第969回 ドナルド・トランプの勝利と、資本主義の曲がり角⑥

⑤から続く

 資本主義によってお金や物は増えたけれど、貧富が拡大し、人間が機械部品のように扱われる職場で働きがいや生きがいを喪失し、競争社会でストレスを抱えて鬱病など心の病に陥る人も増え、家族や地域のつながりがなくなって孤立化する人が増え、引きこもり、独居老人、老老介護など様々な問題が数多く生まれ、これらが現代社会の歪みとして毎日のニュースで伝えられる。
 そうした資本主義の行き詰まりを、北欧のような福祉の充実によって乗り越えるという考えを持つ人もいるだろう。
 しかし、福祉の充実のためにはお金が必要であり、そのお金は税収でまかなわれる。
 無駄なお金を少なくして福祉にまわせばいいと単純に言う人もいるが、実際には、現時点ですでにかなりの金額が福祉に投入されている。
 http://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/condition/002.htm


 所得税法人税、消費税、その他の税を合わせた税収が、57.6兆円に対して、社会保障は約32兆円。さらに地方交付税で15兆3千万だから、この金額のなかにも、地方の社会福祉関係にまわるお金がある。目の敵にされる公共事業は約6兆円、防衛費は約5兆円だ。
 所得税収が、約18兆円、法人税が約12兆円、消費税が約17兆円。税収だけだと国の運営にまったく足りないので、将来の若者が負担しなければならない借金である国債を34.4兆円発行することになる。
 この状況で、現時点で32兆円もかけている福祉をさらに充実させるために税収をあげるとすれば、所得税法人税、消費税を一体どれくらい上げなければいけないのか。
 理想の国とよく言われるスウェーデンは、人口1000万人に満たない国である。日本のように1億2千万の人々が住み、かつ都会と地方であまりにも環境条件が異なる国で、中央政府が中心になって均質に福祉を行き渡らせようとすると、複雑度が桁外れに違ってくる。
 東京都知事の選挙の際、スウェーデンの国家予算と東京都の予算は同じだと話題になった。スウェーデンと東京都の人口と予算はそんなに変わらないかもしれないが、東京都の場合、保育所を一つ作るのにも大変な騒ぎになる。福祉施設を建設するための近隣住民の説得、土地の買収その他、日本は、スウェーデンのように簡単に物事が進まないのだ。そして、日本で、今以上、福祉を充実させるために税金を高くすると、今以上に巨額のマネーがこの分野に流れるわけで、さらに複雑な利権構造も生まれるだろう。福祉先進国の視察と称して、政治家や役人が、贅沢な外遊をする口実を作る可能性もあり、国民は、もうそういうことにはうんざりのはずだ。
 理想国家のように褒め称えられるスウェーデンというのは、実は、世界有数の武器輸出国である。少ない人口の国の福祉を支える基幹産業が、軍需産業で、国民一人当たりの武器輸出量は、イスラエル、ロシアといったその筋では有名な国についで、世界第3位なのだ。しかも、人権問題で世界から非難を受けているような国にも武器を輸出してきた。
 自分の国の豊かさと安定のためには手段を選ばないという利己主義があり、日本もその路線を追ってしまうと、原発の輸出などが、さらに促進されてしまう可能性もある。
 また、近年、スウェーデンも経済状況が悪化してきているため、国家福祉に綻びが生まれてきて、福祉サービスの民営化が進み、かつてのように手厚いサービスでもなくなってきている。若者の失業は増え、海外に出稼ぎに出る人も多い。失業率は日本の3.18%に対して6.91%。とくに若者がひどく、20%と言われる。高い税金によって老人に対する福祉は充実していても、日本同様、それを支える若者がそろそろ我慢の限界にきている。
 福祉の問題は難しい。かつて日本も、田中角栄内閣の1973年から1983年、高度度経済成長(1955年〜1974年)のピーク期に、豊富な税収をバックに国民の声および政治的な背景により高齢者の医療費を無料にしたが、病院が高齢者の溜まり場になってしまった。
 かつての反省を踏まえ、現在、日本が推し進めている介護保険をもとにした地域包括ケアシステムで老人をケアしていく仕組みは、世界的にもかなり先進的な取り組みである。
 全体としてはかなり良い成果を出しているにもかかわらず、一つでも事故が起きると、マスコミが大騒ぎして、ネガティブキャンペーンのような形になる。
 「看取りは病院から自分の家で」という流れも、手厚く保護しすぎることで生命力を損なうのではなく、自立支援を目的に、病院ではなく地域社会の連携によって高齢者の生きる力を活性化させる取り組みこそが、結果的に財政負担を減らし、借金を将来に先送りしないことにつながるという考えが背景にある。しかし、こうした地域包括ケアシステムのことが、多くの国民に正しく理解されていないから、孤立した高齢者とか、老老介護の問題も起きて、マスコミお抱えの有識者から、人々の不安を煽るネガティブな情報ばかりが流布する。マスコミは、何か問題があればただ大騒ぎするだけで、将来どういう方向に向かうべきなのかという考えを持っておらず、だから、情報の伝え方に工夫を凝らすという配慮がまったくない。
 いずれにしろ、北欧のように税収をアップさせて福祉を充実するというのは日本のように人口の多い大国には困難であり、日本人一人ひとりが、福祉サービスの内容に不平不満ばかり言うのをやめ、つまり単なる福祉の受益者であるという発想をやめ、自分にできることを行ってお互いに支えていく国にしていくしか道はないだろうと思う。
 たとえば、富士宮市は、認知症の人をサポートする仕組みを住民のボランティアを中心に整えている。人口13万人の10人に1人が認知症サポーターだ。住民が一丸となって、「認知症になっても、これまでと変わらぬ暮らしができる街づくり」を進めている。
 もともとは、若年性アルツハイマーで苦しむ個人が、行政に相談に行った時に、行政で解決策を作るのではなく、その相談者に、様々な場所で自分が抱えている問題を語ってもらうというナラティブな方法をとり、それによって、共感の輪がどんどんと広がっていったものだ。
 住民1人ひとりに特別に大きな労力を要求するわけではなく、「気がついたら助ける」という意識を1人ひとりが持つだけで、かなり大きな力になるということを、富士宮市は証明している。
  
 日本はアメリカのように天然資源に恵まれているわけではないし、イギリスの英連邦のような強力な国際ネットワークもない。
 しかし、アメリカやイギリスよりは安定した資金があるし、技術もあるはずだ。
 そして、現在は薄れてしまっているかもしれないが、もともと日本人は、自分の存在意義を、欧米から取り入れた個人主義や、競争に勝つことで示すのではなく、利他と共創の精神によって、より感じられる民であった。その理由の一つは、昔から自然災害に苦しめられ、自然の前で無力な人間が生きていくためには、人間同士が、お互い様の気持ちで連携していかなければいけないという心構えがあったからだろう。
 日本の未来戦略の中に、そうした日本人ならではの心構えが織り込まれていなければ、マネーゲームに翻弄された時のように、他国の後を追うばかりで、先行者の戦略に翻弄されるばかりとなる。
 利己の追求と競争のことばかり考えていると、せっかくの技術と資金は、他者との軋轢と対立を増大させる道具にしかならず、また視野が狭くなってしまう結果、他者に上手にだしぬかれ、利用される。
 利他と共創のスタンスによって、周りに気を配り、関係性に思いをめぐらし、他者のことをより深く考えるようになるわけだから視野は広くなる。広くなった視野と、利他と共創によって自然ともたらされる信頼で、技術と資金は、必ずや、より健やかに生かされる時代になっていく。

⑦に続く

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