去年までと、今年からの違い・・・

 

 ちょうど去年の今頃は、風の旅人を休刊した後なので、毎日、引き払う事務所の整理をしながら、休刊のお知らせを定期購読者に電話で伝え、返金の振込口座を聞いていた。その電話口で、「今まで有り難う」、「これからに期待しているよ」等と励まされていた。


 それまでの9年間、定期購読の人も大勢いたのだけど、書店販売を中心に考えていたので、読者の存在を身近に感じることはあまりなかった。もちろん、池袋のジュンク堂などで時おり大きなフェアをやってくれる時には、店頭に立って一生懸命に販売したし、イベントやトークショー等を通じて、一部の読者と接点を持つ事はあった。でもそれは氷山の一角にすぎなかった。


 休刊を決めて定期購読の方々に電話をしながら名簿を見ていると、読者が、北海道から九州、沖縄の島々など随分と広範囲にいることに気づいた。そして、電話口では、老若男女問わず、90歳の高齢の方も20歳前後の方とも話をすることができた。


 あれからちょうど一年後の今、取り次ぎを通した書店への委託販売をせずに、直接、読者とつながる販売方法にしようと決断した背景には、あの時、毎日毎日、たくさんの読者と電話口で話したことが心のどこかに残っていたからだろうと思う。


 一年前は休刊の連絡の毎日、そして今は、せっせとお申し込みを受ける毎日と、180度、反転した。不思議なものだ。


 昨年は、震災後に社会を覆っていた閉塞感と、風の旅人が陥っていた空気は何かしらシンクロしていたのだと思う。そして今も社会から閉塞感が消えたわけではないが、これからの時代を見据えると、もはや閉塞感などと言っておられず、状況がどうであれ、今までとはまったく異なる発想と新たなシステムで不可能を可能にするのだという気構えで取り組んでいくべきであり、おそらくそうした自分の潜在的な意識が、復刊第一号で掲げている”修羅”というテーマを呼び寄せたのだと思う。


 20世紀流のやり方は、2011年で終わったのだ。


 2012年からは、まったく違う方法で、取り組んで行かなければならないのだ。


 世間では、ソニーパナソニック、シャープ等の凋落ぶりが話題となり、その原因究明とか、かつての栄光との比較がなされたりするが、問題の根は、たぶんそういうところにはないのだろうと思う。


 ソニーパナソニック等は、国際的に通用する日本を代表する企業であったがゆえに騒がれているが、それらの企業が陥っている問題は、国際競争にさらされていないように見える出版業をはじめ、他の産業にも波及してくるだろう。


 出版業は、すでに流通においてAmazon電子書籍など海外で発展した仕組みにじわりじわりと脅かされている。


 出版社が出版社としての存在価値を持っていたのは流通があってこそなのだ。印刷したものが全国の書店に並び、大勢の人に見てもらえる。その幻想を出版社は武器にすることができた。だから、写真家や作家志望の人などは、出版社の評価を気にした。


 新風舎などのように、その幻想をお金儲けに利用したところもあった。そこまでアクドイことはやらなくても、今もなお、共同出版という言い方で、書店に並べることを口説き文句にして、若い写真家などにお金を出させる出版形態は相変わらず多い。


 自分の作品を本にしたい願望を持っている人は大勢いるから、そのニーズに応える仕組みじたいを否定するつもりはない。


 しかし、そのようにして高いお金を払って本を作っても、果たしてどれだけの人が書店で買ってくれるかという問題はある。一流作家ですら、書店で本が売れなくなっているのだ。自分の表現を本にして人に見てもらうためには、高いお金を出して出版社に作ってもらわなくても、オンデマンドその他の方法で十分に可能だということに気づいている表現者も増えてきている。


 書店流通によって保たれている権威が失われる時、出版社の凋落が一挙に進むと思う。ソニーにおいて、優秀な人材から韓国企業等に流出していったように、出版社もAmazon等に流出する優秀な人材が増えるかもしれない。その力によって、Amazonが、直接作家と契約を結んでいく可能性は大きい。なにせ彼らは全世界に翻訳本を販売する力を持っているのだ。作家にとって、それほど魅力的なことはないだろう。


 10年前には、現在のパナソニックやシャープの状況を予想できる人は限られていたわけで、出版業の10年後も、きっと同じだろうと思う。


 日本人は、もともと、自分のやり慣れた方法の改良に対しては、努力を惜しまない。物作りだけでなく、日本の流通システムは、世界屈指のレベルで、その信頼は抜群だ。しかし、従来のシステムの完成度が高いゆえに、新しいシステムに変えることに対して、ものすごく抵抗がある。一度作りあげたものを、手放すことなどできなくなってしまうのだ。


 もちろん、自分のやり慣れた方法でうまくいくのならハッピーだ。しかし、そういうことが通用しなくなってきている。


 一つの物事に時間をかけて作り込んでいく。日本人は、「努力」というのはそういうことだと思っている。しかし、一つの物事に熱中するあまり周りとの関係が見えなくなり、バランスも悪くなって、けっきょく使い物にならないということがよくある。これからの時代の重要な鍵は、組み合わせ方と、バランスなのだ。


 もともと生命は、1+1が2ではなく、10とか100に展開していくシステムだと思う。有機的な相互関係によって循環を作り出し、その循環が大きな力を作り出す。だから、1つの事だけ考えていたらダメだ。学問もまた、一つの事例を分析していてもダメなのだ。仕事も、人生も、全て、有機的な組み合わせしだいだ。


 閉塞感を脱け出そうとして努力するのだけれど、その努力が、一つのことの中だけで閉じてしまうので、閉塞感は、益々強くなってしまう。

 組み合わせることによってもたらされる全体の効果こそが大事であり、努力の方向を、そちらに持っていくことで、世界の見え方が少し違ってくるのではないかと思う。