第1152回 日本企業の因習と先行き

 自社発行ではなく、他社発行の出版物でお手伝いしたのだけれど、出版業の先行きは厳しいなあと痛感。二重にも三重の意味でも。

 一般的に出版社って、編集制作サイドと営業サイドが分かれていて、編集制作サイドの企画を営業サイドが確認して、発行すべきかどうか、売れるかどうか、部数はどれくらいか、価格はどれくらいかを決める。

 しかし、その際、たとえ企画が通っても、こういうのは今時売れにくいんだよね、だから部数はこれくらいだとか、売るためには、このくらいの価格じゃないと難しいと、厳しい意見があがる。でもその結果、たとえば3500円で1,000部販売することになっても、トーハンなどの取次流通に4割抜かれるので、全部売れたとしても収益は210万円で、印刷代とトントン。制作費の部分は赤字になってしまう。その埋め合わせに、作家自身に定価で買い上げを求めるケースもある。作家自身の費用負担が出版社の利益になるということも多い。(共同出版という名の自費出版)。

 この構造を抜け出すためには、たとえば自社のホームページなどを通じて直販の比率を増やして、取次流通に抜かれる4割を自社利益にすることが賢明だ。1000部を全て直販で売れば、100万円ほどの黒字になる。私は、10年前からこの方法に変えたが、出版社は、取次流通との関係を維持するために、直販ができないそうだ。まあ確かにそれはわかる。出版社が自社サイトで販売すればするほど書店での販売は、その煽りを受けるのだから。しかし、これにも矛盾があり、取次流通もしくは出版社は、書店だけでなくAmazonにも本の販売委託を行う。書店への打撃ということでいえば同じだ。その結果、書店の倒産は増え続けている。その結果、書店流通経由の販売を尊重する出版社の本の売り上げも減っていく。

 これは、インターネットが登場する以前の成功モデルを、中途半端なまま残し続けているからであり、板挟みのまま、じわじわと衰亡していく構造がここにある。

 出版業は、日本経済の一つの象徴であり、日本でウーバーが広がらないのも、国がタクシー業界を守っているからであり、その理由は、タクシー業界が失業者の受け入れ先になっているからだ。

 日本の失業率は、先進国諸国のなかで少ないということが自慢される。

 しかし、その理由は、日本には、異様なくらい中小企業が多いからで、その数は、日本の企業421万企業のうち99.7%を占め、労働人口は、70%にもなる。

 この膨大な中小企業が、失業者の受け入れ先になるから、日本の失業率は低いのだけれど、中小企業は、そう簡単に賃上げができない。だから、欧米各国や韓国などの平均賃金が、毎年、あがり続けているのに、日本はずっと同じで、知らないうちに、韓国にも抜かれた。少し前なら、韓国に行けば物価が安いから豪遊できるからと週末を利用してのツアーが流行したが、立場は逆転している。日本は、コロナ禍前、インバウンド旅行が急拡大したが、日本が各国にとってお得な旅行先になったからだ。

 アベノミクスの掛け声のもと、日銀が日本の上場企業の株を買い占めるという禁じ手を使い、株価が30,000円になっても、多くの日本人に景気がよくなったという実感がないのは当然で、労働人口の70%を占める人々は、株など関係なく、大手企業の下請けとして、大手企業が厳しい国際競争で生き残るためだからだと過剰な要求をつきつけられ、毎日、ハードワークを強いられる。

 なにかしらの反乱(決して暴力的にということではなく)が必要なのだが、従順にこの構造に巻き込まれたまま、日々、やりくりし続けるしかない。

 そして、その”やりくり”には、本質的でないと思える業務が膨大にある。

 今回、私がお手伝いして本の仕事でも、緊急の仕事であったが集中的にエネルギーを費やして、最初の10日ほどで、読者に届ける物としての完成度は95%、仕上げることができた。

 しかし、残りの5%で、その95%と同じくらいの時間とか、やりとりが必要になった。

 その中には、たとえば、ジェンダーの問題に配慮して、”女”という表記を、”女性”に変えるべきだ、という議論も含まれる。

 本質というのは、文脈の中に宿っているのであって、単語一つの問題ではない。

 森元首相女性差別発言は、単語の使い方を間違えたのではなく、文脈として、組織の中に女性をあまり入れたくない、という意図があることは誰にでも明らかだった。それは、彼がお得意としている”手打ち”の習慣が女性にはないからだ。

 森元首相を、オリンピック組織委員会のトップに据え、余人をもって代えがたい などを持ち上げる連中は、この手打ちという密室の取り決めを、調整能力を称して、その因習にとらわれ、その因習のなかで、利益とかポジションを獲得してきた輩であり、そういう輩が、日本全体の構造を牛耳っている結果が、日本の停滞につながっている。

 出版メディアの凋落は、単なる業績の問題だけではなく、物事の捉え方、考え方などにおいて、本来は、創造的に新しい局面を切り開く存在でなければならないのに、因習に追従するようなことしかできなくなっていることだろう。

 因習に追従することは、一つの処世術でもあるが、この変化の時代においては、足枷でしかない。

 

 

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