた。彼女曰く、自分はセッターの役割に合っていると思うけれど、セッターは表に出る存在でない。取材は他の素晴らしい人にお願いしたいというのが、最初、彼女が固辞した理由だ。
彼女と会って話しをしても、とても慎重に言葉を選ぶ。感情にまかせて話すことはできない。人がすぐに納得できるような単純でわかりやすいストーリーを話さない。言うに言われぬ思いをいっぱいに抱えているという感じだった。
老人ホームで働くというと、ただ単にお年寄りのお世話をするというイメージを持っている人が多いが、それはとんでもないことだ。
いろいろな人が様々な事情で老人ホームで暮らしている。奥さんに先立たれ、毎日、食事の準備ができなくて仕方なく老人ホームに暮らしている人もいれば、アルツハイマーの人もいる。寝たきりの人もいれば、とても元気で、介助がまったく必要ない人もいるのだ。
一人一人の状況も、人生のバックグラウンドが全く違う。性格も違う。同じ人でも、体調が優れている時とそうでない時でも、まったく別人のようになってしまうこともある。ステレオタイプの対応でごまかすことはできない。
だから、単にお年寄りの世話をするという発想で考えていたら、大きな間違いなのだ。
一人一人の違い、また状況の変化に応じて、身体的に対応したり、心の部分で対応しなければならない。その瞬間ごとの機微を敏感に読めなければならない。そのうえで、最善の方法で行動したり、言葉を発したりしなければならない。
そうした仕事を行ううえで、もっとも大切な資質は、エースアタッカーではなく、セッターなのだ。相手の陣容や、味方の選手の調子、また、スコアの状況に応じたボールまわしをして、さらに、アタッカーの力を最大限に引き出すタイミングと高さと距離でボールをトスしなければならない。
エースアタッカーなら、10本のスパイクを打って、そのうち7本とかが決まれば、評価は下がらない。しかし、セッターの場合、そういうわけにはいかない。9割以上の確率で仕事をしなければならないだろう。いくら優れたアタッカーがいても、優れたセッターがいなければ、アタッカーは本領を発揮できない。責任は非常に重いのだ。
老人ホームには、彼女以外にも大勢スタッフが働いている。彼女は、そのスタッフのコーディネートもしなければならないし、相談役でもある。そのうえで、一人一人のお客様の生きる力を、状況に応じて最善の方法で引き出す努力をしている。その最善の方法とは、実際の行動で、時には言葉で、態度や振る舞いによって行われている。
彼女が一番大事にしていることは、一言で言うと、“間合い”だと言う。“間合い”を誰にでもわかるように説明することは難しい。
老人ホームで働いていて、優しい心遣いでお年寄りと接することは当たり前のことだ。それをしているからといって、自分に開き直ってはいけない。「自分はこれだけ尽くしているのに、なんで相手はわかってくれないのだ」と、知らず知らず憎悪の感情を抱く人もいるかもしれないが、自分の気持ちが通じない場合に、それを簡単に相手のせいにするところに、その人の問題があるのだ。
いくら心を尽くしても、間合いが悪いことで、すれ違ってしまうことがある。
セッターのトスは、間合いこそが重要だ。
心を尽くしてボールをあげているように思っていても、実際には、自分のなかの臆病さのために、遠すぎているかもしれない。もしくは、図々しく近寄りすぎているかもしれない。焦りすぎて早いのかもしれないし、気が配られていないために遅れているのかもしれない。ちょうど良い間合いを見切ることができ、その間合いで接することができているかどうか。まずは、そこのところを反省しなければならないだろう。
この老人ホームに認知症の人がいるのだが、他のスタッフがいくら声をかけても、お風呂に入ってくれない。でも、彼女が声をかけるとお風呂に入ってくれる。
凡庸なスタッフなら、お客様の気分が良かったり悪かったりするのだろうとしか考えず、自分の至らなさを省みることはないだろう。そのようにして、その人は、全てを他人のせいにするようになるから、自分の感受性も磨かれない。
真摯なスタッフは、なぜ、自分が声をかけた時に厭がっていた人が、他の人が声をかけるとお風呂に入ったのか気になり、その原因を知ろうとする。
スタッフに問われた元セッターの彼女は答える。「その人に声をかける時、心の底からお風呂に入ってもらいたいと思っている?どこかで、無理だと思ってしまってない? 微妙なことだけど、こちら側の僅かな心の様相の違いが、違いを生み出すのよ」と。
鈍感な人を相手に仕事をする場合は、そうした微妙さはあまり関係ない。しかし、認知症の人は、感情の機微におそろしく敏感なのだ。だから、ちょっとしたことでも見透かされてしまう。心と心の真剣勝負になる。1点差でマッチポイントの時の、セッターの心境だ。そうした時、アタッカーも緊張するだろうが、アタッカーは決めることができれば賞賛され、失敗しても、ドンマイという雰囲気のなかに立てる。しかし、セッターがトスをミスすれば、ドンマイではすまない。
今回、彼女と話しをしていて、多くの発見があったが、雑誌編集という仕事もセッターなのではないかと思った。
たとえば写真家などはアタッカーだ。本当は素晴らしい写真であっても、トス(つまり編集の仕方)によって、凡庸なものになってしまう。そういうことは、とても多い。
優れたセッターにとって大事なことは、周りに目をくばれること。一つのことに、目と心を居着いてしまわず、常に流動的な状況に準備ができていること。自分に関連するものたちの持ち味を正確に把握し、その力を最大に生かすこと。そのうえで、大局を読みながら、部分に対応することらしい。
アタッカーの仕事はもちろん大事だが、セッターの果たす役割と責任の大きさも、自覚しておきたいと思った。
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