風の旅人の[言葉」を見直す。

 校了直前に全体をもう一度読み直したのだが、今回、改めて言葉の力というものを、すごく感じた。私なんぞより遥かに読書量の多い若い人二人にも手伝ったもらったのだけど、一人は、「本当に鳥肌もののコンテンツが多くて、息をするのも忘れて読んでました。校正どころではありませんでした(笑)」と言い、もう一人は、北スペインの巡礼の旅の途中、Dropboxに入れたPDFで読んで、「文章、どれもすごい迫力でした。自分が一気に深みに連れていかれる感じでした。そして、明確に、書き手同士

の文章が呼応していると感じます。今回の文章は、読んでる時の衝撃も強いですが、それが身体に残る感じもすごいですね。スペインを歩きながら、沈黙を抱え、言葉の残響を噛み締めています。」と、感想を述べてくれた。

 ブログやFacebookなどでは、写真のことは伝えやすいが、文章のことは伝えにくい。しかし、風の旅人の文章こそを、じっくり読んでもらいたい。これらの文章は、単なる情報でも、単なる散文でもなく、ある種の強烈な思いを持った表現者が、その思いを言葉に昇華させるために練りに練って、磨きに磨いて、虚空に放った矢のようなものだ。その矢は、ハウツーとか目先の打算の情報ばかりに眼が曇ってしまい、自分の中に準備ができていない人には、残念ながら見えないかもしれない。しかし、準備ができている人には、その矢がまっすぐに自分の心臓に向かって飛んできていることが見えるだろう。

 今回の書き手は、管啓次郎さん、今福龍太さん、茂木健一郎さん、田口ランディさん、姜信子さん、蛭川立さん,小池博史さんなど、特に意識したわけではないが私と同年代の人が多い。この世代は、上の世代のことも下の世代のこともわかる世代だが、とくにこの書き手達は、世代を越えた人々と常に交流しており、世代やジャンルの壁の中に閉じていない。そして、思いは強烈だけど、とても柔軟な頭を持っている人達ということで共通しているのだ。このことは、これからの時代を生きて行くうえでとても重要なことだと思う。思いが弱くて柔軟だと、周りに流されやすいし、思いが強いけれど柔軟性に欠けると、視野狭窄に陥ってしまう。思いが強いけれど頭は柔軟というのは、風の旅人を作っていくうえでも重要な鍵だ。文章も、写真も。
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