第964回 ドナルド・トランプの勝利と、資本主義の曲がり角。①

 2016年に起きたイギリスのEU離脱アメリカ大統領選挙でのドナルドトランプの勝利、そして、パナマ文章事件で象徴されるタックスヘイブンの問題。この三つは、製造業主体から金融主体へと移行した資本主義が、さらなる段階へと移行していく重要な暗示であるように思う。
 イギリスのEUからの分離に続き、アメリカで、ドナルド・トランプが大統領選挙に勝利した。この二つの結果は、国家として繁栄しながら、その富が富裕層に集中し、人口の多い中間層の仕事や生活の水準が下がり、格差が拡大し、その不満が増大したからと分析されている。
 しかし、この構造は、ブルジョワジー(資本家階級)とプロレタリアート(労働者階級)の対立という従来考えられていたような単純なものではない。
 なぜなら、イギリスもアメリカも、長い間、貿易収支が慢性的に赤字の国である。つまり、物を作って、それを売って利益を得るという旧来の資本主義システムは、とっくの昔に卒業している。
 他のどの国よりも早く資本主義システムを作り上げた両国は、先行者メリットで、物を作って他国に得ることで利益をあげ、国民は豊かになった。しかし、国民の生活水準が高くなり賃金が高くなることで、日本やアジア諸国など新興の工業国に対して輸出競争で勝てなくなった。だから、早い段階で資本主義の新しい仕組みを確立し、移行していた。
 イギリスは、GDPの7倍もの巨額のマネーを海外から調達し、それを海外に投資し、その運用益が国家の豊かさを支えるとともに、その金融資本の力が、世界に大きな影響を与えている。
 また、アメリカは、世界最大の借金国であることはよく知られているが、アメリカ国債を世界中に売りつけて借金をしながら、ドルという基軸通過を持つことで、その為替レートの変動によって借金額を操作することができる。
 そして、アメリカもまた、海外から資金を調達し、それを海外に投資して儲ける金融サービス業や、特許などの知財使用料で、莫大な収益を得ている。
 アメリカは、1951年にGDPにおける製造業の比率は31.7%で、金融サービス業は、わずか9.9%だった。それが、90年代のはじめにほぼ同じになり、今では、金融サービス業は18%で、製造業は10%。
 にもかかわらず雇用者数は、製造業が全雇用者数の9.1%に対して、金融は5.9%でしかない。
 アメリカに多くの利益をもたらしている金融サービス業に携わっている人間の数が、製造業に携わっている人間に比べて極端に少ないのだ。富が一部の者に偏っている原因がここにもある。
 強い労働組合に守られている製造業の従業員の待遇は、もしかしたらまだマシかもしれず、日本も次第にそうなっているが、アメリカでも高学歴で飲食店などのチェーン店で非正規の社員として働く人の数は多く、その待遇は、もっと悪い。
 つまり、アメリカもイギリスも、富が一部の人間に集中し、貧富の格差が問題になって、その不満が高まって今回の変化が起きているのだが、その格差は、経営者と労働者の間の格差(その格差も大きいが)の問題ではなく、両国がとっている資本主義の戦略が金融依存となっていることの問題なのだ。
 金融依存型の資本主義は、余ったお金で投資ができる富める者をさらに富ませる体制であり、アメリカもイギリスも、ここ2、30年の間、そういう方法が国家の生存戦略になっていた。
 そして日本もまた、多くの日本人があまり意識していないあいだに、アメリカやイギリス型の資本主義システムに移行しつつある。
 2015年の日本の貿易収支は、6434億円の赤字である。(その前年は、10兆4016億円の赤字だったが、原油などの値下がりが赤字を大幅に圧縮した)。
  一方、企業の知的財産権などの使用料、海外子会社から得られる配当、海外有価証券への投資などの収支は、2014年度からさらに2兆6563億円増の20兆7767億円の黒字となり、3年連続で過去最大を更新している。日本もまた、かつてのイギリスやアメリカと同様、新興の工業国との国際競争に勝つことが難しくなり、製造物の輸出ではなく投資によって利益を生み出すシステムが国家の生存戦略になりつつあるが、このシステムは、アメリカやイギリスのように、富める者をさらに富ませるものになることが予想される。
 ただ、アメリカやイギリスは、植民地利益や戦勝国としての既得権益をもとにどこよりも早く新たなシステムを確立して、そのシステムを国際的なスタンダードにすることで常に先行者メリットを得てきたのに対し、日本は、その後を追いかけながら、持ち前の勤勉さや日本的な創意工夫をくわえることで、その変化に対応してきたという歴史がある。
 同じ投資型の国家生存戦略でも、アメリカやイギリスとは異なる方法をとることは、十分に可能だ。
 国際的な投資活動において、イギリスとアメリカの場合、まず英語が国際言語になっていることは非常に大きい。多国籍企業との間のコミュニケーション、契約書、各種書類などは、基本的に英語だ。
 そして、イギリスのロンドン証券取引所には、新規株式公開の審査基準を緩和した市場であるAIMがあり、2008年には世界の新規株式公開の半分のシェアを占めた。
 これらの新興企業の株に投資して株価の上昇によって差益を得るという間接投資の方法もあるが、イギリスやアメリカにおいてさらに巨額の利益をもたらしているのは、海外の企業を買収したり、経営に直接関与していく直接投資だ。未上場の有望企業を発掘し、その会社を経営サポートしながら、上場によって多額のキャピタルゲインを得ることができるのは、富裕層や、資金調達力のある企業や組織に限られる。
 日本のソフトバンクは、多額の資金調達を行いながら有望な新興企業などを買収したり、その会社の経営に関与できるほどの大量の株式を保有してきた。なかでも上場前に大量に購入したアリババ株は、投資額が105億円に対し、保有株の時価総額は約6.7兆円にもなったが、アメリカやイギリスは、その優れた資金調達力によって、そうした直接投資の利益を拡大させてきたのだ。
 その資金調達力の一つとして機能しているのが、タックスヘイブンだ。
 2016年には、アメリカとイギリスに起こった大きな政治変化とともに、現在の富の構造を考えるうえで象徴的な事件があった。
 それはパナマ文章事件で、機密扱いだった金融取引文書が大量に流出し、この事件をきっかけに、各国の富裕層や権力者、企業、犯罪者などが、租税回避やマネーロンダリングのためにパナマケイマン島といったタックスヘイブンを利用しているという事実が、明らさまになった。
 イギリスは、ケイマン、キプロス、バヌアツ、ジブラルタルなど、イギリス連邦加盟国や旧植民地に多くのタックスヘイブンがあり、世界の金融センターとして君臨するロンドンのシティと、強力なネットワークを築いている。
 さらに、シティ自体が、多国籍企業や富裕層に租税回避や守秘性などの優遇措置をとっている一種の伝統的タックスヘイブンだ。
 つまり、世界の富裕層や、利益を多く出した企業が、ロンドンのシティを通じて投資活動を行い、それによって増やした利益を、タックスヘイブンに隠していたということ。お金持ちは、持っているお金を眠らせたくない人たちなので、貯金をタックスヘイブンに隠しているのではなく、その前に、積極的に投資活動を行っている。その投資活動や利益の動きが表沙汰にならない方法こそが、彼らにとって最もありがたいことで、ロンドンの金融業界は、その仕組みを牛耳っている。その結果が、GDPの7倍もの巨額のマネーを海外から調達し、それを海外に投資して稼ぐというイギリスの異様な資本主義を作り出したのだ。
 アメリカもまた、イギリスと同様、豊富な資金調達力によって金融ビジネスで稼いでいるが、イギリス同様、タックスヘイブンがある。
 アメリカは一つの国家ではなく連邦国家で、それぞれの州が、一つの独立国のように様々なルールを法律で決める権利を所有している。
 アメリカで2番目に小さな州であるデラウェア州は、人口が、約90万ほどなのに対して、企業の数は約95万もある。2015年は、13万3297社の企業がデラウェアで設立されたが、この数字は、アメリカ国内の全公開会社の半分近くになる。
 また、フォーチュン500社のうち3分の2が、この州の法人とも言われる。その理由は、この州が、租税を回避する法人や個人を、法律によって保護しているからだ。1930年代の頃から、デラウェア州の歳入は、企業からの税金や手数料で構成されるようになっており、企業に甘いこの州の体制によって、この州は潤っているが、それによって他の州が、税収を失う結果となっている。
 デラウェア州は、アメリカのタックスヘイブンであり、ここを通して、巨額のマネーが、世界の金融市場を席巻している。
 イギリスもアメリカも、こうしたからくりを巧みに使いながら、1970年から1980年代にかけて行き詰まった製造業主体の資本主義システムを金融業主体のものへと転換させ、さらに世界の金融界のルールを、先行者である自分達の都合の良い方向へと修正させながら、莫大な利益をあげ、貿易収支の巨額の赤字を埋め合わせてきた。
 しかし、上にも述べたように、金融による利益は、製造業の利益に比べて国民のごく一部にしか行き渡らず、格差が拡大し、その不満が、2016年度のイギリスとアメリカの変化につながった。
 両方とも、僅差での勝負だったが、その結果によって、今後の情勢が、ガラリと変わる可能性がある。
 その変化は、次なる資本主義のシステムにつながっていくだろうが、それがどういうものか、近年になって、アメリカやイギリスに遅れて製造業から金融投資業へと国家の生存戦略を変えつつある日本は、知っておく必要がある。
 (②に続く。)

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