第1205回 出版業界の構造変化について

 

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 数ヶ月前に、講談社がアマゾンと直接取引を行うことを発表し、業界に驚きが走った。これまでにも講談社発行の本をアマゾンで買うことはできていたので、業界関係者でなければ、さほど驚きとはならないニュースだ。

 しかし、これまで講談社をはじめ大手出版社は、アマゾンで販売していた本でさえトーハンとか日販という書籍取次会社経由で本を流していた。つまり、書籍取次会社は、本を右から左に流すことでコミッションをとり、それにくわえてアマゾンもコミッションをとるというナンセンスな流通形態だった。

 話は変わるけれど、日本の物価が長年上昇していないことがよく話題になる。その理由として、専門家が色々なことを喋っているが、あまり流通形態のことが話題にならない。

 しかし、この流通がとても重要で、日本はとくに、昔は問屋制度が非常に発達していた。一つの商品が消費者の手元に届くまでに、いくつもの問屋を経由していた。その仕組みによって雇用が作られていたし、島国なのに国内の隅々まで商品が届くという恩恵につながっていた。しかし、その分、それぞれの流通のコミッションが価格に反映されていた。

 しかし、今、問屋流通がほとんどなくなっている。家電などにおいても、生産工場すら持たない人が、アイデアだけで町工場に企画を持ち込み、クラウドファンディングで募集をかけ、直接販売してしまうような時代だ。

 メーカーが市場調査をして、自社が持っている巨大な生産工場で大量生産し、問屋流通の力を借りて販売することを前提に、メーカは、宣伝広告でそれをサポートする大量生産、大量販売の仕組みは過去のものになった。

 近代産業が生んだ最大の産業である自動車ですら、テスラは、販売代理店を持たず、宣伝広告もせずに車を売るというモデルを確立し、株式時価総額が世界のトップクラスになっている。テスラの未来に株主の期待が集まるのは、電気自動車の未来だけでなく、テスラのビジネスモデルの柔軟性が評価されているからだろう。

 日本における本の流通は、周回遅れどころか、数周回遅れていた。

 出版社が書籍流通会社に本を流してもらうために依頼に行く時は、あらかじめ予約などできず、お役所の手続きのように直接行って番号札をとって順番待ちになる。そして自分の順番が来たら、見本誌を渡すのだが、担当者は説明など聞かない。サイズを測って書類に書き込むだけ。そして後日、数量をお伝えしますと言う。

 なぜこんな風になるかというと、書籍流通会社も書店も、出版社から本を仕入れるのではなく、ただ棚に並べるだけだからだ。

 一般の小売店の場合、商品を店の棚に並べるためには、リスクを負って仕入れなければいけない。だから、自分の店の顧客に適しているかどうかなど厳密に検討することになる。仕入れは在庫リスクになるからだ。その厳密な見極めがあるから、店の個性や多様性も生まれる。

 しかし、本の場合、書店は仕入れリスクがない。売れなければ返本するだけ。これが、日本特有の書籍流通制度。ヨーロッパのように目利きで教養のあるオーナーを信頼して本屋のファンになって、アドバイスをもらって本を購入するということが、ほとんど見られない。

 この書籍流通制度は、戦後、講談社小学館集英社という大手出版社が、自分たちの本や雑誌や漫画を市場に流すために作ったもので、この大手出版社が書籍取次大手のトーハンや日販の大株主である。

 大株主だから、書籍流通会社を自分たちに優位に利用できる。具体的には、私が書籍流通会社を通して本を販売していた時は、本屋は仕入をせず棚に置くだけなので、売れた分だけ、半年後くらいにコミッションを引かれてお金が振り込まれる。そして大半は、すぐに返本される。

 めんどうなのは、本屋の判断で返本しても、読者が本屋に行って注文すると、注文内容が、本屋から書籍取次流通経由で、ファックスで流れてくること。そのたびに、その1冊を、書籍流通会社に入れるということになる。(めんどうだし、無駄)。

 しかし、大手出版社の場合、書籍取次流通に本を入れると、その時点で、全部購入された形になる。そして、売れ残ったら、その分、返金する。つまり前金として受け取れる。そして、売れ残りのかわりに返金分を新たに作る本で埋め合わせをするのだ。

 大手出版社がこれまでアマゾンで売っているにもかかわらず、書籍流通会社を通していたのは、本当は自分が大株主である書籍流通会社だけで売りたくてアマゾンで売りたくないけれど、アマゾンを無視していては売り損いが出るという判断で、しかたなくやっていた。とはいえ、書籍流通会社も維持しなければならない。しかし、それは帳簿上の帳尻合わせにすぎず、不合理だ。

 こうした取引の背景が不透明な理由は、大手出版社が経営内容を透明にする義務のある上場企業でないからだ。

 日本の大手出版社で上場企業なのは、カドカワと学研くらい。アメリカならば、会社の規模が大きくなると社会的責任も大きくなるので経営の透明性を確保するために上場が義務付けられる。しかし、日本はそうではなく、メディアの大半が非上場だ。前受け金経営ができることと、自前の工場が不要で設備投資もいらないから、経営を透明にしてまで敢えて上場する必要がないという判断になる。

 さらに本は、再販制度というわけのわからない法律で、価格を下げて売ってはならないということになっている。価格競争によって質が低下することを防ぐためだと言い訳しているが、そんな言い訳が嘘だということは、質の悪い本が氾濫しているのを見れば誰でもわかる。

 本屋がリスクを負って仕入れているならば、一般の小売店のように売れ残ったら価格を下げてでも販売する。しかし、日本の本屋は、売れ残ったら返本すればいいだけ。だから価格を下げる必要はない。仕入れリスクもないのに安売りしてコミッションだけとる本屋が出てくると、追随するところも出てきて業界秩序が壊れるから、それを防ぐために再販制度がある。

 私は、かつて10年間くらい本を書籍流通を通して販売していたが、その方法だと、ストレスがたまるばかりで、もう限界だと思った。

 なので、ホームページなどを丁寧に作り込んで、販売する本の内容をきちんと見てもらえるようにして、その価値を判断してもらったうえで購入してもらう仕組みに変えた。

 その方法は直接販売なので、中間マージンや、返本リスク(書籍流通から返本されると傷んでいることが多く破棄するしかない)がない分、価格も安く設定できる。

 書籍流通だと4割強をコミッションとしてとられるので、10,000円の本の場合、6000円しか出版社に入らない。

 私が作った800部限定の鬼海弘雄さんの「Tokyo View」(定価10,000円)の場合、書店流通を通すと全部売り切っても収入は480万円。これだと、全部売り切って、ようやく採算ラインを超える。

 直販だと、全部売り切れば、300万円の利益ということで、売るための努力をしっかりすれば結果が伴う。

 もしくは、書籍流通なら10,000円でなく18,000円くらいの価格設定をしなければならない。この差額はあまりにも大きい。質の高いものなら価格は関係ないとは言えない。

  結果的に、10,000円の価格で18,000円の価値のあるものができた方がいいに決まっている。

 書店の場合、通りすがりの人が手にとって気にいって購入するという新たな出会いがあることは確かだが、自分も含めて、書店に行ってお気に入りの本を探すということが、昔に比べて減っている。限られたスペースの本屋の棚に並ぶのは、ある程度の数量を期待できるハウツーもの、処世術、娯楽が大半となるからだ。

 その範疇のものならば書店流通での出会いがあるかもしれないが、そうでない本の場合は、本屋での新たな出会いも難しくなっている。

 残念だと思うのは、時代は変わっているのに昔ながらの出版社の権威になびいてしまい、高額なお金を出版社に支払って写真集を作っている写真家や写真家予備軍が非常に多いことだ。彼らは、メンツの問題もあるので、自分がお金を出しているということを周りに言わないので、出版社の思う壺になっている。

 現在は、書籍流通を通して40%もコミッションを取られて、それを上回る販売数となって採算をとれる写真集など、犬や猫などのペットや癒し系もの以外は、ほとんど存在せず、本屋に並んでいる写真集の多くは、共同出版という名の自費出版であり、売れなくても、本屋に並ぶということで良しとしている写真家が多い。(本当は売れたらいいのだけど実際には本屋の棚で写真集はほとんど売れない。写真集の棚がない本屋が大半だし。)

 誰でもそうだが、自分が行っていることを、どこかでまとめなければ虚しい。そのための出費は止むを得ないと思ってしまっている。そうしないと、新たなチャンスも掴めないと思ってしまうし。

 私が、この10年間やってきている本の作り方と販売方法は、インディーズ出版とか一人出版ということになるのかもしれないが、この方法だと大手出版社が作るものより質が低くなる、なんてことにはならない。

 大手出版社が自前の印刷工場を持っているわけではないし、執筆者や写真家やデザイナーも、精鋭の社員ではなく、外注だからだ。つまり、大手出版社でなくても、仕事はできる。昔ならば、それらのプロは、大手出版社の仕事を優先して受ける、なんてことがあったかもしれないが、私が風の旅人を創刊した当時(2003年)くらいから、そんな時代ではなくなっている。むしろ逆に、大手出版社に所属していたら、相手の権威に萎縮してしまい、敷居が高すぎると避けてしまう相手に、蛮勇によってアプローチできた。

 有難いことに、私は、この方法で、大儲けもできていないけれど赤字になったことはない。

 自分もそうだが、家の本棚に並んでいる本や写真集で、2度、3度、読み返したり、何度も見入ったりするものは、ごくわずかだ。ほとんどのものが、自分の頭の中でも右から左に流れている。書店でも右から左に流れているし、意識や潜在意識の中に食い込んでいる情報や表現というのは、1年に1度あれば十分かもしれない。

 日本社会は、長年、賃金が横ばいだが、物価も上昇していない。そして、流通や生産のためのコストは下がっている。

 だったら、一攫千金のような魂胆がなければ、数はそれなりかもしれないが質の良いものを低コストで作るチャンスはあるということだ。

 それはなんのためにかというと、最終的に人間を満たすものがそこにあるから、としか言えない。

 

まもなく完成する写真集「The Creation 生命の曼荼羅」の内容は、下のwebsite で確認できます。A4サイズ、全カラー、120ページ、税込、発送代込み1500円

www.kazetabi.jp