第1627回 日本の古層に潜る旅〜南九州編(6)ー12月5日の日記

熊本県八代市

 現在、有明海の八代に来ている。
 鹿児島の隼人町霧島神宮のすぐそばに宿泊し、北上し、霧島から、えびの高原、そして球磨川上流無に抜け、球磨川にそって八代までやってきた。
 有明海と鹿児島湾が地理的にどうつながっているか確認したかった。

霧島連峰の噴火活動中の韓国岳

 天孫降臨神話や、コノハナサクヤヒメとニニギの出逢いが何を物語っているのか? というのは、日本人なら、誰しも他人事にできないはずのことだけれど、この時代は、そんなこと気にする人は、ほとんどいない。
 それは、こうした神話の背後に流れている古代人の叡智に思いを馳せないからだろう。

紫のマークが二箇所の高千穂。

 九州には、天孫降臨の地、高千穂が二箇所ある。
 一つは、有明海に注ぐ緑川流域の宇土継体天皇推古天皇の古墳の石棺、阿蘇のピンク石の切り出し場所)から、神武天皇の東征の起点である日向までのラインにそったところ。
 日向の延岡に笠沙山があり、ここがニニギとコノハナサクヤヒメの出逢いの場所とされている。
 そして、もう一つが、有明海の一番南、八代から南の方向に、球磨川を遡り、霧島地帯を超えて、鹿児島の隼人町にいたるラインにそった地域。
 このライン上の霧島神宮には、ニニギとコノハナサクヤヒメが祀られ、隼人町鹿児島神宮には、山幸彦と豊玉姫が祀られている。
 高千穂は二箇所だが、宮内庁が定めるニニギとコノハナサクヤヒメの墓は一箇所で、それが西都原古墳群の180mクラスの前方後円墳と帆立貝形古墳。
 興味深いのは、添付の地図でもわかるように、宇土から西都原古墳群までの距離と、宇土から延岡の笠沙山までの距離が90kmで同じ。
 八代から西都原古墳群までの距離と、八代から霧島神宮までの距離が85kmで同じだ。
 添付地図の紫マークが、高千穂で、黒いところが西都原古墳群。
 さて、これがどういうことを意味しているのかを洞察しなければならない。
 まず、ニニギとコノハナサクヤヒメの交わりが何を意味するのかというと、近代合理主義が生み出した哲学でたとえると、アウフヘーベン。これはへーグルの弁証法の基本であり、「物事の矛盾や対立を単に否定するだけでなく、より高次の段階で統合し、新たな価値を生み出すこと」であると思う。
 それは、古代日本における問題解決の重要な理念でもあった。
 二つの高千穂が意味することは、まず宇土から日向に抜けるラインの方は、日向という場所が神武天皇の東征の起点なのだから、この理念を東へと広めていくことを意味している。

鹿児島神宮(鹿児島県霧島市隼人町
霧島神宮(鹿児島県霧島市霧島田口)
霧島神宮から望む桜島

 そして、もう一つ、八代から南へと向かい、霧島から鹿児島に至るラインの真相は、霧島神宮にニニギとコノハナサクヤヒメが祀られ、鹿児島神宮に山幸彦と豊玉姫が祀られていることに鍵があるのだが、これは一般的に、神話上の世代交代としか捉えられていないが、重要なことは、ニニギとコノハナサクヤヒメを祀る鹿児島本宮の地が、隼人町であること。
 隼人は、山幸彦に敗れた海幸彦を祖としている。 
 つまり、鹿児島の隼人町は、海幸彦に象徴される勢力の拠点だった。
 ならば、ニニギとコノハナサクヤヒメを祀る聖域に、海幸彦の聖域がどこにあるのかが問題で、鹿児島神宮神職の方といろいろ話をしながら探ったところ、鳥居のところに門番のように社が築かれていることがわかった。
 神職さんの説明では、その理由は、海幸彦は山幸彦に従属することを誓ったので、悪いものが入ってこないように門を守れということではないかと。
 それを聞いて、鳥居のところに行ったところ、海幸彦を祀っているという表記はどこにもなく、これだと誰も気づかないし、境内案内にも記載されていないが、神職にいただいた本の中には確かに記載されていた。 

鹿児島神宮の海幸彦を祀る場所。

 鳥居の傍らに祀られた社、これは、アラハバキの祀られ方と同じである。
 アラハバキは、別名が門客神。門を守る客神で、客神というのは、新たに入ってきた勢力にとっての、それ以前の神のこと。
 海幸彦は、アラハバキと同じなのだ。
 つまり、海幸彦(隼人)の拠点だった鹿児島神宮のある隼人町に、アウフヘーベンの理念が入ってきた。その理念を守る役割を、隼人が果たすことになったというのが、八代から鹿児島湾にかけてのライン上に高千穂が存在している意味となる。
 この理念が、日本全国へと広められていった。
 隼人に対して求められた「新しい理念の守り人』の役割は、北方の蝦夷においても同じで、ヤマトタケルに鎮圧された蝦夷は、「佐伯部」となり、朝廷の門や、異なるものが接する境界に配置されている。
 そして、なぜ、神話のなかで高千穂(アウフヘーベンの場所)が九州にあるかというと、大陸に近い九州が、常に異なるものとの出逢いの場所だからだろう。
 日本の北方の地も大陸に近く、同じように異なるものとの出逢いがあったはずだが、九州は、大陸で何かしらの動乱があるたびに数多くの人たちが流れ込んでくる地だった。
 絶えず異なるものとの出逢いがあるということは、それだけ軋轢や葛藤があり、いかにしてその対立を抑え、鎮めていくかという新しい理念が必要になる。
 神話には、そうした叡智が反映されていると考えて間違いないだろう。
 しかも、かなり緻密に、周到に、それが行われている。
 それに対して現代日本人は、二つの高千穂のうち、どちらが正しいかといった二項対立の思考の呪縛から逃れることができていない。
 どちらが正しいかではなく、どちらも正しい。
 どちらも正しいという解に至るためには、どういう思考と行動が必要なのか、現代人は、古代人の心に思いをはせて、深く考え直す必要があるだろう。
 本日も、推敲、読み直し無の、旅の恥は書き捨て。

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えびの高原の白鳥神社