この国の大人社会は、ここまで腐ってしまったのか。

 この国の大人社会は、ここまで腐ってしまったのかと思わざるを得ない。
 http://www.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/220403027.html
 
 消費税の増税を通す為に、行政改革を行って国民の納得を得なければならず、その策として出された国家公務員の人権費の削減。しかし、蓋を開けてみれば、そのターゲットになったのが、新卒。給与をふんだんにとっている中高年層はそのままで、給与の安い若者の職を奪うという暴挙。呆れてものが言えない。どこか身を切るような改革なのか。
 しかも、新卒採用を全体で56%減らして3780人とすると言うが、給与の安い若者の数を減らしているだけなので、国家公務員全体の給与は、ほとんど減っていないという試算がある。
http://gendai.ismedia.jp/articles/print/32109
国家公務員の総人件費は5兆3000億円で、新卒採用の削減のよる人件費削減効果はわずか179億円。全体の0.34%でしかない。
 表面的に手を打っているようなフリをしているだけで、実際は何もしていない。若者に問題を押し付けているだけなのだ。
 若者の士気を下げ、問題を先送りし、結果的に国を衰弱させていく愚策。社会全体で、こういうことばかり行われている。
 新卒採用を削減するだけという極端なやり方は、まったく納得できない。それぞれの年齢層からまんべんなく減らすべきだろうし、しかも、13年度から年金支給開始年齢が上がることを踏まえて定年を迎えた職員を全員再雇用するという財務省の目論みは、依然として残り続けるのだと言う。つまり、新卒は採用されないのに、定年を過ぎた人間は働く場を与えられて高い給与をもらい続けるのだ。
 そんなバカなことがあっていいのか。もはや、この国は、老人の醜いエゴによって、これからの10年間ほど何とかごまかしながらやりくりをして、その後は知らんというモードになってきている。
 国家公務員になろうとしている若者が、進路を変更し、民間企業に流れてくる。結果として就職できない若者がまた増えることになる。圧倒的に多数の老人の年金を支えていかなければならない少数の若者を、そこまで圧迫して、いったいどういうつもりなのだろうか。
 昔の老人は、そうではなかった筈だ。自分の安寧よりも、これからの時代を作っていく若者に道を開けて、自分のことよりも、未来のことに思いをはせたのではないか。自分の死んだ後のことを考えて山に木を植える老人なんて、現代は、ほんの僅かしか残っていないのだろう。
 安楽であるかもしれないけれど、次世代の人間にまったく尊敬されないような生き方が、幸福なのだろうか。一人ひとりの熟年から老人が、そういうことを、もう少し考えるべきではないのか。人類史上、老人がもっとも醜い時代を、私たちは生きているのかもしれない。
 人類史上、60歳を過ぎてから何十年も生きなければならない時代は、かつてなかった。
仕事もせずに、生殖もせずに、何十年も生き続けなければならないという、人類が経験したことのない虚無と不安。それを乗り越える知恵を持たないがゆえに、目先の安寧に執着する老人。今、この国に本当に必要なことは、その何十年と続く不安と虚無を、潔さと清々しさに転換できる思想なのだろう。
 でもまあ視点を変えれば、昨年まで、国家権力のなかに引き入れられ、そのシステムの手足として働きながら、次第に自らの保身のことばかり考えるようになる成績優秀な3000人の若者が、国家公務員とは別の道で、日本社会の中で生きることになる。これらの中から、既存の国家のシステムに期待せず、新たな知恵を生み出す人間が現れてくるかもしれない。後から振り返った時、このように人材の流れが変わることが、時代の転換につながったことが多い。けっきょく時代を変えるのは人間であり、今回のような老人の愚作を目のあたりにして、老人が作り上げたシステムに期待することも信じることもない20代から、新たな才能が、どんどんと出てくる可能性だってある。最悪の状態こそが、新たな時代へのスタート。政治も官僚もメディアも表現界も、老人が取り仕切っている。その結果が、今の日本だ。こういう状態を幸福だと思う人からは、新たな創造は生まれないだろうし、糞食らえと思う人達から、きっと価値観のパラダイムシフトが起こるのだろうと思いたい。